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 ランチの時間になり、ベルティアは食堂に移動するためにそそくさと席を立つ。サッと食事を済ませて朝と同じように図書室に籠ろうと企んでいた罰が当たったのか、食堂に行くまでの曲がり角で誰かと勢いよくぶつかった。


「い、った……!」

「わわわっ、ごめんなさい! って、ベルティア先輩!? 本当にすみません、大丈夫ですか!?」

「げっ、セナ様……!?」


 前世の記憶に残っている、一昔前の少女漫画のような展開にベルティアは尻餅をついたまま固まった。そして思わず「げっ」と言ってしまったことに気がつき急いで口元を手で覆ったけれど、もう出てしまったのであまり意味はない。


 ベルティアを起こそうと手を差し出しているセナの頭上を見るとやはり好感度の数値が表示されていて、昨日のことは見間違いではなかったのだなと認識した。


「(あれ? 昨日は確か96%だったのに……90%に下がってる)」


 ベルティアの部屋に突然やってきて嵐のように去っていた彼の好感度に変化はなかったはずだが、一夜にして6%も数値が下がっていた。ただ、これは好感度を100%にする世界ではない。好感度0%を目指しているベルティアにとって、よく分からないが数値が下がっているのは幸運としか言いようがなかった。


「僕が前を見ていなかったせいで……ごめんなさい。怪我はないですか?」

「大丈夫です、お構いなく……セナ様はどうしてこちらに? 3年生の棟ですが」


 ベルティアやノアは18歳で最終学年だが、セナは2歳年下の16歳で1年生のクラスに編入してきたのだ。全学年クラスがある棟は違うので本来ならここで会うはずがない人物。しかもゲームでは曲がり角でベルティアとぶつかる、なんていうイベントは――


「(いや、違う。ノア様をランチに誘うために来たのか)」


 婚約の話が出ている二人はセナが編入してくる前から顔見知りで、学園内に友人がいないセナはノアを頼りながら他のキャラたちと交流ができる。今日は手始めにノアをランチに誘うことから始めるイベント発生の日。失念していたベルティアも悪いけれど、まさかこんなタイミングで出会うと思っていなかった。


「ベルティア先輩に会いに来ました!」

「………は?」

「ランチを一緒にどうかなと思いまして……昨日は食欲がないとおっしゃっていたので心配していたんです」

「それが、どうして、俺とランチするという考えに……!? の、ノア殿下は!?」


 ランチに誘う対象がノアではなくベルティアだったことに驚いて、思わず「なんで!?」という言葉が出てしまう。セナはベルティアの言葉に不思議そうに首を捻っていた。


 いくらここが『ベルティア・レイクの幸福』の世界だとしても、それは単なる裏舞台の話。表舞台では『聖なる瞳の幸福』が同時進行で動いているはずなのに、なぜ正主人公が悪役令息をターゲットにしているのだろうか。


「なぜ僕がノア殿下と?」

「いえ、その……な、なんとなく…」

「あはは! ベルティア先輩って面白いですね! 僕は一緒にいたいなって思う人が先輩だったので、お誘いに来たんです」

「ひぇ……」


 真正面から陽のオーラをガツンっと浴びて、ベルティアはくらりと目眩がした。ノアがセナとの婚約に消極的なのは本編でもそうだったのだが、まさかセナまでもがノアとの関係に消極的なのは想像していなかったのだ。


 無垢な瞳がベルティアをじっと見つめているし、ここは廊下なので周りの生徒の目もある。どうやって切り抜けようか考えながら足が自然と後退していて、ベルティアは再び誰かにぶつかった。


「お、っと……大丈夫? ベルティア」

「パーシヴァル殿下……! す、すみません!」

「いいや、怪我はない?」

「はい、だ、大丈夫です」

「そう。……何か揉め事かな?」


 後ろから現れたパーシヴァルはただならぬベルティアの雰囲気を感じ取ったのか、セナとベルティアを交互に見て苦笑した。きっと彼は、昨日『ベルティアが聖なる瞳の挨拶を無視した』という噂のことを知っているのだろう。廊下で喧嘩でも始めたのかと言いたげな顔をして二人を見つめた。


「いえ、僕がベルティア先輩をランチにお誘いしていたんです。昨日倒れられたと聞いて、心配だったので」

「なるほど。お優しいですね、セナ殿は」

「優しいだなんてそんな……ベルティア先輩と一緒にいたいという口実です」


 ――だから、一緒にいたいのは何でなんだよ!?


 混乱するベルティアが新たな可能性として考えたのは、セナはベルティアから攻略対象者たちの情報を聞き出そうとしているのではないか、ということ。

 周りのお節介貴族たちがベルティアとノアの関係(正しいものではなく、誤った情報だけれど)やベルティアとジェイドが幼馴染だという話を教えたのかもしれない。それにベルティアと仲良くなれば、今後ノアやジェイドを好きになるセナは『僕の好きな人を取らないですよね……?』という牽制ムーブができるわけだ。


 なるほど、策士だな。そういうことであれば喜んで協力しようと、ランチの申し出を受けようとした時「ベルティア」と低い声から名前を呼ばれた。


「……揉め事か?」

「の、ノア殿下……」


 ――あんたまで来なくていいよ……。


 廊下の一角には本編の主人公と、メイン攻略対象者のノアと、悪役令息のベルティア、そして続編のメインキャラクターが一堂に会している。ここを地獄と言わず、なんと言うのだろうか。


 しかもベルティアは三人に囲まれるように真ん中に立っている状態で、横は壁。完全に逃げ場がなくなり、肉食動物に狙われる小動物の気分を味わった。


「………揉め事ではありません。セナ様が俺の食欲不振と体調を気遣い、一緒に食事をしようと提案してくれたのです。ノア殿下とパーシヴァル殿下のお手を煩わせることは何もありませんので、お二人ともどうかお気になさらず」

「そういうことであれば俺も、お前の体調が気になって誘いに来たんだ。セナ殿と同じだな」

「……ん?」

「僕はベルティア先輩と二人きりがいいんですけど……まあ、大人数のほうがご飯は美味しいですもんね」

「ではせっかくなので、聖なる瞳のセナ殿とお近づきになる機会をこの僕にもいただいてよろしいですか?」

「ちょ、ちょっと待ってください」

「あ、ベルティア!ちょうどいいところに、って……」

「兄上、それにパーシヴァル殿下も……はは、揃いも揃ってどういう集まりですか?」


 2年棟からやってきたのはジェイドと、ノアの弟であるライナス・ムーングレイ。こんな状況の中でもライナスの頭上に表示された好感度がベルティアの視界に飛び込んできて《ライナス・ムーングレイ 好感度:50%》という数値に安心した。


 いや、何も安心できる状況ではないのだ。いまだかつて本編の主人公と攻略対象者たちが同じ場所に一気に集うことはあっただろうか。


「今からみんなで昼食をどうかと思って話していたところだ」

「このメンツで……? 兄上、冗談でしょう?」

「いや、大真面目だ。お前たちも一緒に来るか?」

「そりゃ、俺たちも食堂に行くためにここを通ったわけですが……」


 2年棟から食堂に行くには3年棟を通らなければならない。ジェイドとライナスは本当に通りかかっただけだろうし二人とも顔に『嫌だ』と書いているのが分かったけれど、ベルティア一人でこの三人を相手にするのは無理がある。ジェイドとライナスに必死な顔で視線を送ると、察した二人は顔を見合わせて渋々頷いた。


「……檻に入れられて人前に出された動物のような気分だな」

「……右に同じ」

「……二人ともありがとう。恩に着る」


 このイレギュラーだらけの状況ではジェイドとライナスが常識人のように思える。本来のライナスはノアの弟で第二王子だが、王位継承者ではないので自由奔放な遊び人だ。ゲーム本編では主人公と出会ってそんな第二王子が変わり、のちのち主人公と結婚してからは兄であるノアを支える右腕になる。


 そんなキャラクターが常識人に見えるなんて、この世界は本当に大丈夫なのだろうか――そう思いながらベルティアは鈍い痛みが走る頭を抱えた。




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