食堂での一件以来、セナには本当にノアの口添えで王宮のマナー講師がついたらしい。ノアがセナに対してアクションを起こしたことで、学園内では二人の婚約が現実的になってきたという噂が流れるようになった。
たったそれだけのことでと思うけれど、貴族の令嬢や令息は婚約者探しには忙しいがそれ以外は所詮暇なのだ。噂話やゴシップが大好きで、ネタになりそうなことを探しては話を盛って噂を流す。ノアの婚約者の席を狙っていた人たちはセナの登場で、自分には勝ち目がないと諦めたらしい。
「ベルティア、おはよう。ちょうどよかった、会いたいと思っていたんだ」
「おはようございます、パーシヴァル殿下」
「ああ。少しいいかい?」
「もちろんです」
生徒たちが登校してくる前、朝早くの図書室。ベルティアがいつもの席で読書をしていると、同じように朝早くやってきたパーシヴァルが向かいの席に座った。
「今度、セナ殿のお披露目パーティーがあるから参加してほしいと言われたんだけど、ベルティアは行く予定?」
「あー…俺はあまりそういう場は好きではなくて……」
「そう言うと思った。ただ、無理を承知で頼みたいことがある」
「なんですか?」
「僕のパートナーとして一緒に出席してくれないか?」
パーシヴァルからの予想外の申し出にベルティアは固まった。ベルティアとパーシヴァルは図書室で会えば話す仲ではあったけれど、まさかパーティーの同伴を頼まれるとは思わなかったのだ。ただ、隣国の王太子からの申し出を断れるほどベルティアは偉くないし、馬鹿正直に「無理です」と言うと不敬罪になるだろう。
ベルティアが返答に困っているとパーシヴァルもそれを察したようで、ぽりぽりと頭を掻きながら苦笑した。
「突然すまない」
「い、いえ……でも驚きました」
「実は、パートナーとしてオリヴィア・ローズウッド嬢を推薦されているんだ」
パーシヴァルの口から出てきた名前にぴくりと反応する。オリヴィア・ローズウッド、まだ会っていない最後の攻略対象者。ローズウッド侯爵家の一人娘で、ノアかライナスの有力な婚約者候補だと言われている17歳の令嬢だ。
ただ彼女は滅多に表に姿を現さない。王立学園にも通っていないし、社交界にもあまり顔を出さないのだとか。そんな彼女がセナのお披露目パーティーに出席するということは、やはり本編と同じでセナの『秘密の幼馴染』なのだろう。
「一度お茶を共にしたんだが、彼女は何だか怖いと言うか……ベルティアは会ったことあるかい?」
「まぁ、お顔と雰囲気だけは……分かります」
ベルティアとして実際に会ったことはないけれど、ゲーム本編の彼女なら知っている。彼女は言わば『女版ノア・ムーングレイ』だ。ベルティアがノアの秘密の幼馴染なら、オリヴィアにとってのベルティアがセナで、彼女もまたセナに執着しているような人間。
アルファとしてのオーラや威圧感はノアにも負けない人物で、静かな獣と言ったところか。ノアのように心のままに行動するタイプではないけれど、一度彼女に目をつけられたら地獄の果てまで追いかけられるようなイメージだ。
「とにかく、情けないことに気圧されてしまってね。つい、パートナーが決まっていると言ってしまったんだよ」
「なるほど……お気持ちはお察しします」
「ありがとう。そう思うならぜひ、僕と一緒にパーティーに来てほしい」
「でも、なぜ俺なんですか? 殿下のパートナーになりたい人はこの学園にもたくさんいますよ」
「君がいいというのに理由が必要なら、理由をつけようか」
「え?」
「僕はただ、君がいい。それだけでは理由にならないかな」
予想外の出来事、パート2。本編ではそこまで関わりのなかった続編のメインキャラクターからこんなことを言われるなんて、どういうことなのだろうか?
もしかして今のベルティアが生きている世界は『ベルティア・レイクの幸福』の世界ではなく『聖なる瞳の幸福』の続編の世界で、ベルティアはそちらの悪役にもなっていたとしたら――
なんせベルティアが国外追放された後の出来事は描かれていないし、もしかしたら断罪後のベルティアは隣国に行った可能性だってある。そこでも悪役として巻き込まれた可能性を想像したけれど、セナが聖なる瞳としての能力を開花したタイミングなので、きっと続編のことは絡んでいないだろう。
難しく考えすぎだと自分を落ち着かせ、ベルティアはパーシヴァルの申し出を受けることにした。
「分かりました。その申し出、お受けします」
「よかった、ありがとう。君の分の衣装はこちらで用意するから気にしないでくれ」
「え、でも……」
「パートナーなのだから色味やデザインを合わせたいんだ。任せてくれるね?」
「……分かりました。ありがとうございます」
「てっきり振られると思っていたよ」
「振られるとは?」
「なんせ、君はノア殿のお気に入りだから。ノア殿のパートナーになっていると思ったんだ」
「それはないですよ。ノア殿下はセナ様のパートナーでしょうから。お誘いもいただいていませんし」
ノアに婚約者がいればセナのパートナーはライナスだっただろうが、婚約の話も出ているし第一王子のノアがパートナーになるのが妥当だ。それにベルティアは一度もノアとパーティーに出席したことはないし、そういうのは断り続けている。それを誘っても断られると彼も分かっているので何も言ってこないのだろう。
「君はノア殿を嫌っているというわけではなさそうなのに、なぜそんなに彼を遠ざけようとしているんだい?」
「それは……」
ベルティアと結ばれたら、全員狂ってしまうから。
そう打ち明けられたらどんなに心が軽くなるだろう。でもこれを言ったところで信じてもらえないのは分かっているし、頭がおかしい奴だと思われて終わりだ。
図書室にはベ
ルティアとパーシヴァル以外誰もいないし、パーシヴァルとは卒業したら二度と会うことはない。それなら別に昔のことを話してもいいかと、ベルティアは口を開いた。
「俺は男爵家の嫡男で、アルファなんです。ノア殿下の相手になるには全てが不釣り合いなんですよ」
「なぜ?」
「なぜ、って……まず身分が釣り合いません。次に性別。アルファの男同士が結婚したところで子供には恵まれませんよね。未来の国王陛下に子供ができないのは大問題です」
「なるほど。国が違うから当たり前だが、グラネージュは随分と“血”を重視するんだな」
「血?」
「血統だ。アルベハーフェンとは違うな」
「アルべハーフェンではどうやって婚約者や結婚相手を決めるんですか?」
「そんなの簡単だよ。自分が好きになった人を選ぶ」
そんなの、まるで小説のような恋物語だ。身分やバース性を無視して自分の心のままに相手を選ぶなんて、世間からの目や立場を考えたら自分にはできそうもないなとベルティアは苦笑した。