セナのお披露目パーティーから数週間が経ち、ベルティアとパーシヴァルの『恋人のフリ』作戦は徐々に開始された。とはいえ、無理に色んな人の前で恋人のフリをする必要はないので、図書室で隣同士に座るようになったり、時々昼食を一緒に摂るくらいの些細な変化。それでも噂に敏感で暇な令嬢や令息たちはすぐにベルティアたちの変化に気がついた。
「ベルティア、今日は一緒に昼食をどうかな?」
「はい、パーシヴァル様。ご一緒させてください」
普段なら『殿下』と呼んでいたのを『様』に変更し、距離が縮まったような印象を与える。最近は食堂で昼食をとるのではなく、パーシヴァルが事前に頼んでくれたランチボックスを受け取って外で食べることが増えた。パーシヴァルは自然にベルティアの隣に座り、時折小声で何か囁いたりと、恋人らしい仕草を演じてくれるものだ。
そんな二人の様子は当然、学園内の注目を集めた。
「まぁ、隣国の王太子と男爵令息が随分と親しそうね」
「パーシヴァル殿下は物好きですのね。よりによってあの方を」
「でも最近、ノア殿下があの男爵令息と距離を置いているみたい。それで乗り換えたのかしら」
予想通りの反応に、ベルティアは内心ほくそ笑んだ。分かる人には変化が分かっていて、ベルティアに関するよくない噂を流してくれている。ただ、肝心のノアの好感度は思うように下がらないのが今のベルティアにとって悩みの種だった。
《ノア・ムーングレイ 好感度:78%》
他国の王太子・パーシヴァルに無粋な協力を要請しても、お披露目パーティーから2%しか下がっていないのだ。むしろ、パーシヴァルと親しくしているベルティアを遠くから見つめる彼の瞳は、以前より切ない色を帯びているように見えた。
「(このままじゃダメだ。もっと決定的な何かが必要……)」
そんなことを考えながら午後の授業を受けていると、ベルティアは教室の窓から庭園を眺めていると、ある人影を見つけた。
ベルティアの視線の先にいるのは、温室管理人のアマンダと、図書室の管理人のフェリクス。アマンダが腕に抱えた花束を、フェリクスが片手に持った本と見比べながら談笑している姿が見えた。
「(あ、温室イベント……!)」
アマンダが抱えている花束を見て思い出したことがある。ベルティアの記憶が正しければ、温室は『聖なる瞳の幸福』で重要なイベントが起こる場所の一つが温室だった。
この王立学園内にある温室では年に一度『ムーンブルーミア』という希少な花が咲く。花びらが開くと昼間でも月のように光り輝いていて、その花に願い事をすると叶うと言われている。特にカップルでムーンブルーミアを見ると幸せになれる、という噂もあるのだ。
BLゲーム『聖なる瞳』の本編では一つの重要イベントして存在しており、主人公が誰と一緒にムーンブルーミアを見にくるかで誰のルートに進むのか決まるといっても過言ではない。
最近食堂ではセナとノアが一緒にいる姿をベルティアは目撃していたし、今の状況だと限りなくノアルートになっているのではないだろうか。イベントがあるのはお披露目パーティーから二週間後の放課後。日数を数えてみると、なんと今日がそのイベントの日だったのだ。
これは絶対にチャンスだ。今日を逃すわけにはいかない。
授業終了のチャイムが鳴ると同時に、ベルティアは教室を飛び出してパーシヴァルを探した。
「パーシヴァル殿下」
「ああ、ベルティア。どうした?」
「少しお願いがあるんです。例の件で……」
パーシヴァルはまだ教室に残っていたので呼び出せたが、教室の中をちらっと覗くとノアの姿は見当たらなかった。
「あの、ノア殿下はもう帰られたか分かりますか?」
「いや、確か授業のあとすぐにセナ殿が来て、二人でどこかに行ったよ」
「!」
思いがけない情報にベルティアはパッと顔を明るくする。こんなに絶妙なタイミングでセナがノアを呼び出して二人がどこかに行ったなんて、確実にイベントのために違いない。ベルティアはセナがノアルートを進んでいると踏んで、パーシヴァルに協力を要請することにした。
「俺と一緒に温室に行ってほしいんです。そこでムーンブルーミアを見るフリをしてほしくて」
「ムーンブルーミアというと、グラネージュで年に一度咲く花だっていう?」
「そうです。まだ生徒に発表はありませんが……先ほど、温室管理人のアマンダさんが持っているのを見たんです」
毎年、ムーンブルーミアが咲くと生徒に発表される。それから温室の特別エリアに入る許可が出るのだけれど、主人公であるセナは温室管理人から偶然話を聞くのだ。まだ生徒の誰も見ていないムーンブルーミアを攻略対象者と特別に見ることで距離が縮まる一大イベントなのである。
「多分、温室にノア殿下とセナ様が行くはずで……」
「なるほど。確かムーンブルーミアに願い事をすると幸せになれるとかなんとか令嬢たちが言っていたけど、それを実行している僕たちのことをノア殿に見せたいわけだね」
「そういうことです。できれば親密そうなフリをしていただけると……」
「じゃあたとえば、口付けとか」
「へっ?」
とん、っとベルティアは壁際に追い詰められる。突然の出来事にパーシヴァルを見上げると「こういうことを君は僕に望んでいる。そうだよね?」とにこやかな笑みを返された。
「そ、そういうことです、はい……」
「分かった。君がそれで良ければ、僕は構わないよ」
パーシヴァルの笑みにぞわっと背筋が粟立つ。基本的にはノアと同じでパーシヴァルも人当たりがよくて優しいけれど、彼を深く知るたびに何だか怖いと思うことも。人の性格に文句を言えるほどベルティアも人間ができているわけではないが、彼に関してはあまり深く足を踏み入れないほうがいいと本能が警報を鳴らしている気がした。
「――ああ、本当にいるね」
温室に向かうと、すでに中ではノアとセナが花を見ながら談笑していた。二人に気づかれないようにベルティアとパーシヴァルは温室の中に入り、二人の様子を観察するために身を潜める。ベルティアは二人を観察しながらキョロキョロと温室の中を見回し、ムーンブルーミアの特別展示エリアを見つけた。
パーシヴァルの服を引いて温室の一角を指差し、二人は顔を見合わせて頷く。幸い、ノアたちよりもベルティアたちのほうが特別展示エリアに近かったので、そそくさとムーンブルーミアに近づいた。パーシヴァルは役に入り切っていているのか慣れた手つきでベルティアの細い腰を抱き、ケースの中で光っているムーンブルーミアを二人で見つめた。
「これは、思っていたよりも美しいな……」
「パーシヴァル様にそう言っていただけて嬉しいです。アルべハーフェンは花の国とも言われていますから……そちらに咲いているものには劣るかと思っていました」
「そんなことはない。これは確かに、令嬢たちが幸せになると噂するのも頷ける」
ベルティアとパーシヴァルはムーンブルーミアの美しさに目を奪われ感嘆の声を上げたが、今日はこれが目的なわけではない。展示越しに二人を確認してみると、まだノアとセナはベルティアたちに気づいていない様子だった。そう思ったタイミングでセナの体がこちらを向きそうだったのでパーシヴァルに合図をすると、彼はベルティアの体を抱き寄せて頬に手を添えた。
「あ……」
セナの小さな驚きの声が聞こえ、続いてノアの「何を……」という低い声が温室の中に響く。
ノアとセナの二人がいる位置からはベルティアたちが口付けしているように見えるだろうが、実際は唇が触れる数センチ手前で止まっている。パーシヴァルの大きな手で隠れているから見えないだけで、ぱっと見は口付けしているように見えるだろう。
ベルティアはパーシヴァルの服を掴んだまま踵を浮かせているので、よりリアリティが増しているはず。薄目を開けてノアとセナを確認すると、セナは少し頬を染めて手を口元に当て、ノアは――
《ノア・ムーングレイ 好感度:65%》
《セナ・フェルローネ 好感度:80%》
ノアの好感度は13%、セナの好感度は7%も一気に下がった。ノアの金色の瞳が震えているのが遠目からも分かる。彼はまるで世界の終わりを見たような絶望的な表情を浮かべていて、その姿にズキッと胸が痛んだことにベルティアは気がつかないフリをした。