「し、失礼しました! お邪魔して本当に申し訳ありません! い、行きましょう、殿下……!」
セナが慌てて頭を下げて温室を出て行こうとするが、ノアはベルティアとパーシヴァルを見つめたまま動かない。まるで本当に口付けをしたかのようにパーシヴァルがベルティアの唇を親指で拭うと、彼は拳を握りしめてギリっと歯を食いしばる。ノアは『殺してやる』とでも言うような顔をしていて、そんな表情にベルティアは背筋が凍りつくのが分かった。
「ベルティア・レイク」
冷たく、低い声が響き渡る。まるで冬の日に凍りついた水の中に落ちたかと思うほど、ノアの声は失望や怒りを含んでいた。そして彼の凍てつく態度に、ベルティアだけではなくセナやパーシヴァルもごくりと唾を飲み込んだ。
「来なさい、話がある」
完全に怒っている。ノアの言うことを聞く義理なんてないと思ったけれど、有無を言わせぬ『王の資質』が彼に逆らうことを拒否させた。
――ああ、もう。こっちが頑張ってるんだから、少しくらい察してくれよ。
心の中でそんな悪態をついてみたけれど、もちろんノアには伝わっていない。今にも飛びかかってきそうな狼のような顔をしたままベルティアをじっと見つめていて、仕方なく一歩踏み出そうとしたところをパーシヴァルが優しく制止した。
「ベルティアは僕と先約がありまして……それでもですか? ノア殿」
「……貴殿に話はありません。俺はベルティアと話があります」
「それでも、そんなに獣のようなアルファの威圧感を出されると、ベルティアも萎縮してしまいます」
「たったこれだけで萎縮するような小さき心臓の持ち主であるなら、俺の前であんなことはできないだろう」
「だからと言って、」
「パーシヴァル殿。これは幼馴染である俺とベルティアの問題なので、口を挟まないでいただけると有難い」
とてつもなく怒っている今のノアに何を言っても無駄なのは、この国の中でベルティアが一番知っている。主人公であるセナを放置して大事なイベントを台無しにしてしまったのは申し訳ないけれど、ここでノアを拒否し続けると好感度が100%の時のように監禁されるかもしれない、と思うくらいの気迫だった。
「パーシヴァル殿下、今日はありがとうございました。また明日お会いできたら嬉しいです」
「ベルティア……」
「大丈夫です。ノア殿下は優しい方なので」
ノアにも聞こえるようにわざとそう言ったのだが、彼は相変わらず金色の瞳をギラつかせて睨んでいた。パーシヴァルに「もしよければセナ様をお願いしてもよろしいですか?」と頼むと彼は頷いてくれたので、ベルティアはノアに腕を引かれて温室を出る。
骨が軋む音がするほど強い力で掴まれ、ノアにされるがまま連れて行かれたのは学園内にあるサロンの一室。どこからともなく現れたレオナルドに「しばらく人払いをしろ」と短く言って、ベルティアは大きなソファの上に投げ飛ばされた。
「ちょ、ノア殿下……っ!」
「俺が、隣国の王太子相手なら何も言えないと思ったんだろう?」
「まって、話を聞いてください!」
「お前とパーシヴァル殿の馴れ初めか? ハッ、そんな話には欠片も興味がない。それよりも
今までも何回か『狂愛』の片鱗を見たが、段違いだ。押し倒され、すごい力で腕を押さえつけられている今のベルティアにはどこにも逃げ場はなく、冷たい金色の瞳がただ見下ろしているだけ。その瞳に初めて恐怖を抱いた。
攻略対象者が狂っていくのは好感度が上がれば上がるほどだと思っていたのだが、もうすぐ50%を下回りそうだからなのか、もしかしたら50%が狂うか狂わないかの境界線なのかもしれない。
きっとノアは今、ベルティアを選ぶかセナを選ぶかで葛藤しているのだろう。ベルティアやセナはノアだけではなく攻略対象者たちの気持ちを『操作』しているようなものなので、急激に自分の気持ちが変化していく事実に心が追いつけないでいるのだ。
「(あなたの
どうか安心して、セナの元へ続く道を歩んでほしい。こっちの道は危ないのだと教えているのだから、素直にその助言を受け入れてほしい。
でも、言葉とは裏腹にノアが顔を歪めて泣きそうにしているものだから、強気で嫌味な言葉が一つもベルティアの口から出てこなかった。むしろベルティアの腕を掴んでいるノアの手が震えていることに気がついて、ぎゅっと胸が締め付けられる。ノアの表情や行動に感情が左右されるなんて、悪役が似合わなすぎるなと自嘲した。
「……アルべハーフェンでは、アルファの同性同士の結婚は珍しくないそうです」
「それが?」
「アルファの男性がビッチングしてオメガになったり、身寄りのない子供を引き取って育てたり……国が違えば、同性同士でも色んなやり方があることを知りました」
「ベルが言いたいことは分かる。それはアルべハーフェンでの話で、グラネージュでは違うと。俺とお前が一緒になったところで祝福してくれる人は誰もいない、国のためにならない、正しい道がある。そう言いたいんだろう?」
ノアは顔をしかめながら「レオナルドからもベルからも、何度も言われたことだからな」と言葉を続ける。ノアを拒否する他の理由はいつも同じなので、彼もうんざりしているのだろう。ただ、ベルティアはそれが断る理由だと頷くしかない。何年も、何度も、これから先もそう言い続けないといけないのだ。それでもきっと彼は納得しないだろうけれど。
「パーシヴァル様のことを、好きになってしまったんです」
「は……」
「俺にはこの人なんだと、思ってしまったんです」
嫌われるなら、地に落ちるまで。
《ノア・ムーングレイ 好感度:50%》
ノアの頭上に表示された文字をぼーっと見ながら、ベルティアの心は凍りついた気がした。
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【第2章 好感度変化】
✧ノア・ムーングレイ✧
好感度:
93%→83%→80%→78%→65%→50%
✧ジェイド・ベドガー✧
好感度:64%
✧セナ・フェルローネ✧
好感度:90%→87%→80%
✧ライナス・ムーングレイ✧
好感度:47%
✧オリヴィア・ローズウッド✧
好感度:-5%