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第4章:断罪へのカウントダウン



 ――夢を見た。


 今までの人生であまり嗅いだことがない、重すぎる鉄の匂い。どろりとしたそれがつま先に触れる寸前に足を引っ込めると、ジャラッと金属同士がぶつかる音がした。


 まるで囚人のような足枷が装着されていて、そこから伸びている鎖が後ろの柱に括り付けられている。手首も同じように重い拘束具がつけられていて、後ろの柱に背中がぶつかってそれ以上は逃げられないことを瞬時に悟った。


「――ベルティア」

「あ、ぁ……」

「お前のために、邪魔者は全員殺した。これでお前は俺を選んでくれるな?」


 全身に返り血を浴び、片手には赤く染まった剣、もう片方の手には国王陛下の首を持ったノアがにっこりと微笑んでいる。そんなノアから逃れるために身を捩るが、ベルティアに逃げ場はなかった。


「これでグラネージュは俺とお前の国だ。俺たちの仲を引き裂く者はもういない……ベル、幸せになろう」


 血で染まったノアの手がくいっと顎を持ち上げ、静止する間もなく唇が重なる。誰のものかも分からない血の味が口の中いっぱいに広まって、ベルティアはただただ泣きながらそれを受け入れるしかなかった。


 ノアを狂わせてしまった自分が悪い。だから、彼を受け入れなければ――


 「愛している、ベルティア・レイク。これでお前も幸せだろう?」


 ――俺の『幸福しあわせ』は……


 「……はぁ、は……ッ!」


 目が覚めてすぐ周りを確認すると、なんの変哲もない寮の部屋だったことにベルティアは安堵した。うなされて起きたので汗をびっしょりかいていて、服が肌に張り付いて気持ち悪い。ベルティアは汗で額に張り付く髪の毛を掻き上げ、寝巻きのボタンを外しながら浴室へ歩みを進めた。


 こういう時、寮暮らしでも一室ずつ浴室がついていてよかったと心から思う。寮に住むのは大体実家が遠いベルティアやジェイドなどの生徒が利用するのだが、部屋も貴族仕様である。ベルティアは特待生というのもあり学費や食費は無料で提供され、伯爵位を持つジェイドと同じ部屋のグレードの使用を許可されているのだ。


 だから一人部屋だし、24時間温かいお湯が出てる浴室も付いている。夜中にうなされて飛び起き、汗で濡れた体を清めるなんてこの状況以外だったらできなかったことだろう。ベルティアは脱衣所に寝巻きを脱ぎ捨て、浴室の蛇口を捻った。


 実のところ、悪夢にうなされて起きるのは一度や二度ではない。前世の記憶が蘇ってから何度かこのようなことがあり、最近は頻発している。おかげで寝不足で、毎日目の下にクマを作っているくらいだ。


 卒業パーティーが日に日に迫るなか、ベルティアを取り巻く状況はほとんどと言っていいほど変わっていない。ライナスやジェイド、それにセナは放置しているとそれぞれ10%ほど減少し、ライナスは30%になり、ジェイドは44%、セナは70%になっていた。


 問題なのはノアで、彼は50%からぴくりとも動かない。婚約の話についてもベルティアの実家から断りの書状が届いているはずだが、それでも彼は変わらなかった。


 夜空に静かに浮かぶ月のような瞳が文字通りじっとベルティアをどこからか見つめている気がして、そんなノアの視線にゲームでのことを思い出す。ゲーム内で攻略対象者と結ばれたその後、闇落ちした時の話は前世のベルティアが見た限りでは詳細に描かれておらず、いくつかの文章だけで完結していた。


 なのでこんなにも生々しい夢を見るはずがないのに、まるで経験したかのようにリアルな悪夢にうなされる。濃い血の匂いや真っ赤に染まったノアの手があまりにもリアルで、恐怖を抱くほど。


「ベルティア、聞いてるかい?」

「――っはい、すみません!」

「ふふ、聞いていなかったね?」

「す、すみません……」


 ハッと気がつくと、ベルティアは学園の温室にいた。隣にはパーシヴァルがいて、二人の間にはランチボックスが置かれてある。パーシヴァルから誘われて一緒にランチをしていたのだと思い出したがパーシヴァルの話は全く聞いていなくて、ベルティアはバツが悪そうな顔をして地面を見つめた。


「最近なんだか元気がないね。何かあった?」

「いえ、そんな……ちょっと面白い本があって、夜更かしをしているだけです」

「そうは見えないけど……そうなんだね」

「ところで、殿下のお話というのは……?」

「ああ。今度“ムーン・ナイト”という催しがあると聞いてね。パートナーになりたい人にお揃いのアクセサリーをプレゼントして申し込みをするのだとか」

「そういえば、もうそんな時期ですね……」


 王立学園で一年のうちに最も重要な一大イベントが『ムーン・ナイト』といわれるダンスパーティーだ。


 隣国のアルべハーフェンが別名『花の国』と呼ばれているように、グラネージュは『月の国』と呼ばれているのだ。はるか昔、この地上に大陸ができたころ、領地を奪い合う人間同士の戦いが横行していた時代があった。そんな人間の醜い争いが繰り返されるのを見るに耐えかねた月の民が争いを鎮め、月の国を作ったとされている。


 月の民、いわゆる神様から国をまとめる使命を授かったのが初代ムーングレイ王で、それ以来ムーングレイ王家が秩序を保っていると言われているのだ。これは事実だと言う人もいれば、ただの神話だとおとぎ話のように聞かせる人もいる。


 とにかく、グラネージュを象徴するものが月であり、ムーン・ナイトでパートナーの申し込みをする際には月をモチーフにしたアクセサリーを相手に渡すのだ。無事にパートナーになれば当日はお揃いのアクセサリーを身につけてパーティーに参加するというロマンチックなイベント。


 もちろんゲーム本編でもこのイベントは重要なもので、主人公と攻略対象者の距離がグッと縮まるし、好感度が爆上がりするのだ。


「では、ベルティア・レイク殿。僕のパートナーになっていただけますか?」


 そう言いながらパーシヴァルはダークブルーの綺麗な小箱を取り出し、ぱかっと蓋を開ける。小箱の中に鎮座していたのは、シルバーを基調にダイヤや青い宝石をふんだんに使った三日月型のブローチだった。


「で、殿下……こういうのは殿下が本当に行きたいと思う方にお渡ししてください! さすがに、こんなことまでお願いはできません」

「それなら僕は、君に申し込みをするので合ってる。一緒に行くなら君しかいないと思ったんだ」

「でも……!」

「ベルティア。僕は君を……愛おしく思ってる」


 ゲームにもこんな展開はなかった。


 ――もしかして隠しルートがあったりしたのか?


 本来ならほとんど関わることのなかった続編のメインキャラクターから気持ちを告げられ、ベルティアは呼吸するのを忘れてしまった。




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