それからあっという間にムーン・ナイトの当日になり、朝から学園内は浮き足立っている。セナのお披露目パーティーの時と同じようにベルティアの衣装はパーシヴァルが用意をしてくれて、白を基調とした綺麗な服にまた度肝を抜かれた。
「やっぱりベルティアは何を着ても似合うね」
「そんなお世辞を……今回も素敵な衣装を用意してくださってすみません、ありがとうございます」
セナが来るかとヒヤヒヤしたけれど、結局会場のエスコートはパーシヴァルがパートナーとして務めてくれた。セナはといえば、最後にノアと一緒に入場して他の生徒たちの話題を攫ったものだ。
「ベルティア先輩! 今日も素敵なお衣装ですねっ」
「パーシヴァル殿下のおかげです。セナ様も素敵ですよ」
「ありがとうございます、嬉しいです!」
一度目のダンスが終了した後、セナは笑顔でベルティアの元へ駆け寄ってくる。お披露目パーティーの時と同じようにセナとノアはリンクコーデになっていて、まさしくムーン・ナイトの主役だと言えるだろう。
ただ忘れてはいけないのが、セナとベルティアの腕にはお揃いのブレスレットが輝いているということ。セナはするりとベルティアの手を握り「ベルティア先輩、僕と一緒に踊ってください」と微笑んだ。
「えっと、でも……」
注目されるのは避けたいけれど、この会場にいること自体が注目の的なので意味がない。それでも一緒に踊るのは……とパーシヴァルやノアに助けを求めたが、二人ともあっという間に女生徒たちに囲まれて助けは求められなかった。
「王子様とじゃ幸せになれないよ。主人公である僕の手を取らなくちゃ」
「えっ?」
セナにダンスホールへ手を引かれながら、周りの音楽や会話に紛れて彼の言葉がよく聞き取れなかった。でも『主人公』という言葉だけは聞こえた気がする。その言葉をセナがどういう意味で使ったのか分からなくて呆然としていると、いつの間にかベルティアがリードされる側でダンスが始まろうとしていた。
「お、俺がこっち側なんですか?」
「もちろん。僕はあなたを守りたい側だから」
「それってどういう……」
「ふふ。そのままの意味です」
困惑するベルティアをよそにセナはくすくす笑っていて、音楽は容赦なくスタートした。パーシヴァルと踊った時もリードされる側で踊ったので戸惑いはしなかったけれど、相手がセナであることは違和感だ。
音楽に混ざって周りの生徒たちが嘲笑している声が聞こえてくる。もしかしてセナはわざと自分がリードする側を担当し、ベルティアに恥をかかせようとしたのだろうか。はたから見れば役目が逆に思えるだろうから、セナにリードされるベルティアはさぞ滑稽に見えるだろう。
「僕、今すごく夢を見てるみたいです」
「夢……?」
「ベルティア先輩とこうやって踊るのが夢だったんです」
ベルティアより少し背が低いセナは、下から大きな瞳でじっと見つめてきた。最初に会った時も思ったことだが、この金色の瞳から見つめられると全てを見透かされているようで胸がざわつく。ベルティアと踊るのが夢だったと言うセナに、ベルティアは何も言葉が浮かんでこなかった。
「ベルティア先輩、卒業したらその後はどうするか決まってます?」
「ええと……まだ詳しくは決めてません。とりあえず実家に戻るかなと思いますが……」
「卒業したら僕の側にいてくれるのはダメですか?」
「は……?」
「結婚が一番ですけど、身分が気になるなら側近とか。聖なる瞳の側近に就職って、結構大出世じゃないですか? 悪くない話だと思うんですけど」
「ま、待ってください。なんでそんな、俺がセナ様の側近?結婚? 冗談はよしてください!」
「冗談なんかじゃないです。僕はずっと……ずっと……」
セナの瞳の色が変わった気がした。彼の金色の瞳に『欲』が混ざっていて、ぞわりと背筋が粟立つ。逃げようとした腰をグッと抑え込まれ、至近距離にセナの顔が迫っていてドッと心臓が大きく跳ねた。
「まって、やだ、いやです! こんなところでやめ……っ」
「じゃあ、別室に移動したら続きをしてもいいってことですか?」
「そういう意味じゃな、ちがいますっ」
「戸惑ってる先輩、かわい……泣かせたくないけど、ぐちゃぐちゃにしちゃいたい……」
「ひぇっ!?」
どさくさに紛れてセナの手が服の上から
「……ベルティア先輩って、アルファっぽくないですね」
「へ、ぁ……?」
「赤ちゃん、孕めるんじゃないですか?」
「やっ、そんなことな……ッ」
――ダメだ、なんかもう、足に力が入らない。
膝からガクンっと崩れ落ちる覚悟だったけれど、崩れ落ちる前に誰かに腕を引かれたかと思えば厚い胸板にベルティアは顔を押し付けていた。
「ベル……! 大丈夫か、どうしたんだ!」
「ノア殿下……?」
「何があった、苦しいのか!? 今すぐ医師を呼ぶから辛抱してくれ……ッ」
「ちが……からだ、あつ…ノア様……からだあつい、助けてぇ……っ」
ベルティアの頭の中はハチミツだのアイスクリームだのチョコレートだのがドロドロに溶け切って混ざり合っているような感覚で、ただ目の前に見えたノアの顔に安心して思わず縋っていた。突然熱くなった体をどうしたらいいのか分からず泣いているベルティアをノアは抱き上げた。
「――みな、引き続き素敵な夜を楽しんでくれ。レオナルド、馬車を」
混乱する会場を後にして、ノアはベルティアを抱えたまま王宮へと馬車を急がせた。ノアの突然の帰還に使用人たちは驚いていたが、ノアは「しばらく近づくな。俺が呼んだらお前だけ来い、レオ」と早口で要件だけを告げ、ノアは自室に鍵をかけて閉じこもった。
「んん、どこ……?」
「俺の部屋だ。誰もいないから安心しなさい」
「ノアさまの……」
ふわふわ、とろとろ、ぼんやりしているベルティアを前に、ノアはふーっと荒い息を吐いて呼吸を整える。大きいベッドの上にベルティアが横たわっていて「みず……」とうわ言のように呟きながらはふはふと口を動かしているので、ベッドサイドに置いてあった水を口に含みノアはベルティアに口付けた。
「んく、ぷぁ……っ」
「いい子だ、ベル。俺がいるから、安心して眠りなさい」
「ずっと……?」
「ん?」
「ずっといっしょにいてくれますか……? かわいくないことばっかり言って、おこってませんか……きらいになりました、か……」
ノアの手をベルティアはぎゅっと握りしめる。ボロボロと涙を零しながらノアに話しかけるベルティアを見て、ノアはぎゅっと唇を噛み締めた。
どうやったらベルティアのことを嫌いになれるのか、むしろ教えてほしいくらいだと苦笑する。ノアはベルティアの涙を拭いながらもう一度赤い唇に口付けて「愛してるよ」と呟くと、ベルティアは安心したように微笑んで眠りについた。
「……
ぐしゃりと髪の毛を掻き上げ、ノアは自身の腕に爪を食い込ませて鈍い痛みを感じながらため息をついた。
《ノア・ムーングレイ 好感度:70%》
「お前と出会ってから、嫌いだった瞬間なんて一度もない。これからも俺はそうなんだよ、ベルティア……」
汗が滲む額に唇で触れ、ノアはそっとベッドを離れた。