「……大丈夫だったか?」
「オメガ同士ですよ? 心配しすぎです」
「……セナ殿はお前を狙っているように見える」
セナと話をした後、隣室のサロンで待っていたノアはむすっとしたような顔をベルティアに向けた。彼は誰でもかれでも敵に見えるのだなと思うと可愛らしく思えて、ベルティアはくすくす笑いながらノアの頬を撫でる。彼は不満そうな顔をしながらもベルティアの細い手に顔を擦り寄せてきて、そのまま近づいてきたノアの唇が重なった。
「学園内でこういうことをするのは、だめです……誰かに見られたら大事ですよ」
「ふ、この学園の中で俺より偉い人間が? 口封じをしよう」
「そういう態度はいかがなものかと。破滅の王の道を歩んでしまいますよ」
「冗談だ」
ベルティアが見た夢の話をノアにすると、彼はそうならないように王位継承を放棄すると言い出した。ライナスがいるから国自体は大丈夫だと笑うので、滅多なことは言うものではないとベルティアが窘めたものだ。
「それで、大事な話とやらはできたのか?」
「はい。本来は国のためにある力ですが、セナ様に“聖なる瞳”のお力を貸していただきました」
「……何が分かった?」
セナが持つ『聖なる瞳』の力はいわゆる千里眼で、遠くの様子や未来を見通すことができるとされる能力のことだ。本来は国の安泰のために使われる力だが、今回はベルティアの友人として私的に行使した、というていで話を進めることにした。
「ノア殿下。もし殿下が本当に俺との未来を歩んでくださるのであれば……今度の卒業式の前に、一緒に行きたい場所があるんです」
「行きたい場所?」
「はい。できればルーファス殿下の日記を持って……もしかしたら日記が消失することになるかもしれません。それでもよければ、ですが……」
「分かった。必ず行くと約束しよう」
「理由も聞かずに即答ですか?」
「お前のことを疑ったことなんてないよ。ベルが言うのならそれを信じるだけだ」
あっけらかんとそう言い放つノアが正直心配になった。ただ、普段の彼なら理由も聞かずに即答するような性格ではないので、ベルティアのことを本当に信頼しているからこその言葉なのだなと思うと結局心配よりも嬉しさが勝ってしまう。
《ノア・ムーングレイ 好感度:90%》
一度は50%を切った好感度が数日であっという間に戻ってしまって、時間をかけてやってきた努力が水の泡だとベルティアは苦笑する。でもきっと、このまま『聖なる瞳の幸福』と同じ結末になっていたら、ベルティアはこれからの人生を後悔しながら生きていく自信があった。ただ、違う人生を歩める道を教えてくれたのはセナで、セナもベルティアと同じ転生者だから助かっただけの話。
もしもセナがいなければ――ベルティアは今、ノアの腕の中には抱かれていないだろう。
「ベル、もちろんお前のことは信頼しているんだが……」
「?」
「パーシヴァル殿とは、その……たとえフリだったとしても、ちゃ、ちゃんと別れたのか?」
ノアが頬をぽりぽり掻きながら気まずそうに聞いてきて、ベルティアは思わず声を出して笑う。そんなベルティアの態度に彼はまたムッと唇を尖らせ「だ、大事なことだろう!?」と必死に訴えるので、ベルティアはさらに涙が出るほど笑ってしまった。
「ふふっ。実はまだ、お別れできていないんです」
「な……」
「お会いする時間がなくて……俺はまだパーシヴァル殿下の恋人なので、隣国の王太子に喧嘩を売ってることになりますね」
「いや、元はと言えばパーシヴァル殿が俺のベルティアに手を出したんだろう!」
「俺はノア殿下のものだった記憶はありませんが?」
「意地が悪いぞ、ベル。お前は生まれた時から俺のもので、俺は生まれた時からお前のものなんだ」
甘えたような瞳をして、ノアが額をぐりっと押し付けてくる。人懐っこい狼のように見える大きな彼が愛おしくて、ベルティアは踵を浮かせて優しく口付けた。
「……アルファとオメガには“運命の番”というものが存在するらしいです」
「ああ、古い本で読んだことがある」
「俺たちは始めこそ違いましたが、俺はきっと、あなたのためのオメガになったんです」
「ベルティア……」
今はもう、これが自分の運命だと受け入れる。ノアを好きな自分が『ベルティア・レイク』だと、胸を張って言えるのだ。
そう思いながら愛情たっぷりのキスを繰り返した日の放課後、ベルティアは図書室でパーシヴァルと落ち合っていた。
「体調が落ち着いて良かったよ、ベルティア」
「ムーン・ナイトではご迷惑をおかけしました、殿下。おかげさまですっかり良くなりました」
「……ノア殿から、君がオメガに転換したと聞いた。だから面会は限られた人間しかできないと」
「そうですね……正式にオメガの診断結果が出ました。ノア殿下はアルファとして庇護欲が発動し、誰にも会わせたがらなかったんだと思います」
放課後、好き好んで図書室に足を運ぶ生徒はほとんどいない。特に卒業が間近に迫っているので、みんなパーティーの準備で忙しいのだ。つまりこの図書室にはベルティアとパーシヴァルしかいないので、先日ムーン・ナイトのパートナーとしてもらったお揃いのブローチをパーシヴァルに差し出した。
「お返しします。俺が持っているにはあまりにも……分不相応ですので」
「……これは、この前の返事も含まれているのかな?」
パーシヴァルの言う『この前の返事』とは、卒業したらアルべハーフェンに一緒に来てほしい、という告白のことだろう。パーシヴァルの瞳が揺れていたが、ベルティアは真っ直ぐに見つめて「申し訳ありません」と呟いた。
「まあ、こうなるだろうとは思っていた」
「え?」
「君とノア殿はあまりにも、強く惹かれ合っていたから」
「……」
「君たちが一緒にいられる理由は、オメガに転換したから見つけられたのかい?」
「……いえ。生まれた時から、お互いが理由だったんです。険しい道になるかもしれないけれど、その理由で捨てられる気持ちではありませんでした」
ベルティアの言葉にパーシヴァルは両手を上げ「参った。これは降参だ」と言って苦笑した。
「ノア殿下に勝てないのは分かった。でも、もしも、辛くなるようなことがあれば僕を頼ってほしい」
「パーシヴァル殿下……」
「僕はいつでもアルべハーフェンにいる。友人として、ベルティアの一番の味方でいると約束しよう。だからこのブローチは、その証として持っていてほしい」
パーシヴァルに返そうとしたブローチが再びベルティアの元に戻ってくる。これから先、夜空に浮かぶ三日月を見た時はきっとパーシヴァルのことを思い出すだろうなと思うと、ベルティアの瞳からぽろりと涙が零れ落ちた。
「ほんとうにっ、ありがとうございました……!」
止まらない涙を拭いながら頭を下げると優しい体温が伝わってきて、ベルティアはぐすっと鼻を啜った。