デレク・ハートフィールドとは、小説家の村上春樹がデビュー作『風の歌を聴け』に登場させた、架空の作家の名前である。
Wikipediaにも「デレク・ハートフィールド」というページがあるくらい有名な架空の人物である。
『風の歌を聴け』は1979年に発表された小説だが、その年はインターネットが一般的に広まったと言われているWindows95発売の16年前であり、当然スマートフォンなんかも存在していない。
今でこそ、デレク・ハートフィールドが架空の作家であることは、ちょっと検索したりAIに聞いたりすれば分かるけれども、当時の読者の多くが、デレク・ハートフィールドという作家が本当に存在すると思い、書店や図書館に問い合わせを寄せたらしい。
拙著『だけど絶対に愛しない』でも、デレク・ハートフィールドの件は言及した。
筆者がこれから展開する意見は懐古趣味だと非難されるかもしれないけれども、ちょっとお付き合いいただきたい。
というのも、スマホで「デレク・ハートフィールドというのは架空の人物だ」という答えにたどり着いたとする。
一方で、昔の人は、書店や図書館に問い合わせて初めて「デレク・ハートフィールドというのは架空の人物だ」という答えにたどり着く。
筆者の見解では、スマホでたどり着いた答えよりも、書店やら図書館やらに問い合わせてたどり着いた答えのほうが、人の心によく馴染(なじ)むとの考えだ。
スマホでは、色々な情報が収集できる。スマホで調べたことは、その中の一つにすぎず、「あれ?前にデレク・ハートフィールドのことを調べたんだけれど、実在したんだっけ、架空なんだっけ?」という状態になるのではないかと筆者は推測する。
一方で、書店や図書館にたずねて返ってきた「デレク・ハートフィールドは架空の人物だ」という答えは忘れない、そんな風に筆者は考える。筆者の主観が多分に含まれるけれども。
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話は変わって、名探偵のシャーロック・ホームズは架空の人物だ。一方で、イギリス人の一部の人は、「シャーロック・ホームズは実在した」あるいは「シャーロック・ホームズは実在したと思いたい」という考えを持っていると聞いたことがある。
もしかしたら、のちのち、シャーロック・ホームズはコナン・ドイルによる創作ではなく実在した名探偵ということになるかもしれない。
ハリー・ポッターも、インディ・ジョーンズも、ジェームス・ボンドも、実在したということになるかもしれない。
そういう観点からいくと、もしかしたら、のちのち、デレク・ハートフィールドは実在した、とされ、あるいは、デレク・ハートフィールドが書いたとされる小説なんかも(後付けで)発見されるかもしれない。
現在事実とされていることが、必ずしも未来で事実であるとは限らないのだ。
ネオページで創作をする諸君にとっては夢のある話ではないだろうか?
もしかしたら、自分がイチから生み出した架空の人物が、将来においては、本当に実在した歴史上の人物のように扱われるかもしれない可能性があるのだ。
坂本竜馬は実在した人物だが、坂本竜馬の人物像は、司馬遼太郎(しば・りょうたろう)が創作で肉付けしたキャラクターに多分に頼っているという話も聞く。
仮に、実在した人物であろうと、その振る舞いがそっくりそのまま後世に伝わるとは限らない。だから、未来の人にとっては、実在した人物も、小説に出てくる架空の人物もそう変わりはないのかもしれない。前者は歴史家によって語られ、後者は小説家によって語られる。
その違いは、もしかしたら、未来の人にとってきわめて些末な問題なのかもしれない。