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第60話 伊坂幸太郎・米澤穂信 論争


 日本のミステリー小説を牽引けんいん、というよりもはや、日本のエンターテイメント小説を牽引している伊坂幸太郎さん。


 そして、日本を代表するミステリー作家である米澤穂信さん。


 この二人の小説家を、筆者は敬愛しており、世間では一切語られていないが、伊坂幸太郎・米澤穂信論争というものを巻き起こしたい、という思いで筆者はここに記す。



 というのも、二人は日本を代表する小説家であるが、日本のエンタメ小説に与えられる直木三十五賞(直木賞)との関係性が二人はまったく異なるのだ。


 伊坂は、『重力ピエロ』、『チルドレン』、『グラスホッパー』、『死神の精度』、『砂漠』で直木賞候補になっている。


 一方で、『砂漠』で候補になったのを最後に、伊坂は直木賞候補になることを辞退している。


 (※伊坂が直木賞を辞退して以降、直木賞選考委員が「最近の作家は何回か候補になってくじけてしまう」などとする発言をしたと筆者は記憶していますが、 ウィキペディアや『直木賞のすべて』などを調べたところ、当該の発言を特定できませんでした。『文学賞メッタ斬り!』の誰かがそのような指摘をしていたのを混同しているのかな・・・。このような発言が事実かどうか、引き続き調査します)


 伊坂は『ゴールデンスランバー』で本屋大賞を受賞した。


 複数回候補になりながら、落選したという共通点でいうと、筆者が敬愛する村上春樹さん(彼の場合は芥川賞)もそうだ。


 ちなみに、伊坂幸太郎の文体と村上春樹の文体が似ているとたびたび指摘されるのだが、伊坂さんは「村上春樹よりも大江健三郎に影響を受けた」と語っている。

 伊坂さんは「村上春樹に似ている」という評価がお好きでないようである。わざわざ「大江健三郎のほうが好きだ」と言い出しているくらいだし・・・

 読者からすると別に構わないような気もするものの、やはり世代的に村上春樹フォロワーとアンチ村上春樹の対立構図もあるのだろうか・・・



 話は米澤穂信さんに移る。


 米澤さんは複数回直木賞候補になったのち、『黒牢城』で見事受賞を果たした。


 そして、なんと、現在では直木賞選考委員の仲間入りである。(筆者としては、米澤さんが直木賞選考会側の人間になってしまったのは誠に残念だ)


 というのも、筆者は、米澤さんも伊坂同様に直木賞に嫌われるだろうなと推測していたからである。


 米澤さんが『満願』で直木賞候補になったとき、あの選考委員が(現在は退任)、「事実とは異なる描写がある」と指摘をし、そのことも含めて落選したという過去があるからだ。


 『人生論』を愛読してくださっている皆さんにはたびたび同じ話をして恐縮だが、直木賞は政治である。


 特に、選考会の様子がうかがい知れる本選考はまだしも、日本文学振興会による候補の選定は完全にブラックボックスなのだ。


 2025年上半期の直木賞は「該当作なし」となった。

 選考委員にとっても苦渋の決断であろうが、「該当作なし」を出すのであれば、選考委員総辞職、あるいは半数入れ替えなど、直木賞側も責任を取らなくてはならないと筆者は考えている。

 「候補の中に直木賞に相応しいものがない」と断定したからには、選考委員も候補者と刺し違えるくらいの覚悟でのぞまなければならない。



 ちなみに、「直木賞嫌われ」で有名なのが大御所・筒井康隆先生である。


 筒井康隆先生は、直木賞を落選したあてつけに、廿という小説『大いなる助走』を執筆した。




 ここまで読んでいただくと、おわかりのとおり、筆者は、伊坂幸太郎さんと米澤穂信さんの名前を借りて直木賞批判をしたかっただけである。


 このまま、直木賞選考会が暴走を続ける限り、「直木賞ってなに?」という状態になってしまうことを筆者は危惧きぐしている。


 直木賞選考委員は勘違いをしているようだが、いまや直木賞にそれほど権威はないのだ!!!


 ところが、林真理子日本大学理事長を筆頭に、選考委員たちは裸の王様のようになってしまっている。

 もう、誰も選考委員に意見できないし、というか意見したところで聞いてくれないだろう。


 本当に、日本文学は危機的状況だ。


 ほんらい、日本文学を振興するための、芥川賞と直木賞に、逆に日本文学が滅ぼされる心配すらあると筆者は考えている。


 ・・・こういった話は、「日本文学衰退論」というシリーズを立ち上げたので、そちらで主張していこうかな。


 筆者があまりにも、芥川賞直木賞に対して最左翼であるばかりに、かなりヒートアップしすぎているきらいがある。反省、反省。



 本屋大賞受賞者の伊坂幸太郎さん。

 直木賞受賞者の米澤穂信さん。


 どちらがどうのという話ではないのだけれども、直木賞を受けたか受けていないかは、あまり作家の評価を左右しないものであってほしい。

 一方で、「直木賞作家」というバイアスはどうしてもかかってしまう。

 そして、筆者よりも下の世代(三十代以下)はおそらく、そのバイアスは持たないのではないか。


 面白いものは面白い。


 賞の結果いかんではなく、こそ、何より重要である。

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