あの日の一件があって以降、私たちは放課後のバスケの勝負以外にも一緒にいる時間が増えていくと、私の感情もどんどんと積もっていった。
そしてある日、家で本を読んでいた私は、それが初めて恋だということを知った。
気がついてしまえ納得するのは簡単で、私はすぐに、自分が柚奈に対して恋愛感情を抱いているのだと受け入れることができた。
しかし、だからと言って彼女にこの思いを伝えようなんて考えにはならず、むしろ私はこの気持ちを隠すことを選んだ。
その理由は単純で、告白をして振られた時に柚奈との今の関係を壊したく無かったのと、女同士の恋愛に対する世間の目が怖かったからだ。
そうして数週間が経ち夏休みが近づいた頃。
私の我慢していた感情が抑えられなくなる出来事が起こった。
「柚。さっき一緒にいた子は友達?」
「さっき?あぁ、
「幼馴染……」
放課後。
いつものように体育館へと来た私だったが、そこには柚奈の他にももう一人知らない女の子がいた。
普段であればこんなことは聞かないし、例え柚奈が知らない女の子といたとしても我慢することができる。
でも、私は目にしてしまったのだ。
柚奈がタオルで汗を拭いてもらい、私といる時とは違った笑顔を見せている姿を。
そんな姿を見てしまえば、抑えていた感情が溢れてしまうのは一瞬だった。
「どうかした?」
「別に、なんでもない」
「いや、なんでもなければそんな悲しそうな顔しないでしょ?なんかあったの?前に輝璃に助けてもらったし、あたしでよければ話を聞くよ?」
柚奈のその言葉が、彼女の優しさによるものだとは分かっているけれど、今はその優しさを向けられるのが辛かった私は、顔を逸らしてその場を立ち去ろうとする。
「待って。本当にどうしたの?」
「柚の…せいだよ…」
「…え?」
しかし、腕を掴んで柚奈に止められると、私はその場から離れることができず、我慢していた感情が言葉として出てしまう。
「こうなったのは、全部柚のせいだよ!柚が私の知らない女の子と親しげにしてるから!それで!」
「それって、どういう……」
「っ!もういい。今日はもう帰るから」
私は、自身の腕を掴んでいた柚奈の腕を強く振り払うと、まるで逃げるようにその場を後にする。
「なんで、あんな顔……」
逃げる途中、私の頭に浮かぶのはずっと柚奈のことばかりで、最後に見た彼女の顔がどうしても頭から離れなかった。
だって、あんなに傷ついたような顔をしている柚奈の顔を見るのは、初めてだったから。
「はぁ…はぁ……」
それから私は、特に当てもなく走り続けると、気が付けば学校から少し離れたところにある河川敷へと来ていた。
「うぅ……」
ずっと走っていたからか、走り疲れた私はそのまま河川敷の斜面に座ると、膝を抱えて俯く。
すると、落ち着いたからか今度は胸の奥から混乱や嫉妬、そしてただの友人でしかない自分がそんな感情を抱いていることへの自己嫌悪などが湧き出てきて、頭の中がどんどんグチャグチャになっていく。
「輝璃!!」
「え、柚……?」
そんな時、どこからか聞き慣れた柚奈の声が聞こえて慌てて顔を上げると、そこには私が走ってきた道を同じように息を切らしながら走ってくる柚奈の姿があった。
「どうして、柚が……」
「ほんっと。足が速いな、輝璃は。すぐに追いかけてきたはずなのに、全然追いつけなかった」
私の前で足を止めた柚奈は、息を切らしながらそう言って笑う。
「どうして、柚がここに」
「どうしてって、それは友達があんな泣きそうな顔をして急にいなくなったら、普通追いかけるでしょ」
「友達…そう、だよね。私たちは、友達…だもんね」
「そうだよ。なに?もしかして、あたしと友達なのは嫌なの?」
友達。
今まではその言葉でも満足できていたはずなのに、今は柚奈と知らないあの子の仲良さそうな姿が頭から離れず、その言葉がさらに私の心を傷つける。
「い…だ…」
「え?ごめん、ちゃんと聞き取れなかった。もう一回言ってくれる?」
「嫌だって言ったの」
「……え?」
「私は柚と友達じゃ嫌なの。ずっと一緒にいたい。私だけを見て欲しい。柚の隣を誰かに譲りたくもない。私は、私は……」
一度感情を言葉にしてしまえば、これまで抑えていたものが抑えきれなくなり、嫉妬という感情はまるで氾濫した川のように湧き出ては言葉として吐き出されていく。
「ごめん、輝璃。ずっと、色々と我慢させてたんだね」
そんな私を、しかし柚奈は遠ざけることも否定することもなく優しく抱きしめると、いつもとは違う優しい声でそう言って慰めようとしてくれる。
「あたし、鈍感だから、輝璃が何を抱えているのかはまだ分からないけど、よかったら教えてくれないかな。それがあたしに関係していることで、それで輝璃が辛いならあたしも辛いよ。だからお願い。あたしに輝璃が抱えているものを教えてくれない?」
柚奈のそんな優しい声で少し落ち着きを取り戻した私は、それでも一度溢れてしまったこの感情をこれ以上隠すことも抑えることもできず、このまま本当の気持ちを伝えることを決心する。
「私は、柚と友達じゃ嫌なんだ」
「それはさっきも聞いたよ。でも、どうして?」
「私は柚が好きなの」
「うん。あたしも輝璃が好きだよ。最初の出会いは良くなかったけど、だからこそ今は友達になったんじゃん」
「違う。私が言ってる好きは柚が言ってる友達の好きじゃなくて、私が言ってる好きは恋愛感情の好きなの」
「……え?」
私の告白を聞いた柚奈は、困惑したようにそう呟くと、それ以降は何も言わずただ私のことを見続ける。
それがどういう意味なのかは分からないが、答えをくれないということはつまり振られたということで、分かっていたことではあるけど、それでも涙が溢れてくる。
「ごめんね。突然こんなこと言われても理解できないよね。でも、これが私の気持ちなんだ。どうしようもなく柚が好きで、他の女の子と仲良くしている姿を見ると胸が締め付けられるように苦しくなる。嫉妬しちゃうんだ」
「輝璃……」
「はは。同じ女の子相手に、何言ってんだって話だよね。気持ち悪いよね。でも、もう耐えられないんだ。だから、もう柚とは一緒にいられない。本当にごめん」
私は、その言葉だけを残して柚奈に背を向けると、また逃げるように走り出した。
今度は、柚奈が追ってくれることはなかった。
それからの私たちの関係は、すっかり変わってしまった。
いや、むしろあるべき形に戻ったというのが正しいのかもしれない。
あの日以降、私たちが関わることは無くなり、一緒に帰ることも、バスケの勝負をすることも無くなってしまった。
「関わらなくなれば楽になれると思ったのに、もっと辛くなっちゃったな」
告白をして、振られて、それで楽になれると思っていた。
忘れられると思っていた。
でも、そんなことは無かった。
廊下ですれ違うだけで自然と目が彼女を追ってしまうし、無意識のうちに彼女を求めて体育館の方へと足を運んでしまう。
今の私は、告白をする前よりも柚奈のことで頭がいっぱいで、彼女のことを思う時間が増えてしまった。
「はぁ。これからどうしたらいいんだろう」
「輝璃」
「柚……?」
そんな消えないモヤモヤとした気持ちを胸に抱きながら、放課後になっても一人で教室に残っていた私に、何故かいつもなら部活にいるはずの柚奈が話しかけてくる。
「どうしてここに。今日は部活があるはずじゃ……」
「はは。サボっちゃった」
「え?」
柚奈の部活をサボったという言葉を聞いた私は、思わず驚いて次の言葉を詰まらせる。
だって、誰よりも部活を大切にし、何よりもバスケを好んで行動していたあの柚奈が、その部活をサボったというのだから、私が驚くのも無理はない。
「どうして……」
「うーん。まぁ、久しぶりに輝璃と話したいと思ってさ。あと、あの日の返事もまだしてないから」
あの日の返事。それは、私が嫉妬に塗れて吐き捨てるように言ってしまった告白のことで、柚奈は律儀にも、あの日の告白に返事をしようと大好きな部活をサボってまでここにきてくれたようだ。
「あれは……別に返事が欲しくて伝えたわけじゃないから気にしなくていいよ。それに、突然同性の私からあんなこと言われて気持ち悪かったでしょ。だから、お互いもう忘れよ」
「ううん。確かにあの時は驚いたけど、別に気持ち悪いとは思ってない。それに、忘れることなんてできないよ」
「どうして?」
「だって、友達が真剣に思いを伝えてくれたんだよ?だったら、あたしもしっかりとその気持ちに向き合わないと失礼だよ」
友達……か。
柚奈が私の思いを聞いて真剣に考えてくれたという言葉が嬉しい反面、友達がという言葉にズキリと胸が痛み、何とも言えない気持ちになる。
「なら、聞かせてくれるかな。私はどんな答えでも構わないから、柚が出した答えを知りたい」
「わかった。まず、これだけは正直にいうね。あたしは、今まで恋愛的な意味で人を好きになったことがないから、そういう感情がどういうものかわからない。あたしには、ずっとバスケが全てだったから」
「うん」
「それと、さっきも言ったけど、あたしは同性愛とかに否定的な考えはないし、例え他の誰かが自分は同性愛者だと言っても驚いたり否定はしない。人が誰かを好きになるのは当然のことだと思うし、その相手が誰であっても、あたしはその人の考えを尊重してあげたいと思ってる」
「はは。真っ直ぐな柚らしい考えだね」
「ありがと。でも、ここまではあくまでも第三者視点でのあたしの考え。ここからは、あたしが輝璃に告白されて、あたしが考えて見つけた答えなんだけど、やっぱり…あたしは告白をされても恋愛感情は分からなかった」
「そっか」
分かり切っていた答えだ。
バスケが大好きで、バスケが何よりも一番大切な柚奈にとって、きっと恋愛感情なんてものは必要なくて、だから振られる結果なんて目に見えていた。
それでも、ちゃんと考えて振ってくれたから、どれだけ悲しくても、どれだけ辛くても、ちゃんと前を向いて気持ちを切り替えられるかもしれない。
「ありがとう。これまでと同じように友達でっていうのはまだ難しいかもしれないけど、それでもたまには話してくれたら……」
「でも、輝璃と一緒にいられなくなって、寂しいと思った」
「……え?」
「あの日以来、輝璃があたしのことを避けるようになって、話すこともできなくなって、あたし…すごく寂しかった。いつも輝璃のことを探しちゃうし、気が付けば輝璃のことを目で追ってたこともあるし、何かあれば輝璃に話しかけようとして求めてたこともあった」
「それ、私と同じ…」
「はは。輝璃もそうだったんだ」
私も、何度も柚奈を探したことがあったし、目で追ってたこともあった。
それが彼女も一緒だったと聞いて嬉しくて、少しの希望が胸の中に生まれてしまう。
「あたしの中にはもう輝璃がいて、輝璃が近くにいない日常はありえないみたい。これが恋なのかはまだ分からないけど、それでも、輝璃と離れるのは嫌だと思った。だから、我儘で自分勝手な答えかもしれないけど、こんなあたしでもよければ付き合って欲しい。輝璃ともっと一緒にいる時間が増えて、少しでも関係が変われば、あたしの今のこの気持ちが何なのか分かると思うんだ。それでもいいかな」
「本当に、いいの?こんな面倒な私と付き合うんだよ?後悔しない?」
「後悔なんてしないよ。むしろ、私の方が申し訳ないよ。こんな曖昧な答えしかできなくて。それでも許してくれるなら、私の彼女になってください」
「うぅ…ありがとう。少しでもチャンスをくれて。本当に嬉しい。これから、よろしくお願いします」
「よかった。こちらこそよろしく、彼女さん」
お試しのようなお付き合い。
この選択が正しいのかは分からないけど、私にはこのチャンスを手放すことはできなかった。
初めての感情と初めての告白。
それらの初めてを手放すにはこの感情はあまりにも大きく、そして柚奈という大切な存在を失うことはあまりにも怖かった。
大丈夫。例え最初はどんな形であろうとも、柚奈が明確に好きだと言ってくれなくても、これからの付き合いで振り向かせればいいんだがら。
時間はまだある。
一緒にいる時間も増える。
あとは私が頑張ればいいだけだ。
私が柚奈の分も彼女を愛して、大切にして、気持ちを伝えていけば、きっといつか彼女も私を愛してくれるはず。
それが、私と柚の恋人としての始まりだった。