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第6話 朝の挨拶

◇◇◇


「ただいまー」


 家に帰ってきた私は、誰もいない家にそう言って入ると、靴を脱いでリビングへと向かっていく。


「おぉー、ミア。今日も白い綿飴みたいでかわいいなぁ」


 扉を開けてリビングに入れば、我が家のアイドルである猫のミアが、喉をゴロゴロと鳴らしながら足に擦り寄ってくる。


「よしよーし。今日も良い子で過ごしてた…わけじゃないなさそうだね」


 ミアを撫でてから顔を上げて周囲を見てみると、リビングはミアが散らかしたのか、テーブルにあった雑誌は床に落ちているし、ティッシュもボロボロになって散らかっていた。


「ミア。こんなことしたらまたお母さんに怒られるよ?」


 ミアはまだこの家に来たばかりで、遊びたい盛りの甘えた盛りなのだ。


 前にもミアがリビングを散らかした時、お母さんはそれはもう鬼のように怒り、ミアもしばらくは恐怖からかお母さんに近づかなかったほどだ。


「しょーがない。片付けますか。ミア、これは貸し一つだかんねぇ〜」


 私はやる気を出すためミアを一度違う部屋へと移すと、雑誌や散らばったティッシュを片付けていく。


「ふぅ。これで終わりっと」


 最後にボロボロになったティッシュの箱を新しいものに変えると、片付けもようやく終わり、他の部屋に移しておいたミアをリビングへと戻す。


「はぁ。ミアはあったかくてふわふわで気持ちいいなぁ」


 片付けを終えてリビングにあるソファーに腰を下ろすと、ミアは私の膝の上に乗って丸くなる。


「こんなに可愛いミアを触れないお父さんは哀れなり」


 どうやらミアには、この家に住む人間のヒエラルキーがあるらしく、一番上がお母さん、その次が私、そしてその下にミアがいて最下層にはお父さんがいるらしい。


 そのせいか、お母さんと私には甘々なミアもお父さんには何故か辛辣で、滅多に触らせないし近づかない。


 その様はまるで我儘なお姫様のようで、お父さんはたまにおふざけで姫なんて呼ぶほどだ。


「あ!そうだミア、聞いてよ!私、新しい友達ができたんだよ!」


 猫であるミアにこんなことを言っても仕方ないけど、それでも今日の楽しかった話を誰かに聞いて欲しかった私は、ミアを撫でながら輝璃との一日を語って聞かせる。


「……でね?輝璃ったら、って。ありゃりゃ。飽きちゃったか。ほんと、ミアは気分屋のお姫様だなぁ」


 ちょうどケーキ屋さんでケーキを食べていた時の話をしていると、私の話に飽きちゃったのかミアは膝の上から飛び降り、尻尾を揺らしながらどこかへ行ってしまう。


「はぁ。それにしても、本当に楽しい一日だったなぁ」


 こんなに一日を楽しいと感じたのはいつ以来だろう。


 少なくとも、すぐに思い出せるくらい最近には、そんなことを思ったことはない。


 別に他の友達といる時間が嫌いというわけではないのだけど、何だか物足りなくて、その時間を特別面白いと感じることもないのだ。


「でも、輝璃と一緒にいる時間は違ったな。どうしてかは分かんないけど、輝璃と一緒に過ごした今日の時間は楽しかった。やっぱり、これまで関わったことのないタイプだからかな?」


 いつも私の周りにいる友達には同性愛者の人なんていなかったから、もしかしたらその希少性から興味が尽きないのかもしれない。


「うん。きっとそうだね。何事もありきたりな物より珍しい物の方が記憶に残りやすいし、きっとそんな感じでしょ」


 楽しい日常より辛くて暗い何かの方が記憶に残りやすいように、日常系の映画よりホラー映画の方がいつまでも内容を覚えているように、人はありきたりな物よりも珍しくてインパクトのある何かの方がずっと記憶に残りやすく、そして興味を惹かれてしまうものなのだ。


「あ!それより輝璃に連絡しないと!帰ったら連絡するって約束したしね。でも、何て送ろうかな……。そうだ!」


 何を送るかしばらく考えた私は、思いついた言葉をすぐにスマホに打ち込むと、それをお気に入り登録しておいた輝璃に送る。


「お。もう既読ついた。早いなぁ」


 私がメッセージを送ると、絶対に返さないと言っていた輝璃はすぐに既読をつけるが、それからはなかなか返事が返って来ず、ずっと私とスマホの睨めっこが続く。


「ぷっ。あっはは!こんだけ待たせといて『よろしく』だけって。ほんと、友達との接し方が分からないんだなぁ。まぁ、それも面白くていいけど」


 既読がついてから数十分も待たされた挙げ句、返ってきたのはまさかの『よろしく』の一言なのだから、輝璃がどれだけ口下手で人との接し方が分かっていないのかが伝わってくる。


「まぁ、私が送ったメッセージも大概だけどね」


『あなたの大切な友達の月華だよ!これからよろしくね!』


 それが私の送ったメッセージの内容だけど、今見返してみてもやっぱりおかしい。


 大切な友達なんて言葉、これまで自分の口からは一度も行ったことがなかったのに、輝璃には自然とこの言葉が浮かんで、気がついたらこの内容でメッセージを送っていたのだから。


「まぁ、何でもいいかぁ。それより、明日から楽しくなりそうだなぁ。とはいえ、もうすぐ夏休みなんだけど」


 輝璃と出会ったのがもう少し前だったらと思わなくもないけど、きっと今日のあのタイミングだったから私は輝璃に興味を持てたわけで、別のタイミングで知り合っていたら、多分ここまで私が彼女に興味を持つことは無かったと思う。


「実際、同じクラスにいるのに、話したのは今日が初めてだしね」


 運命なんて曖昧なものは信じていないけれど、今日の出会いを一言で表すのなら、やっぱりそれは運命しかないと思うから、輝璃との今日の出会いを簡単に手放したくはない。


 ということで、夏休みまでの残り日数は少ないけれど、少しでも輝璃との距離を近づけて、夏休みも一緒に遊べるよう頑張ろうと思う私であった。





 その翌日。


 朝起きてすぐ、輝璃に『おはよう』とメッセージを送った私は、久しぶりに朝から学校へと向かう。


 まぁ、また遅刻したら留年だと脅されたのもあるけど、それはとりあえず置いておくとして、教室へと入った私は真っ先に輝璃のことを探す。


「み~っけ」


 朝から学校に来たのが久しぶりなのと、そもそも輝璃の席がどこにあるのか覚えていなかったため、まずは探すことから初めて見たけど、そんな必要も無くすぐに見つけることが出来た。


 だって、輝璃がいるその場所だけ、見えない壁でもあるかのように誰も寄り付かず、不自然な空間が出来上がっていたのだから。


「おっはよ~」


「……月華?」


「そうだよぉ~。輝璃ちゃんの唯一のお友達、月華ちゃんだよぉ~」


「何言ってんの?」


 とはいえ、そんな周りの空気を読んで壁を作るほど私は周りを気にして生きていないため、遠慮なくその壁をぶっ壊して輝璃に話しかけると、少し驚いた表情の輝璃と目が合う。


「何って、事実だけど?」


「事実。まぁ、確かに事実…かも」


「だよね」


 自分で私しか友達がいないと認めるなんて、少し可愛そうにも思えてくるけど、昨日の会話でもほとんど友達がいないと言っていたし、それほど気にすることでもないのかもね。


 本人もあまり気にしてないみたいだし。


「友達……」


 あ、前言撤回。


 やっぱり、友達って言われたことが嬉しかったみたい。


 だって、少し耳を赤くしながら、嬉しそうに友達って言葉を噛み締めてるもん。


「それにしても、すごい人気だね。もはや人気すぎて誰も近寄ろうとしないじゃん」


「いつものことだよ。それより、月華はすごいね。こんな状況でも普通に私に話しかけてくるなんて。ほら、周りを見てごらんよ。みんな驚いてる」


「うん〜?あ、ほんとだぁ」


 輝璃の言う通り、周りを見てみると驚きと困惑に満ちた視線が私の方に集まっており、その中には昨日変な味の飴を渡してきた伊織の姿もあった。


「まぁ〜、周りの視線なんてどうでもいいじゃん?それに、私はただ友達に話しかけてるだけだし」


「昨日も思ったけど、あなたってすごく達観してるんだね」


「そうかな?そう見えるんだったら、私が昨日話したことが理由かもね」


「あぁ。人にそんな興味がないってやつね。なるほど。そうかもね」


 他人から改めて言われるととんでもない話のように聞こえなくもないけど、それが私という人間なのだから仕方がない。


「まぁ私の話はどうでもいいじゃん?それより、今日もどっか遊びに行かない?」


「今日も?なんで?」


「なんでって、そりゃあ友達だもの。一緒に遊ぶのにそれ以外の理由なんて要らなくない?まぁ、あえて理由を付けるなら、輝璃が少し辛そうだから?」


「え?」


 これは教室に入ってからずっと気になっていたことだけど、今日の輝璃は昨日の別れ際よりも少し辛そうで、校舎裏で一人で泣いていた時のように何かを我慢しているように見えた。


「私は確かに人には興味ないけど、だからって人の感情の機微に疎いわけじゃないよ?昨日あの後、何かあったんでしょ。話聞くよ?だから、放課後に一緒に遊びに行こうよ」


 私は確かに他人に興味はないけど、だからと言って人の表情の変化や感情の変化に鈍感なわけじゃない。


 ましてや、輝璃は私が興味を持った人なのだから、余計に彼女の違いには気がつくというものだ。


「それは……」


「あぁ、もちろん先約があるなら無理にとは言わないよ?でも、昨日も言ったじゃん。壁にでも話してるつもりで何でも話してってさ。辛いなら、私という壁に話してみない?」


 自分でも何言ってんだって思うけど、こうでも言わないと輝璃が頷いてくれなさそうなので、頭がおかしいと思われても壁に徹するしかない。


「………わかった」


「よかった。じゃあ、また後でね!」


 そんな頭のおかしい発言の効果もあってか、輝璃はしばらく熟考してから私の提案に頷いたので、私は最後にその言葉を残して自分の席に移動する。


 本当はもう少し話していたかったけど、そろそろ担任の先生が教室に来る頃だからね。


 ただでさえ日頃の出席率が悪くて目をつけられているのに、これ以上何かをして怒られたらいよいよ留年もありえるので、なるべく怒られないようにしなければならないのだ。


 まぁ、今日は放課後に輝璃と遊ぶという楽しみもできたから、何とか一日を乗り切ることはできそうだしね。


 今日は大人しく、授業でも受けるとしますか。







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