「活動初日はどうだった?」
テスト最終日の放課後に設けられた練習初日を終えた翌日の朝。
俺は登校途中に真理部長に偶然出会ってしまった。今日はきっと良い日になるぜ。これもロックのお導きだ、と小躍りしたい気持ちになるが、内心はそうもいかなかった。
「ええ、まだちょっとメンバーとの音楽性の違いがあって」
俺は真理部長に、申し訳なさそうに答える。
「そうなの。いきなり四人が集まったんだもの、仕方がないわね」
真理部長は頬に手を当て、一緒に浮かない顔で俺のテンションに付き合ってくれる。
音楽性の違いと言ったが、俺の悩みは実はそんな生易しいものではなかった。実は性癖の違いなんですよ、なんて言えるはずがない。
「今日の放課後も集まる予定ですんで、なんとか一歩ずつ前に進もうかと」
果たして進めるのだろうか。千葉という変態を隠しつつ、俺たちはまともなロック道を進めるのだろうか。
「そうなの。私も期待してるから、頑張ってね」
部長から有難い言葉を頂く。社交辞令だとしても嬉しいものだ。
軽音部の部長である真理部長になら、俺の悩みを打ち明けてもいいかもしれない。昨日天雷も言っていたように、あの手紙のことを部長に報告しようとも考えた。しかし、あれはイタズラではなく、本当に俺のバンドに変態が存在した以上、相談もできない。
俺はそんなもやもやした感情で空を見上げた。今にも俺の弱い部分を飲み込んでしまいそうな曇天。
「あれ、どうしたの、森村君?」
俺の悩みが伝わってしまったのか、部長は心配そうに俺の顔を覗き込む。
いかんいかん。俺がこんな風では。
「いえ、何でもないです。がんばります」
無理に笑っても心配させるだけかと思ったが、俺は精一杯笑顔を作って見せた。
「もし悩み事とかあったら言ってね。私、一応部長ですから、できることはするわよ」
真理部長も俺を励ますかのように、にっこり笑顔を振りまいた。すん、と良い香りが漂った。朝のシャンプーの匂いは俺の迷いを振り切らせる。
「はい。俺たちは、ハイスクフェスに出なくちゃいけないですからね。こんなとこで躓いてる暇はないですから!」
これは強がりでもなんでもない。俺のまっさらで純粋な本当の気持ち。
そのまま校門をくぐり、俺は覚悟を決めた。
もう悩まない。ネオ・ヴルストで、俺はロックの頂点に立つのだ!
一学年に8クラスある我が富士六高校は、世間的には進学校で通っている。部活動も盛んであるが、運動部は目立った成績を残せていないため、文武両道という大層な言葉を使うのは控えているらしい。
俺たちメンバーは全員違うクラスだった。全校生徒も1000人近くいるため、俺も自分のクラス以外の生徒は同学年であってもほとんど知らない。メンバーたちを知らないのも無理がなかった。
二年七組の教室に入り、いつも通り適当に目が合った奴らと挨拶を交わす。
意外と俺は社交的なのだ。教室の隅っこでブツブツ言いながらギターをつま弾いているような暗いキャラでは決してなく、明るいロック野郎だと自覚している。
「おい、森村。新しいバンド組んだんだってな」
俺が席に着いたのを見て、ひとりの男が寄って来て、そう言った。
「万座……」
万座孝太郎。ヴルストの「元」メンバーで、脱退した三人のうちの一人。
「今度は女と組むんだってな。楽しそうじゃないか」
万座のその物言いには、女子とバンドを組んでウキウキできて楽しそうだな、みたいな嫌味な意味が込められているようで、俺は思わず立ち上がりかけた。しかし立ち上がらない。なぜか? こんなことでキレているようでは、ロックンローラーの風上にも置けないからだ。
俺は静かに息を吸い込み、吐き出す。心を整えたのだ。
「ああ、楽しいぜ。お前らと組んでたときより、ロックなバンドになりそうだぜ。今度のメンバーは途中で逃げ出すような腰抜けじゃないからな」
そう返した途端。万座は俺の机に手をつき、大きな舌打ちをした。
分かりやすい奴だ。俺はこんな奴と組んでいたことを黒歴史に認定したくなった。
「それは俺たちが腰抜けだって言ってんのか?」
「腰抜けにも皮肉は通じるようだな。音楽は通じなかったけどな」
「なんだと! 余り者で組んだバンドのくせしやがって、偉そうに!」
こんな俺たちも二週間前までは同じバンドで活動していたのだ。もはや信じられない。
バンドという枠から抜けると、俺たちはもう絆さえも失ってしまうのだろうか。氷室と布袋の気持ちが痛いほどよく分かるぜ。再結成マジ無理。
「俺はハイスクフェスを目指してるんだよ。はっきり言っといてやるよ。お前らと組んでたときより、俺は手ごたえを感じてるんだ。余り者とかは関係ない。真面目にロックできるかどうか、それが重要なんだよ」
いつの間にか俺も立ち上がり、万座とフェイストゥフェイスで向き合っていた。まだネオ・ヴルストでは一回も練習すらしてないんですけどね。
まったく、つい熱くなっちまったぜ。ロックは俺をいつも燃えさせるんだ。
「も、森村君。お客さんよ」
そんな一触即発の状況で教室内はしんと静まり返っており、俺も万座も着地点が見えないでいたときに助けの声が届いた。
「お客さん?」
俺が万座の肩越しに教室のドアの方を見やると、そこには変態……もとい、千葉優雨が立っていたのだった。そして俺を睨み付けていた。
朝からロックな奴だぜ、ていうか傍から見ると不審者にしか見えない。現に万座が自分が睨まれていると勘違いしたのか顔を引きつらせている。
「おう、千葉か。おい万座、紹介するぜ。あれが余り者のひとり、新しいボーカルだ」
そう言うと万座は「ヒッ」と震えた声を出した。無理もない。我が子を奪われた鬼のような目で睨んでくる女のことを「余り者」と揶揄したのだ。そんなことあの鬼に知れたらきっと殺される。万座はそう直感したに違いないからだ。
「どうした、千葉? 入って来いよ」
俺は「カモンベイベー」と言わんばかりに千葉を手招きする。
しかし千葉は動かず、腕を組み、さらに凄みを増した睨みを俺に向けてくる。万座はもうびくとも動かない。ちびったかもしれない。
「せっかく紹介してやろうと思ったんだが、仕方ない。万座、ネオ・ヴルストの応援、よろしく頼むぜ」
そう言って万座の肩を叩いたが、反応がない。まるで屍のようだ。まったく、ロックじゃないぜ。
俺はクラスメイトの「早くその鬼神のような女子をどかしてくれ」という空気を察し、千葉を廊下に連れ出した。案の定、扉の前には入室待ちの生徒たちが行列を作っていた。ここはクリスマスのラブホかよ。
「なんだよ、千葉。みんな怖がってるじゃないか」
年頃の女子がむやみやたらに睨んではいけません。俺でさえ怖かったんだからね。
「……お前、昨日のこと忘れたのか?」
「ギクリ」
思わず俺は心の擬音を口に出してしまった。アニメっぽいね。
「いや、その、ちょっと行こうか」
こんな廊下で込み入った話はできない。これは千葉の個人的なこともあるし、ネオ・ヴルストの未来もかかっているのだ。
俺は千葉を連れ、朝のこの時間帯は人が少ない特別棟の方へやってきた。
「森村、私をいじめてくれるって言ったよな? お前のタイミングでって言ったが、あれからなんのお仕置きもないじゃないか!」
お仕置き。
「お前、ご主人様の自覚はあるのか? どうなんだ!
ご主人様。
俺は朝から引いた。ていうか、千葉は何を言っているのだろうか。
「お前、いじめるったって俺はどうすりゃいいんだよ? 夜な夜なお前の家に押し入って鞭で叩くとか、そんなことできるわけないだろうが」
そんなことしたら俺は大切な何かを失うことになる。そして警察に捕まる。
「……それ、最高じゃないか! なんでやってくれなかったんだ!」
「やるか、アホ!」
千葉は最高の宝物を差し出されたかのように目をウルウルさせ、俺を見つめてくる。ノリで言ったことが真面目に受け取られる悲しさ。頼むからそんなハードなプレイをお願いしないでくれ。
「いつお仕置きを頂けるか、私はずっと待ってたんだ。歌詞を書こうと思っても、ウズウズして書けたもんじゃない。このままじゃいつまで経っても詞なんか書けないぞ! それでもいいのか、森村!」
これはなんの脅迫だろうか。俺ってばご主人様じゃなかったの?
しかし千葉が歌詞をかけないとなると、それはそれで困ったことになる。そしてその解決法というのが、俺が彼女をいじめるということであるならもっと困ったことなのだが。
「おい、森村! さあ、私にお仕置きをしろ! 命令でもいい! お前のいやらしくて最低な命令をなんでも聞いてやるぞ! さあ! ご主人様!」
千葉は両手を広げ、小さな胸をつき出し、恍惚の表情を浮かべ始めた。
しかし学校でこんな朝っぱらから、俺はなんという事態に巻き込まれているのだろう。まさにハレンチ学園である。まいっちんぐ、俺。
かといって俺が男の欲望をここで爆発させるわけにはいかんのだ。俺にも超えてはならない理性の壁というものがあり、これを突破すると大変なことになってしまう。ロックが泣いてしまう。
「さあ、森村! 私をなじれ!」
じりじりと俺は廊下の端に追い詰められ、ついには襟口をがっちりつかまれる。千葉のこのごり押し具合、ドSなのではとすら思う。むしろ俺の方がMっぽい構図なう。
なんとかならんものかと思案するも、目の前では千葉が俺からのお仕置きを欲しがっている。
俺も高校生活を千葉と共にマッドネスに染めるわけにもいかないのだ。俺は一応このドMのボーカルと共にハイスクフェスに出なければならん。
どうしたものかと考えるうちに、俺はひとつの妙案を閃くのであった。
「これは、そうだ、放置プレイだ。お前がどこまで我慢できるか試しているのに、たった一晩でもうギブアップか? なんともこらえ性のない……メスブタだぜ」
やりきった。俺は千葉のドMキャラに対し、ドSキャラをやりきった。メスブタなんて言っちまったが、ロックスターは口が悪くてもファッキン問題ない。
「森村、お前……」
俺の襟口を掴んでいた千葉の力が、その一言で弱まった。
「いいか、千葉。すべて自分の思い通りにいくのが、お前の望みか? ドMというのはそんなわがままが言える立場なのか?」
俺は逆に千葉の前で胸を張る。形勢は逆転したようだ。
千葉は口をぽかんと開けて、まさに正鵠を突かれたというように肩を震わせ始めた。
「違うだろう? ドMとは我慢することこそ、悦びなんじゃないのか? そんな簡単にいじめられ、なじられ、それで満足しているようでは、ドMを名乗ることすら生ぬるいわ!」
俺はビシッと千葉を指さし、すると彼女は「ガビーン」とでも叫びそうな顔をして、そのまま膝から崩れ落ちた。アニメっぽいね。
勝った。俺は勝利を確信したが、果たして何に勝ったというのか。よく分からん。
「お前の言う通りだ。私は甘えていたようだ。すべて受け身になっていた。いじめられることが当たり前と勘違いしていた。ドMとは与えられるものではなかったんだ。与えて頂くものだったんだ」
千葉がうなだれながら、何か得心したような殊勝なことを言っているが、俺はやはり意味が分からなかった。ただ、うまく言いくるめられた手ごたえはある。
「分かってくれたか、千葉。バンドメンバーとして、俺はそう簡単にお前を攻めるわけにはいかないのだ。だが感じてくれ。何もしないという、俺の攻めを!」
俺の機転は見事に千葉のハートを直撃したみたいだ。彼女はよろよろと、そのまま自分の教室へ帰っていった。
そして最後に振り返り、恍惚の表情を浮かべながら俺に言った。
「ごちそうさまでした、ご主人様……」
なんじゃそりゃ。