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第11話 もっとわたくしのことを『理解』して

 エリー・アンはしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。


「侵略……地球を、ですか? 地球から得られる資源程度ならば、銀河レベルの活動が可能になった時点で、あまり意味がないことですの。そういう意味では、特別ではないのです」

「じゃ、どういう意味でなら意味が……えっと、価値があるんだよ」

「生物の多様性は、貴方たちが思ってる以上に重要なのですわ。それとソフトウェア的要素ですわね、生きた情報」

「生きた、情報?」

「言葉とか文化、種の営みの形、生態系というものです。だから、目的の一つは、そうですわね。『地球文明の観察及び情報収集』。特に感情豊かな。それが、わたくしに課せられた主要なミッションですわ」

「それで、あんな奇行を繰り返してたのか。人間の感情を理解しようとして、反応を引き出すために?」

「まあ、それもありますが。単純に言語や文化の翻訳が不完全で、不慣れなのもありますわね。わたくしも手探りですの」


 手探り。本当に何も慣れてないなかで、頑張ってる。

 決まり切ったルーチンや計画の範囲内で、勉強して来た俺とは全然違う。学ぶために未知の世界に飛び込むなんて、俺に出来るだろうか?


「……ちょっとは似てると思ってた時もあったんだけどな」

「はい? どういうことでしょう?」

「なんでもねえよ。はあ。しかしね、ミッション……わからないな。俺たちなんて、きっとちっぽけな存在じゃないか。そんなに重要か?」

「この宇宙にちっぽけでない種や個体なんて、早々おりませんのよ」


 くすくすと笑うエリー・アン。これが作られた振る舞いなのはわかっているが、俺はどうにも感情移入してしまった。

 今さら、情が沸いていることを否定できるはずもない。


「ですが、もう一つ……個人的な理由も、なくはありませんの」

「個人的な理由?」


 俺が聞き返すと、エリー・アンは照れたように視線を逸らした。その仕草は、どこにでもいる普通の女の子のように見えて、俺の心臓が不意に小さく跳ねた。


「それは、まだ、秘密ですわ」


 そう言って、悪戯っぽく微笑む。

 その笑顔は、いつもの飄々としたそれとは違い、どこかあどけなさを感じさせた。


「なんだよ、それ。気になるじゃないか」

「うふふ。いずれ、お話しできる時が来るかもしれませんわね。リツが、もっとわたくしのことを『理解』してくれるようになったら」


 エリー・アンの言葉に、俺は何も言えなくなる。

 エイリアンと人間。住む世界も、何もかもが違う。それでも、俺はもっと彼女のことを知りたいと思ってしまっている。

 夕焼けが教室を濃いオレンジ色に染めていく。二人の間に、心地よい沈黙が流れた。

 俺は、エリー・アンの隣にいるこの時間が、不思議と悪くないと思っている自分に気づいた。


 ふと、彼女が俺の服の袖を、ほんの少しだけ、指先でつまんだ。

 本当に、ごく僅かな力で。


「リツ」

「……なんだ?」

「地球の『友達』とは、どのような関係性を指すのでございましょうか」

「え?」

「拓郎やイチカ、そして貴方のような……」


 エリー・アンの琥珀色の瞳が、じっと俺を見つめている。そこには、いつもの論理的な探求心とは違う、何か純粋な問いかけが込められているように感じた。


「それは……難しい質問だな。一緒にいて楽しいとか、困った時に助け合えるとか、かな」

「楽しい……助け合える……。相互協力の契約関係でしょうか?」

「わかってるだろ。メリットとか契約とか、そんなんじゃないんだ」

「家族、血縁でもないのに?」

「ああ、そうだ」

「助けた分だけ、助けてもらえる保証もないのに?」

「関係ないさ」

「ふふ、論理的な定義が難しそうですね。……本当に興味深い概念ですわね」


 エリー・アンは、指先で俺の袖を弄びながら、何かを考えているようだった。

 その姿は、どこか心細そうにも見えて、俺は無意識のうちに、彼女の頭にそっと手を伸ばそうとしていた。

 ――その時だった。


「おーい、まだ残ってたのか、お前ら」


 教室のドアがガラリと開き、ひょっこりと顔を出したのは、担任の江西岳先生だった。

 いつもの眠そうな目に、気怠げな雰囲気。Yシャツの襟元はだらしなく開いている。


「あ、江西先生……」

「ったく、こんな時間まで何やってんだか。青春ごっこもいいけど、戸締りくらいはちゃんとしろよー」


 言いながら、江西先生は教室に入ってくる。その目は、明らかに俺とエリー・アンの間の微妙な雰囲気を察しているようだった。


「いえ、あの、ちょっと話し込んでいただけです」

「へえー、話し込みねえ。随分と熱心なことで」


 江西先生は、ニヤニヤとした笑みを浮かべ、エリー・アンに視線を送る。


「天上院さんも、すっかり日本の学校に馴染んだみたいだな。佐倉がちゃんと世話してるおかげか?」

「ええ、リツには、いつも助けていただいておりますわ」


 エリー・アンがそう答えると、江西先生は「ほう」と意味ありげな声を漏らした。


「若いってのは、いいもんだねえ。お互い、秘密の一つや二つ、抱えてるもんだろ?」


 何気ない言葉が、明らかに俺たちの核心を突いていた。

 冷や汗が背中を伝う。まさかこの先生、どこまで知って……?


「さ、暗くなる前にとっとと帰った帰った。おれはまだ仕事が残ってんだよ、大人は忙しいの」


 そう言って、江西先生はひらひらと手を振り、職員室の方へ戻っていった。

 残された俺たちは、顔を見合わせる。


「今の先生、何か知ってるような口ぶりに聞こえたな」

「さあ、どうでしょう。地球人の思考は、時として非常に読みにくいものですから。それより帰りましょう、リツ。夜は活動が推奨されません」

「あ、ああ……」


 エリー・アンはどうでも良さそうに教室を出ていこうとする。慌てて、後を追う俺。

 夕焼けの中、エリー・アンと過ごしていると、あの衝撃的な始まりを思い出す。彼女が電柱に齧りついていたあの場面を。

 完璧の歯車が狂ったのは、アレが始まりだった。が、今の俺は……あの出会いがない方がよかったと言えるのだろうか? 俺は、完璧な日常に戻りたいんだろうか?

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