「あー、もう、自由すぎるだろ、あいつ」
「でも、なんか……エリーちゃん、今日は本当に楽しそうじゃない? いつもみたいに分析してるようで、顔がずっと笑ってる」
イチカの言葉に、俺はエリー・アンの横顔を見た。
色とりどりのお祭りの提灯や屋台のネオンに照らされた顔は、好奇心と喜びに満ち溢れ、これまでにないほど、生き生きとしていた。どんな計算や論理よりも雄弁に、「楽しい」という感情を語るように。
「……いや、いつもあんなもんだろ」
「そう、かな」
「そうだよ」
「そっか。……そうかもね」
イチカの深い色の瞳は、慈愛に満ちた温かい光をたたえていた。
いつもは俺やエリー・アンに文句ばかり言っているが、結局、こいつほど優しい女の子を俺は、他に知らない。
「いつも悪いな、迷惑かけて」
「へ? なに? 今、人混みで聞こえなかった」
不意に口を突いた言葉は届かなかった。イチカが耳を傾ける仕草をする。
「……いや、なんでもないよ。ほら、花火あがるぞ」
ドォォォン!という地鳴りのような音が腹の底に響き渡り、夜空に大輪の花が咲いた。
それを合図に、次々と色とりどりの花火が打ち上げられ、夜空を鮮やかに染め上げていく。黄金の柳、紅色の牡丹、青白い菊……。
エリー・アンは、慣れない浴衣の袖をぎゅっと握りしめ、食い入るように夜空を見上げていた。
「これが花火。硝酸カリウム、硫黄、木炭を主成分とする火薬、その急速な燃焼による……光と音のエネルギー解放現象」
エリー・アンは呟いた。いつもの分析口調だが、その声は明らかに震えていた。
「綺麗、ですわね……。こんなにも儚くて、非効率的で、何の意味も実利も生み出さない……でも、こんなにも……揺さぶられる光景は、わたくしの故郷にはありませんでした」
「なんでだろうな、お前と俺で綺麗だと思うものが同じなのは」
生まれた星も、種族も、何もかもが違うのに。
そうだな、こいつはたびたび何かを見て、感動するような素振りを見せるんだ。
「……それは、簡単なことではございませんか、リツ」
花火の閃光が消えるたびに訪れる、一瞬の深い闇。そして、再び夜空を焦がす鮮やかな光。その繰り返しの中で、エリー・アンの白い頬を、一筋の雫が静かにこぼれ落ちた。
それは、まるで夜空から落ちてきた星のかけらのように、浴衣の襟元へ消えていく。
「何を見るか、ではなく……誰と共に、その光景を見るか。それが、感情の共鳴を引き起こす重要なファクターなのではないですか?」
いつもあらゆる感情に対して、疑問を投げかけるだけだったはずのエリー・アンが。理屈ではなく、確信に満ちたような答えを口にしていた。
俺が教えたわけではない。彼女自身が、この星で、俺たちと共に過ごした時間の中で、その答えに辿り着いていた。
お祭りの帰り道。あれほど賑やかだった喧騒は嘘のように遠のき、夏の夜の涼しい風が火照った頬を撫でる。夜空には、花火の煙の向こうに、本物の星々が無数に瞬いていた。
「リツ、わたくしの名前を呼んでくださいませんか」
珍しく人目を気にするように、エリー・アンは囁いた。
「……どうせ、本名じゃないくせに」
「名というのは、誰がつけたかではなく。誰にどう呼ばれたいかが、重要なのですよ?」
「知った風なことを言うようになったな」
「ふふ、そうですか。……では、わたくしの今の答えは的外れではない、ということですね」
みんな黙って帰り道を歩く。駅に辿り着くまでの時間。
エリー・アンは、どこか満ち足りたような、それでいて何かを噛みしめるような、穏やかな表情で、いつまでも夜空を見上げていた。
俺が心のなかで、いつも彼女をなんて呼んでいるかは、教えてやらなかった。
その翌日。
お祭りで過ごした夜が夢だったかのように、天上院エリー・アンは、学校から忽然と姿を消した。
教室の、彼女がいつも座っていた席は、がらんと空っぽで、そこには夏の朝の眩しい陽射しが、降り注いでいるだけだった。
そして、奇妙なことに、俺以外のクラスメイト…イチカや拓郎、藍生川さん、江西先生までも、最初から天上院エリー・アンという転校生など存在しなかったかのように、一切の記憶を失っていた。
「ねえ、律、今日なんかボーっとしてない? もしかして夏バテ?」
隣の席のイチカが、心配そうに俺の顔を覗き込む。
俺の完璧だった日常は、エイリアンお嬢様の出現によってハチャメチャに壊された。そして、彼女が去った今、穏やかで完璧な日常が戻ってきたはずだった。
それなのに――俺の心には、大きな穴が空いたままだった。