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第5話 地獄への入り口

 四時間目の授業が終わったことも、俺はリツイートに必死で気づかなかった。


 俺はどうやらひとつのことに熱中すると、いささか周りが見えなくなってしまうらしい。しかしこういった猪突猛進型というか一点集中型は歴史的に見ても天才肌な人間に多く、アインシュタインやノーベルも周りが見えずに研究に没頭したという。


 俺はそう考えると、偉人と肩を並べたような良い気持ちになっていた。


 しかしここは高校という共同生活の場であり、昼休みになっても昼食を取らず必死でスマホを触っていれば、まわりから見ると目立ってしまう。


 同じ時間、同じ場所で、人と違うことをやっていては浮いてしまい、いつの間にか疎外されてしまうのが、この高校の教室というところだ。個性よりも右に倣えの精神。それが高校生としての社会性。


 そう考え、俺は思い出したかのように鞄から菓子パンを取り出し、ひとりぼっちでパンを齧り始めた。


 かたや、自ら目立とうとして皆の注目を集めようとする者もいる。

 隣のクラスの山本がそうだ。


 今考えると、たぶん山本は書籍化が内定した段階で、自分がネットで小説を書いていることをクラス中に吹聴したのだろう。昨日の正式発表を前に周知しておくことで、いかに自分がすごい奴かということをあらかじめアピールしておいたのだ。なんと卑怯な奴かと、俺は思う。


 我々ネット作家にとって書籍化はゴールではない。いや、中には志の低い奴らは、書籍化して大満足、これ以上のことはないと考えている者もいるかもしれないが、それは間違いである。


 小手先の知恵で生きている浅はかな山本はその口かもしれないが、俺は違う。書籍化したら、今度はその本を買ってもらわなくてはならない。


 世の中には本が売れないという風潮があり、それはラノベも同じことである。出版社様に書籍化していただいたにも関わらず、その本がまったく売れずに一巻打ち切りという例がどれほどあるか、俺は知っている。その一冊の本を出して消えていった作家を挙げると、枚挙にいとまがない。それで満足かと、俺は言いたい。


 俺は違う。書籍化は通過点であり、もっとその先を見据えているのだ。


 それはアニメ化であり、ゲーム化であり、映画化。だから、こんなところで躓いているわけにはいかないのだ。


 ただ書籍化をしただけの山本なんかに、負けているわけがないのだ。


 俺はパンを胃の中に片付けながら、今後の作家としての展開を思い描いていた。


 その初期段階で山本はあっさり追い抜いてしまうという計画が追加されていた。すぐに俺も追いつく。山本が凄かったのではない。たまたま、あいつが先に見つかっただけだ。同じスタートを切っていれば、先に書籍化していたのは俺の方だったはず。山本が先に書籍化してしまったのは、ほんの小さなボタンの掛け違いであり、神様の手違いだ。


「佐々木!」


 俺の考える将来の展望を邪魔するように、誰かが教室の外から文芸部の佐々木を呼ぶ声がした。


 すぐさま佐々木も「おう」と返事し、その男に駆け寄る。俺はそいつを知らなかった。カニの甲羅の裏側のような顔をしている。まあブサイクな奴だ。


 昼食のパンを片付け、俺はもう一度校舎裏に行ってノートを探してみようと考えていた。今朝は俺も焦っていたので、どこか見落とした場所があるかもしれない。


 昼休みの教室はコミュニケーションが主体の場になっており、まったくそんなものに関係のない俺は席を立ち、ドアのところでカニの甲羅と話している佐々木の横を通り抜けて廊下に出ようとした、そのとき。


「あ!」


 俺は小さく声を出してしまった。

 カニの甲羅のような醜い顔をした男が、見覚えのあるノートを手にしていた。


 いや、見覚えがあるどころではない。それは俺が昨日失くした、そしてこれから探しに行こうとしていたネタ帳のノートであった!


 男はあろうことかそのノートを佐々木に手渡したのだった。


 俺は教室を出たところで思わず足を止め、廊下で何事もなかったかのようにUターンし、再び自分の席に戻った。誰かに異様な行動と思われていないだろうかと、心配するどころではなかった。


 なぜあの男が俺のノートを持っている?

 そしてなぜ、佐々木に渡す?


 残念ながら急なことで二人の会話の内容は聞けなかった。しかし今、自席に戻ってくる佐々木が手にしているのは、明らかに俺の「異世界ハーレム戦記」のネタ帳だ。


 なぜだなぜだなぜだ?


 思わぬところでノートを見つけてしまい、動揺している。


 そのノートは俺のものだ、と佐々木に言えば、きっとノートは手元に戻ることだろう。


 しかし、そんなこと簡単にできることではない。もしさっきの男があのノートの中身を読んでいたのなら、それが小説のネタ帳だということはバレてしまっているだろう。「異世界ハーレム戦記」というタイトルも、表紙に書いてしまっている。


 もう有無を言わさず佐々木からノートを強奪してしまおうかと考えたが、この教室でそんなことをしてしまうと否が応でも目立ってしまう。


 加えてクラスの全員に俺がなろう作家であり「異世界ハーレム戦記」を書いているとバレてしまう。


 どうする? どうすればいい?


 そんなことを考えているうちに、佐々木は俺の席の斜め前の席に戻ってしまった。


 声をかけようか、そう思った瞬間、吉岡という女子がやってきて、いつものように佐々木の机の上に腰を預けた。今日も短いスカートで、小癪にも長い脚を露出させている。


「佐々木、なんだったの? 部活の用事?」


「いや、なんかノート渡された。これ」


 俺は「ひゃっ」と声を上げそうになった。あろうことか吉岡の目の前で、佐々木は俺のノートをペラペラめくり始めたのだ。


「うわ、なにこれ? 異世界ハーレム戦記? ゲームかなんか?」


 吉岡が汚いものでも見るように、覗き込む。


「これ小説かマンガのネタ帳みたいなもんだな。プロットとか書いてあるし。なんか落とし物らしくてさ。文芸部の誰かのノートじゃないかって、俺のとこに持って来てくれたみたい」


「へぇ。佐々木、文芸部の部長だからね。うわ、なにこれ。『ヒロインのミナ。巨乳で美人。主人公に一目ぼれする』だって。マジきもー!」


 吉岡が臭いものでも嗅いだように表情をゆがめた。


「ファンタジーの小説っぽいな。今うちの文芸部でファンタジーを書いてる奴いたかなぁ?」


 吉岡が俺のノートのキャラ設定の部分を読み上げ始めた。そういえば佐々木は文芸部の部長だった。あのノートが小説のネタ帳だと分かれば、文芸部員のものだと結びつけることは難しくない。


 俺はいてもたってもいられなくなり、思わず机の上に顔を伏せた。目の前で繰り広げられている惨劇を直視できなかったのだ。


 もうあれを返してくれと言うわけにはいかない。あのノートの持ち主が俺だとは絶対にバレるわけにはいかない。俺があんな小説を書いていることは、絶対に秘密なのだ。


「ほら見て。主人公のカズマ。『冴えない高校生だったが、異世界ではステータスがアップし、文武両道。女たちにモテモテでハーレムを築く』だって! なんじゃそれ! きもいきもい!」


 吉岡が大声で読み上げ、大笑いしていると次第に周りに生徒たちが寄ってきた。


 これ以上、俺のネタ帳を晒すのはやめてくれ。

 俺はこのまま舌を噛んで死のうかとも考えたが、しかしあれを俺が書いたものとはさすがに分かるはずがない。


 俺だと特定できるような個人情報を書いた覚えはないからだ。ここはじっと、いつものように静かに過ごし、嵐が去るのを待つしかない。残念ながらあのネタ帳は、俺の未来を守るために犠牲にする覚悟をした。


「こういうゲームっぽい幼稚な設定はネットに投稿する小説っぽいよな」


「うわ、『カズマとミナがキスをして、お互いの愛を確かめる』だって! 鳥肌たってきた!」


「おいおい、誰かこれ書籍化しろよ! そっち系のオタクに絶対売れるよ!」


 ギャハハハ、と教室内に笑い声が響く。


 お前ら下等な奴らに俺の小説の面白さが分かってたまるか。俺はぐっと我慢する。


 ウジ虫がいくら鳴いても俺には聞こえないのだ。所詮弱者の遠吠えだ。知識の浅はかなお前らに、俺の小説を笑う資格などない。無知を知れ!


 俺はただ、この時間が去るのを我慢した。作家としてのプライドと、尊厳をもって。


「異世界っつーことはあれじゃないの? 隣の山本の小説と関係あるんじゃね?」


 集まってきた誰かがそんなことを言い始めた。


「確かに、そうかもしれんな。あいつの小説も異世界ナンタラっていうやつだったし。誰か、山本連れてきてよ」


 文芸部の部長である佐々木がそんな安易な提案に乗ってしまい、誰かが隣のクラスに山本を呼びに行ってしまった。わざわざ呼びに行くことはないだろうに、行動力のあるバカは手におえない。


 俺のノートの話題が、教室の外に飛び火してしまう。なんとかして止めないと、と思うがその方法が思い浮かばないまま、俺は石のように固く固くなるばかりだった。


「キャラが全員巨乳だぜ? この作者、おっぱい好きすぎんだろ!」


「待って、きもいきもい!」


 その間も吉岡を中心に、バカにしたような声で、俺の小説の世界観やキャラが暴かれていく。


 まるで俺の心が犯されていくようだった。まるで俺の心がレイプされているようだった。俺は死んだ方が楽かもしれないと、ただただそう思った。


「山本を連れてきたぞ!」


 しばらくして、山本がやって来てしまった。今やうちのクラスでも山本は有名人になっており、山本自身も堂々としたものだった。「どれどれ」と偉そうな口調で、佐々木から俺のノートを受け取った。


「これ、お前のじゃないよな? なんか心当たりあるか? 『異世界ハーレム戦記』っていうタイトルみたいなんだけど」


 佐々木と山本はもともと知り合いだったのだろうか。佐々木が馴れ馴れしく尋ねると、山本はページをめくりながら、うんうんと頷いている。


「いや、俺のじゃないよ。でもこれ、異世界チートハーレムものってことは、『小説家になるぜ』に投稿してるんじゃないかな」


 クラスメイトたちは「チートハーレム」という聞き慣れない単語に、お互い顔を見合わせた。


「それって、お前が投稿してたサイトか?」


 クラスメイトを代表して佐々木が尋ねた。


「そうそう。ネットじゃ異世界チートハーレムものは人気だからね。とりあえずみんなこのジャンルに手を出すんだよ。競争率が激しいのに」


 山本が得意そうに語っている。

 うるさい。お前に何が分かる。俺の小説は、そんなありきたりの異世界チートハーレムものじゃない。分かったような口をきくな!


「誰のノートか、分かるか?」


「どうだろうか? タイトルで検索できるけど、さすがに本名で登録してないだろうし」


 山本はスマホを取り出した。タイトル検索をする気だ。


 しかし、検索されたとしても、俺は「KAZMA」というペンネームで登録しているし、Twitterにも山本のように個人情報も残していない。


 俺に結び付けられることはないはずだと、内心ではそう思いながらやばいと感じていた。もしかすると自分で気づかないほころびがあるかもしれない。

 さっそく山本はスマホで検索している。


「ビンゴ。あったあった。『異世界ハーレム戦記』、これだな」


 佐々木をはじめ、吉岡まで山本のスマホを覗き込んでいる。お前らが見たって、何も分かるか。そう思いながら、俺はひとりじっとしていた。


「作者は、KAZMAって奴だ。やっぱりペンネームじゃ何も分からないな」


 サイトに慣れている山本が、いち早く根を上げた。

 そりゃそうだ。KAZMAという荒唐無稽なペンネームから本名を割り出すことはできないだろう。それくらいでもう自分のクラスに帰れ。


「いや、ちょっと待てよ。確かKAZMAって奴、昨日俺のTwitterをフォローしてきたような気がするな」


 山本がいちいちどうでもいいことを思い出す。確かに俺は昨日山本のTwitterをフォローした。だがそれがどうすれば俺に繋がるのか。


「うん、確かに昨日の夜フォローされたって通知が来てるな。このKAZMAって奴のプロフィール見てると、やはりこれを投稿しているKAZMAと一致する。ついさっきも宣伝ツイートをしてたみたいだな」


 だからどうした。探偵気取りかもしれないが、ひとつも俺まで届いていないぞ。クソが。


 俺は山本がじたばたしているのを見ながら、どこか徐々に安心していた。

 やはり、「KAZMA=俺」説はそう簡単に実証できないだろう。その証拠はどこにも残していないのだから。お前とは違うんだ、ブタが。


「KAZMAってニックネームでしょ? 本名がカズマなんじゃないの?」


 けらけら大笑いしながら俺のネタ帳を読んでいた吉岡が、バカがバカなりに鋭いところを突いてきた。


 俺の名前は和馬……。 クソが!


「登場人物に自分の名前を付けたりする人もいるよな。特に一人称の話だったら、その主人公が自分の分身になるというか反映させるというか。登場人物を知り合いに反映させたりとか。俺はそんな迂闊なことしないけどね」


 文芸部の佐々木が、浅い創作経験から鋭いところを突いてきた。

「異世界ハーレム戦記」の主人公はカズマ。


 クソが、クソが!


「よくある話だな。……誰だろうか?」


 山本もその意見に同意する。

 一体こいつらはどういうつもりなのだ。何故俺の邪魔ばかりをしようとするんだ。バカは黙ってろ。行動力を見せるな、クソが!


「うーん、どうだろうか。心当たりある?」


「カズマ、カズマ……」


 クラス中で犯人探しが始まった。


 このままでは、俺にたどり着くのは時間の問題である。もしこの場であのノートの持ち主が俺だと分かれば、晒し上げをくらうことになる。

 俺がなろう作家KAZMAであり、主人公のカズマに自分を投影させ、文武両道の超人で、女たちに囲まれ、ヒロインとキスをしている。俺はクラスメイトたちに、そんな男だと思われてしまう。


 耐えられない。耐えられるわけがない。


 俺は思わず立ち上がり、逃げることを選択した。「KAZMA=橋和馬」説が判明した瞬間に、クラスメイトの追及を受けることが耐えられなかった。かといってここで舌を噛んで死ぬ勇気もない。


 もし、あのノートの持ち主が俺だとバレてしまったらどうなるか?


「お前の小説は書籍化しないのか?」


「キスシーンあるけど、お前キスしたことあるの?」


「ハーレムとか、そういうのが夢なの?」


「おっぱい好きなの?」


「異世界とか小学生みたいなこといつも考えてんの?」


「ていうか、きも」


 無理だ。無理無理無理無理無理無理。


 想像するだけでも恐ろしい。死ぬよりも、恐ろしい。

せめて、昼休みの間だけでもこの教室から出なければいけない。ここは地獄だ。


 ぼっちにとって自由とは不自由だ。

 自由にしていいと言われてもすることがないのは苦痛でしかない。挙句の果てに自由を行使できる者たちが、不自由なものを虐げてくる。自由というナイフで、不自由な者を切り裂いてくる。自由な発言、自由な思い付き、自由な捜索、自由な虐殺。俺は自由に殺される。不自由のまま、殺されてしまう。


 俺は席から立ち上がり、一目散に教室を出た。

 俺の行動で、もしかしたら俺がKAZMAだとバレたかもしれない。でも今はそんなことどうでもいい。とにかく、自由から逃げる。俺にはそれしかできなかった。



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