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第4話 書籍化作家山本雄太

 朝七時。いつも起きる時間に俺は家を出た。


 母には、友達と一緒に勉強する約束があると嘘を言った。テスト前ということでその嘘はあっさり信じ込まれたが、まさか俺に友達などいないという真実までは看過されなかった。


 俺は母の前ではいつも優等生で、友達に囲まれていて、楽しい学生生活を送っているのだ。


 嘘をついたことは良心の呵責があるが、これも母を心配させないためである。まさか俺がクラスではほとんど何も喋らずひとりぼっちでいると知ったら、それこそ母は気になって仕事に身も入らなくなるだろう。


 過保護にされているというわけではない。母子家庭で育ってきて、母一人子一人で長く生活していると、そこには独特の絆というものがあるのだ。


 父がいなくて寂しいとか、そういったことを感じたことはない。俺には家族が欠けているとか、不幸と思ったこともない。だからこそ母への思い、そして母から俺への思いは深くなっている。この深い絆を守るために、俺がつく嘘は間違ってはいないはずだ。


 朝の校舎は俺のもやもやした感情とは裏腹に、清々しい。


 いつもなら押しつけがましく朝練をしている野球部もテスト前なので今日はいない。グラウンドも邪魔者がいないために空気が綺麗だ。


 俺は昨日の昼休みと五時間目の半分をゆったり過ごした校舎裏に向かった。


 小説のネタ本を回収するためだ。


 幸いこの時間はまだほとんど生徒もおらず、この行動を誰かに見られるような心配はしなくて済んだ。


 あのネタ本には世界観の詳細やキャラ設定、今後のプロットなどが書き込んであり、あれがなければ執筆ができない。俺は毎週、月水金の三回更新を心がけているが、このままでは明日の金曜更新分がまだ仕上がっていないのだ。テスト前だからと言って勉強よりも執筆を優先させなければならない。


「いそげ、いそげ」


 小走りになりながら、自然と焦りが声に出る。


 あれが誰かの手に渡ってしまうと大変だ。もしクラスの誰かに見られたら。あれを書いているのが俺だとバレたら。考えるだけで恐ろしいが、あのノートには俺の名前などどこにも書いていないので最悪の事態は起こりえないのだが。


 俺は学校ではできるだけ目立たずに、クラスの空気に溶け込むように心掛けている。目立って良いことなど何もなく、その先にあるのは軽蔑、迫害、孤立となる。


 そんなことになるのならば、俺は自ら自主的にぼっちで過ごし、穏便に学生生活を送りたい。同じ孤立にしても、能動的な孤立と、悪意による孤立はまったく違う。


 俺は校舎裏に近づくにつれ、次第に緊張してきた。

 ベンチの上にノートがあると俺は信じている。ノートは誰にも見られないまま、ここにあるはずだ。


 しかし、もしなかったら? 誰かに持ち去られていたら?


 イメージというのはいつもネガティブなところから発進する。

最悪の事態を考えるのは俺の悪い癖かもしれないが、それをポジティブに塗り替えられる者こそが勝者になりうるのだ。


 俺はこんなちっぽけな事態に躓くわけにはいかない。さっさとノートを取り戻し、最高でクールで独創的な小説を執筆し、そして書籍化する。


 山本雄太になんか負けるわけにはいかない。いや、負けているはずがない。


 校舎の角を曲がり、ペンキが剥げたベンチが見えた。

 あそこの上に、俺のノートが。


「……あるはずだ。絶対、ある」


 自分自身を勇気づけながら、俺は一歩一歩近づく。胸は高鳴っている。


 何も起こらない。俺はこんなところで躓くはずがない。まっすぐ、俺は歩く。


「……ない」


 ――どこにも俺のノートはなかった。



 朝のホームルームが始まっても、俺の意識は曖昧だった。

 校舎裏のベンチで俺のノートは見つからなかった。教室に入っても、もちろん机の中も何度も探した。ロッカーにも、どこにもノートはない。


 一体どこへいったのだ? 考えれば考えるほど、あのノートが誰かの手に渡ってしまったことを想像し、恐怖に支配される。


 いつの間にか朝のホームルームが終わっていることに気づいたのは、クラスメイトの口から「山本」という名前を聞いたからだった。


「聞いた? 山本の話」


 昨日の昼休みに話題にしていた女子とは違う、佐々木という男子が山本の名を発した。


「山本? 誰それ?」


 佐々木の話を聞いているのは、吉岡という女子。

 二人は俺が座っている席の斜め前で、机に腰をおろすという下品な座り方で話し始めた。吉岡の短いスカートから太ももが露になり、俺は慌てて目を逸らす。俺は窓の外に視線を置きながら、耳だけは佐々木と吉岡の会話に一点集中させる。


「隣のクラスの山本だよ。小説書いてる」


「ああ、昨日言ってたやつ。ネットに小説投稿してるんでしょ」


「それそれ。その山本がさ、なんか本出すらしいよ。マジで」


「マジ? ウケる!」


 山本が本を出す? 


 やはり「山本雄太=隣のクラスの山本」説が実証されたのだ。


 昨日、山本雄太がTwitterで書籍化の報告をしていたが、やはりその山本雄太は、隣のクラスの山本だと確定したのだ。


「今朝からずっと自慢してるらしいよ。これ、見てみ」


 佐々木はスマホを取り出し、吉岡がその画面を覗き込む。


「うわ、『異世界で始めるエリート生活』って、これがタイトル? なにそれ」


 吉岡が眉間に皺を寄せながら、スマホの中の文章を読み上げている。

 隣のクラスの小太りでどんくさい山本は『小説家になるぜ』で日間7位の小説を書いて書籍化することになった山本雄太本人なのだ。


「けど、すごいじゃん。山本の書いたのが本になるんでしょ? 内容はどうあれ、評価されたってことじゃん。やるね」


「そうだよな。印税とかガッポガポだろ?」


「佐々木も文芸部なんだから、こういうの書いてネットに投稿すりゃいいじゃん!」


「無理だよ。俺、こういう異世界とかファンタジーっていうの? 意味わかんね」


「そりゃそうか!」


 佐々木と吉岡は顔を見合わせて大笑いしている。


 俺は佐々木が文芸部であることを初めて知ったが、同じ物書きが笑うというのはどういうことだ。


 書籍化するということの素晴らしさが、一般人にはそのすごさが理解できないのであろう。所詮は印税だとか、そういった見せかけの利益しか思いつかないのだ。俺はそんな短絡的な佐々木と吉岡が哀れだった。


「ちょっと、なんか用?」


 その言葉が自分に向けられていると気付くのには、吉岡がスカートを手で押さえながら俺を睨んでいることが分かったからだった。


 俺はいつの間にか知らず知らずのうちに、佐々木と吉岡の会話に耳を向けているだけではなく、じっと見つめてしまっていたのだった。まさか吉岡のスカートの中を覗いていると思われてしまったのだろうか。吉岡は怪訝な顔で、俺を睨み続ける。


「いや、なにも……」


 俺はいてもたってもいられなくて、席を立つ。


「なに、あいつ」


 俺の背中にはそんな冷たい言葉が突き刺さり、逃げるように廊下に出た。


 すると隣のクラスに人が溢れかえっていたのだった。何事か、と考えるのと同時に、まさか、とひとつの事案に思い当たり、その予想は外れていなかった。この人だかりの目当ては、山本だった。


「おい山本、すげーじゃん!」


「いつ出るの? 絶対買うわ」


「印税でなんか奢ってくれ!」


「今のうちにサインくれよ!」


 いつもの俺と同じように教室の端っこで俯き、汗をかいていた小太りの山本の周りに集まる生徒たち。


 サインを求められ、まんざらでもなく頭を掻いている山本。その群衆に混ざっていない生徒たちもスマホを手にしながら、『小説家になるぜ』の山本雄太のページを開いては、「すごいよね」とか「マジだ」とか呟いては、山本を賞賛していた。


 山本は一夜にして人気者になっていた。


 書籍化という事実は、彼を校内のスターダムに押し上げたのだった。


 昨日、山本がネットで小説を書いているという噂が流れた時点では、むしろキモイという反応だった女子たちも、書籍化されるとなったらこの騒ぎである。


 なんて浅はかな奴らだろうと思うが、やはり書籍化されて印税が入るということは、高校生にとっては威力のある事実だし、山本がプロ作家になったということなのだ。


 俺はそんなミーハーな群衆から離れ、トイレに駆け込んだ。


 山本が羨ましいのか? 

 書籍化できない俺は山本に負けたのか? 

 同じぼっちだったのに、むしろカーストは下だと思っていた山本に、俺は負けたのか?


 俺は負け犬、山本は勝ち組?


「そ、そんなわけがない……。そんな……」


 トイレの個室で頭を抱える。


 確かに山本の書いている「異世界で始めるエリート生活」は確かに面白かった。俺の作品よりもPV数もブックマークもダントツに多く、評価も圧倒的に良い。


 数字だけを見ると、俺の完敗である。


 でも、認めたくない。認めるわけにはいかない。


 俺はポケットからスマホを取り出し、Twitterを開ける。

「#小説家になるぜ」のハッシュタグで検索し、出てきたネット作家たちを片っ端からフォローする。そして彼らの宣伝ツイートをリツイートしまくった。


 10件20件じゃない。100件以上、いやもっと、手当たり次第にリツイートする。するとリツイートされた相手は、お礼に俺の宣伝ツイートもリツイートしてくれるはずだった。それが礼儀であり、ワナビ作家の作法だ。PV数を増やす常套手段。誰もがやっているドーピング。


 俺はさらにメッセージも送りまくる。


『拡散希望。異世界ハーレム戦記、絶賛連載中なのです!』

『異世界でハーレムに興味のある方は読んでほしいのです!』

『かわいい子とのムフフな展開がいっぱい! エロエロなのだ!』


 ネット上での「KAZMA」と俺は別人格だ。


 俺は可愛らしい言葉遣いで、必死にツイートを連投した。Twitterで俺の作品のURLをつけて宣伝を広げれば、PVも上がる。そうすると評価も上がる。


 山本に負けていられない。なんとか評価を得て、出版社の目に留まり、一刻も早く書籍化しなければいけないのだ。


「俺は負けてない。俺は負けてない。俺は勝ってる。俺は勝ってる」


 山本の作品は確かに面白いが、俺の作品が負けているわけではない。露出が少ないだけ。読者にまだ見つかっていないだけ。読んでもらえれば、分かってもらえるはず。出版社の担当様に読んでもらえれば、間違いなく書籍化の打診がくるはず。負けていないのだから。


「山本なんかに負けてない!」


 トイレで必死にリツイートを続けた。


 俺を見てくれ。俺の作品を読んでくれ。俺を認めろ。俺はここにいる。


「俺は、負けてない!」


 この地道な宣伝リツイートが実を結んだのか、この数分で俺の「異世界ハーレム戦記」のPVは20アクセス増加した。


 まだまだ足りないが、もうすぐ一時間目の授業が始まってしまう。正直、今はここで宣伝ツイート爆撃するほうが重要だったが、二日続けて授業をサボるわけにはいかない。俺はしぶしぶトイレを出て、教室に帰ることにした。


 相変わらず隣のクラスでは山本の周りに人が集まっていたが、俺は我関せず、見ないようにして素通りする。


 教室に入ると、吉岡が目ざとく俺を醜いものでも見るような目で睨んでくるが、俺も無視して自分の席に戻る。浅はかで下品な女子にどう思われようが、俺の小説の評価が上がるわけではない。俺が欲しいのはクラスメイトの評価より、PVアクセスだ。


 チャイムが鳴り、一時間目の日本史の授業が始まる。


 俺は授業中もスマホを教科書で隠し、Twitterで宣伝ツイートを続けた。なろう作家のフォロー、宣伝ツイートのリツイート、そして自作の宣伝をひたすら続けた。


 午前中の授業はほとんど聞いていなかった。おかげでいくつかの教科でテスト範囲を聞き逃すことになったが、今はそれどころではなかった。


 そして昼休みになり、俺はすっかり忘れていたノートのことを、思わぬ形で思い出すことになる。


 それは、地獄の始まりであった。


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