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第3話 嫉妬

 目が覚めたときはすでに外も暗くなっており、時計を確認するとすでに夜の9時を回っていた。


 しまった。時間を無駄にしてしまった。俺にはやらねばならぬことがあるのだ。


 なんとか今週の金曜日更新分の「異世界ハーレム戦記」を書かなければいけなかった。心のどこかに、山本雄太に負けていられないという気持ちがある。「山本雄太=隣のクラスの山本」説はとりあえず置いておこう。


 俺は急いでパソコンを立ち上げ、鞄からノートを取り出そうとした。「異世界ハーレム戦記」のネタ本だ。


「……ない?」


 鞄をひっくり返し、教科書やノートが床に散らばる。


 まさか、と嫌な予感がよぎった。


 学校で鞄からあのノートを取り出したのは、昼休みに校舎の裏のベンチに行ったときだけのはず。


 あのときは結局山本雄太の小説に夢中になり、ノートはほとんど使わなかった。そしてとっくに五時間目が始まっていることに気づき、慌てて教室に戻ったのだった。


「まさか、あのときベンチに置きっぱなしにしたのか?」


 鞄にしまったのならば、今もここに入っているはずである。教室に戻ってからは、鞄の中身を机に入れたりはしなかったはずだ。


 もしあのベンチに置きっぱなしになっているとしたら、非常にまずい。誰かに見られてしまっては、一巻の終わりだ。


 これから学校に取りに行くか? しかしすでに9時を回っており、校舎は閉まっているはずだ。校門さえ開いていれば、校舎の裏まで行くことはできるだろうが、守衛などに見つかったらなんて言い訳をすればいい?


 俺は焦った。なんという日だ。これもすべて隣の山本のせいである。昼休みにあんな噂を聞かなければ、こんなことにはならなかったはずだ。


「ただいまー。ごめーん、遅くなっちゃって」


 玄関から、母が仕事から帰ってきた声がした。

 うちは母子家庭で、母は保険外交員の仕事でいつも帰りが遅い。こんな時間から学校に忘れ物を取りに行くとなったら、母にいらぬ心配をかけてしまうだろう。ただでさえ夜遊びをする友達もいないのに。


「和馬、ご飯買ってきたから食べましょ。出来合いのものばかりだけど、許してね」


 俺が二歳のころに両親は離婚し、俺は母に引き取られた。どうやら父がよそに女を作って、出ていったらしい。それ以来、俺は母と二人で小さな公営住宅で暮らしていた。


 俺にもいろんな事情があり、できるだけ母には心配をかけたくなかった。俺が学校ではぼっちなことも内緒にしているし、ネットで小説を投稿していることも秘密だ。


 いつか書籍化して、印税で母に楽をさせてあげたい。それも俺を執筆活動に情熱を燃やすエネルギーのひとつでもあるのだ。


「おかえりなさい」


「すぐ支度するからね」


 台所では母親が着替えもせずに、買ってきたお惣菜を皿に盛っている。パックのままでいいのに、母は「それじゃ味気ないじゃない」といってわざわざ皿に並べる。お惣菜にはいつも、半額シールが貼られていた。


 うちは間違いなく、貧乏だった。

 半額のコロッケと青椒肉絲、マカロニサラダが今日のメニューだった。ご飯だけは、タイマーで炊いてあった。


「いただきます」


 手料理ではないが、うまそうに食べることが母への感謝になると思っていた。俺が高校に通えているのも、母がたったひとり働いてくれているおかげだ。


「もうテスト一週間前でしょう? 勉強してた?」


母も仕事で疲れているだろうに、俺に話題を振ってくる。


「うん、帰ってきてからずっと」


 ついさっきまで寝ていたなんて言えなかった。母の疲れた横顔を見ながら、嘘をついてしまったことに心が痛んだ。


「夜中にお腹すいたらいけないから、おにぎり作っておこうか?」


「いいよ。母さんも疲れてるだろ。早く寝なよ」


 そんな他愛もない会話を交わし、母子ふたりだけの半額の夕食は簡単に終わり、俺も部屋に戻った。


 そのころには、すでにノートの件は俺の中で落ち着いていた。

 なぜかというと、今日からテスト一週間前に入ったのだ。テスト前は部活動が禁止になる。そういえばサッカー部の小西が放課後も教室に残っていたのは、サッカー部の練習がないからだ。


 部活動が禁止となると、放課後に校舎に残る生徒も少ないだろうし、なによりグラウンドで運動部の奴らがいないということだ。そうすると、わざわざ校舎の裏に誰かが行くという可能性は極めて少ないと言える。


 もし俺のノートが置き去りになっていても、明日の朝いちばんで取りに行けば、無事回収できるはずだ。


 微かな僥倖が見えた。俺は満腹になって気が抜けたように、多少楽観的になっていたのかもしれない。なんとかなる、そう信じ込もうとした。


 しかしあのノートがなければ今日は執筆ができないということになる。

 この一日のロスは大きいが、あやふやな状態で無理やり執筆しても、満足なものが書けるはずがない。これは神が与えてくれた休養だと割り切ることにした。


 それと同時に、俺は最大の関心ごとについて、調べることにした。

「山本雄太=隣のクラスの山本」説の解明だ。


 昼休みは山本雄太の作品を読むことしかできなかったが、これからじっくり彼の素性を探ってやろうと考えたのだ。


 そしてそれは簡単に判明した。

『小説家になるぜ』の山本雄太のプロフィールを調べると、ご丁寧に活動報告にTwitterアカウントが貼り付けてあった。


 それを辿ると、「山本雄太@異世界エリート生活」の名前で登録されていた。俺は自分の「KAZMA」アカウントで反射的にフォローする。

 そして過去のツイートを遡っていく。


『今日からテスト一週間前だから、がんばって執筆するぞ!(勉強は?)』

『体育の授業だりー。運動はニガテ』

『昼食はいつも購買の焼きそばパンです。毎日食べても飽きねー』


 この山本雄太のアカウントのツイート内容が、俺の知っている隣のクラスの山本と一致していた。


 まさか、本当に、あの山本が、この作品の作者なのか?

 俺は信じたくないという気持ちが勝り、現実から身を逸らすようにスマホを投げようとした。


 ちょうどその時、山本雄太のTwitterが更新された。


『ご報告! このたび拙作「異世界で始めるエリート生活」がブルードラゴンブックス様より書籍化することとなりました! 詳しいことはまた後日となりますが、取り急ぎご報告とお礼をば。ここまで書いてこれたのは読んで頂いた皆様のおかげです! 本当にありがとうございます!  #小説家になるぜ』


 俺はまともにその文字を読めなかった。


 なんというタイミング、なんという神のいたずらか。山本雄太が、隣のクラスの山本が、あの俺よりどんくさくて、汗っかきの小太りで、書籍化?


 俺は目の前に突き付けられた現実に対して、受け入れることができなかった。


 ただちにスマホの電源を切った。そのままベッドにもぐりこみ、何も見なかったかのように布団をかぶって、眠ろうとした。


 明日は早起きしなければいけないんだ。そうだ、早く寝よう。


 俺は全力で、現実逃避をした。それだけが唯一の救いだった。

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