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第16話 呼び出し

 中間テストの成績は散々だった。


 テスト前も俺は勉強する余裕などなく、ただ自分の小説のプロットを組みなおすことに忙しかったため、この成績はある程度予想の範疇だった。


 しかしテストの成績を犠牲にして得られたものが大きかったかというと、そこは考え直さねばならなくなった。俺は自分には厳しいつもりだ。損得勘定だけで自分を甘やかすつもりはなく、それが自分の夢のためだとするとなおさらである。


 俺はテスト勉強を放棄し、小説「異世界ハーレム戦記」をよりよくするため、クラスメイトを観察していた。


 クラスメイトの個性や癖、言動を小説内のキャラに加えることで、この教室内でまずは俺の小説を話題にしてクラスメイトに読ませることでPV数を増やし、書籍化に向けた小さくも確実な一歩を踏み出そうとしていた。


 その第一段階として吉岡美奈を尾行し、彼女のことを観察・研究していたのだが、結果的にこれは失敗したと判断せざるを得なかった。


 約一週間の密着により、俺は吉岡美奈の癖や特性はある程度理解できたといえる。


 この吉岡をヒロインであるミナに反映させようとしたのだが、まずこれが大失敗だった。


 何故かというと、俺のミナは純情で清楚で魅力的で尊いのだ。


 一方の吉岡はとにかくクソビッチで、俺のミナとはことごとく相反していた。吉岡の特徴をミナに取り入れるということは、すなわちミナを汚すことになり、俺自身が作ったキャラクターへの冒涜になる。こんなこと、あっていいはずがなく、俺は危うく道を踏み外しかけたのだ。


 すべては吉岡のせいだ。あいつがクソビッチであることが、俺の計画を邪魔したのだ。


 ミナはあいつのように見境なく男に愛想を振り巻くようなことはしないし、スカートも短くないし、誰とも付き合ったことがないし、俺だけを見てくれているのだ。ましてや俺にビンタなんてするはずがなく、俺のミナは暴力からはもっとも遠い存在なのだ。


 なんとか道を誤らず、すんでのところで踏みとどまった。このまま吉岡を追いかけていたら、俺の「異世界ハーレム戦記」が凌辱されるところだった。


 ここで引き返す勇気というか、計画を見直すことができる俺はやはり判断力に優れている。カズマとミナのラブストーリーへと舵を切りかけたが、やはり当初のプロットをそのまま生かすべきだ。


 この一週間の出来事は山本という存在が俺に与えた迷いと焦りのようなもので、試練のようなものだった。

 神が俺に問うた、念押しのようなものだったのだ。


『お前は、書籍化のために、山本のように安易な道を行きたいのか? それはお前の信念を曲げるようなものだが、いいのか? 面白いものを書くことこそが、書籍化への最短距離だと信じていたのだろう? その信念を曲げ、クラスメイトに媚びてPV数を稼ごうとするのか? それでいいのか、KAZMAよ?』


 そう問われているようで、ようやく俺は目が覚めた。

 俺は、なろう作家KAZMA。隣のクラスのブタ野郎・山本雄太とは違う。


 あいつがたまたま書籍化という結果を出したからといって、俺が焦ることはない。俺は俺の信念をもって、面白い作品を執筆する、それだけだ。


「俺は、俺だ!」


 そう考えるとテストの成績と一週間の執筆中断もただの犠牲というわけではなく、この先の明るい未来を紡ぐためには必要なものだったのではないかと、俺はポジティブに考えた。


 自分に厳しい俺がそう考えるのだから、きっと間違いではないはずだ。



 テストが終わり、いつも通りの日常が再開した。


 テストの成績は数学を除くすべての教科が平均点以下になり、国語と英語に至っては赤点を取ってしまったが、仕方がないことだ。


 俺は以前から国語教育というものに疑問を持っていた。何が「作者の気持ちを考えろ」だ。作者の気持ちは作者にしか分からない。そんな簡単に他人の気持ちが理解できれば、戦争など起きない。教科書に載っている小説も概して面白さなど皆無で、これで文学に興味を持てというのは甚だ気持ち悪い話だ。


 たとえば「羅生門」なんかも一年生の教科書に載っていたが、ただ主人公がババアから強盗するだけの異常者の話だ。


「こころ」も三角関係に負けた奴が自殺するだけの暗い話だし、「伊豆の踊子」なんかもただのロリコン小説で、「走れメロス」もクソみたいなスポ根小説で、これらはなんのオリジナリティもリアリティもないではないか。


 この名作と呼ばれている作品を、今ネットに投稿したら、どれだけPV数が稼げるというのか。こんな暗いだけでストレスを溜めるだけの鬱小説、途中で飽きられて誰にも見向きされなくなるだろう。書籍化なんて夢のまた夢。時代に救われただけの小説だ。


 ネット小説に必要なのは、読者への共感だ。


 かたくるしい設定なんか必要なく、すっと世界に入り込める異世界テンプレで十分だし、主人公に努力させたり挫折の経験をさせる必要もない。読者に優しく、読者の願望を叶えてやる。夢を見させてやる。


 ネットで暗いだけの鬱ストーリーを書く意味がわからない。きっとそんななろう作家は、ただの自己満足のクソにわかの空気が読めない奴だろう。


 世相を反映させたり、自己満の講釈や、難解な語彙、意識の高い意見、文章力など、必要ない。作家は読者に夢と希望を与えてこそだ。


 そういった点で俺の「異世界ハーレム戦記」は、異世界、最強、ハーレム、バトル、と必要なものがすべてそろっている。俺の作品こそ、教科書に載ってしかるべきなのだ。文科省の見る目のなさたるや、恥ずかしくなってしまう。


 そんなことを考える今日の昼食は、クリームパンとチョコクロワッサンと、カフェオレの定番コースであった。


 この一週間はクラスメイトの観察のために、昼休みもトイレに行く以外はこの教室内で過ごしていた。バカなことをしていたものだと、俺は過去の自分を思い出しては笑ってしまう。


 今も吉岡は佐々木と一緒に弁当を食べているが、もはや俺の興味はお前らなんかにはないのだ。さっきからこっちをチラチラ見てくるが、俺まで汚れそうなのでやめてくれ。


 さっさとパンを処理し、俺は久しぶりに校舎裏のベンチに行こうと考えていた。順調に三分足らずで昼食を終え、鞄にネタ帳が入っているのを確かめ、颯爽と教室を出ようとしたところ、校内放送が鳴った。


『二年C組の橋和馬君。昼食を終え次第、職員室の篠田のところまで来なさい』


 席を立った俺にクラスメイトたちが一斉に目を向ける。


 俺は校内放送で名前を呼ばれたのが初めてだったので一瞬で緊張してしまったが、思い当る節はひとつしかない。テストの成績のことだ。2年になって初めてのテストだったが、昨年に比べてこの成績の落ち込みに、担任の篠田に心配されてしまったのだろう。


 これまでは目立たないように、俺は平均点のちょっと上、という成績を修めてきたにも関わらず、一度崩れただけで呼び出されるという羞恥を受けることになるとは。


 俺は動揺していることを見せないように、そのまま教室を出た。


 さっきから吉岡がこっちを見てニヤついている。こっち見んな、ビッチが。さっさと篠田の話を聞いて、ベンチに行こう。成績に関しては、ちょっと進路について迷いがあったがもう大丈夫なので心配いらない、言っておこう。


 昼休みの職員室。職員室に入る経験はほぼなく、たぶん入学して三度目くらいだ。


 俺は職員室の入り口に貼られている教員の座席表を確認しつつ、入るときは挨拶をすべきか逡巡したが、いろんな生徒が無言で入っていくのを見て、黙って入室した。


 室内はごった返しており、二年生担当の教師が固まっている一画を目指す。途中、コーヒーのこげたような臭いがする。


 目標の篠田は、パソコンを見ながら片手間で弁当を食べていた。ジャージ姿で、一心不乱に箸を動かしていた。


「先生……」


 俺は恐る恐る声をかけた。パソコンのディスプレイにはエクセルの表が表示されており、やはり俺のテストの点数を見ながらなにやら言われるのだな、と俺は予想をつけてとっさに申し訳なさそうな顔を作る。


「おう、橋。ちょっと待ってくれ」


 そう言うと、篠田はノートパソコンを閉じてしまった。成績のことではないのだろうか。俺はしばらくそこで立たされたまま、居心地の悪さを感じた。


 職員室では教師と友達感覚で喋る生徒や、叱られて俯く生徒、提出物を出しに来た生徒、さまざまいる。他の生徒から俺はどう映っているのだろうか。


「よし、ちょっと行こうか」


 そう言うと篠田は席を立ち、俺についてくるように促した。俺はここで話をするものとばかり考えていたので驚きを隠せずに、篠田に従うしかなかった。


 篠田は職員室を出て、数部屋先の生徒指導室に入る。


 俺はなんだか嫌な予感がした。テストの成績で話があるならば、職員室でもよくないか? いや、最近は生徒のプライバシーも尊重される時代になっているので、別室でという俺への配慮か?


 それにしても生徒指導室とは、そのネーミングからして良くない。イメージでは連れてこられるのはヤンキーとか、そういった高校生活に害を及ぼす奴らを更生させるための部屋だ。俺の高校生活とは果てしなく縁遠く、一生用がない部屋だと考えていたのに。


 俺は背筋に汗が流れるのを感じた。その汗は俺の頭のてっぺんからつまさきまでを一瞬で凍らせてしまうような、そんな破壊力があった。


「さ、入れ」


 生徒指導室のドアを開けると、中が見えないように青いパーテーションで区切られていた。その奥に入った篠田は手招きして俺を促す。

膝が震えそうになるのを我慢しながらドアを閉め、奥へ進む。


「座って」


 ドラマでよく見るような、警察の取り調べ室のような簡易な室内だった。


 木の机に、椅子が四つ。すでに篠田が座って腕を組んでいる。俺も言われた通り、篠田の斜め向かいの席につく。


 窓にはカーテン、本棚にはよく分からない分厚い本が並んでいる。大きな観葉植物があるが、まったく世話されていないのか葉っぱに埃がたまっている。壁に立てかけられた竹刀が、この部屋の異様さを際立たせている。


「お前、吉岡にちょっかい出してるそうだな」


 椅子に座った途端に、篠田のいきなりの言葉。俺は膝の上に置いていた手に力が入ってしまった。


 吉岡に、ちょっかい?


 俺は教室を出るとき、吉岡が俺を見てニヤニヤしていた理由が分かった。あのクソビッチが、俺のことをチクったのだ。


 被害者意識丸出しか? 誰がお前みたいなもんに好きでちょっかい出すというのだ!


「昨日、いろいろあったみたいだな。事実なのか?」


 事実? 吉岡はなんてチクったのだろうか? 俺に付きまとわれた? 俺の鞄を蹴り飛ばして、俺の腕を掴み、ビンタをしたことは? そもそも俺の小説をバカにしたことは? 


「橋、俺も吉岡の言い分だけを聞いてとやかく言うつもりはないんだ。あいつも気が強いほうだし、勘違いってこともあるしな。だからぁ、何があったか話してくれないか?」


 俺は手のひらに汗が溢れてくるのを止められず、ズボンに押し付けてなんとか冷静にいようとした。ここで焦っては疑われる。俺は何も悪いことをしていないのだ。ただ、創作活動の一環として、結果的に吉岡のあとをつけただけ。夢を叶えるためだ。


 しかしそのことを今ここで篠田に説明すべきだろうか。説明するとなると、やはり俺がネットで執筆していることから話さねばならない。


 篠田はどう思うだろうか? 「そんなもの書いてるから成績が悪くなったんだ」と無理やりテストの件と結び付け糾弾してくるかもしれない。


 教師も大人だ。俺とは価値観が違う。俺の夢を簡単に否定し、今は高校生活と入試に向けて勉強をがんばれ、なんて白々しい生徒指導を行うかもしれない。それに反抗すると、教師の剛腕を振るい、俺の内申点には「素行不良」などと書き加えられてしまう。


 俺はそんなことで目立ちたくないのだ。日々平穏に、小説を書いていたいだけなのに、なんでこんなことになる?


 すべては吉岡のせいだ。あいつが余計な告げ口をしやがるから。


「黙ってたら、吉岡の言うことが全部真実になってしまうぞ? だからぁ、悩んでることがあったら、教えてくれ」


 篠田は机に肘をつき、身を乗り出した。俺は黙って、俯く。


 何も言えない。教師は敵だ。大人は敵だ。自分を守るものは、自分だけ。俺の夢を守れるのは、俺だけ。


 俺は沈黙を続け、予鈴のチャイムが鳴って、俺は解放された。


 この選択は間違っていないはずだ。反論しても、プラスにはならない。ことをややこしくするだけで、執筆に関わってしまう。


 俺は俺を信じ、ただ吉岡のあのニヤニヤとした顔だけが、俺の頭の中から離れないでいた。


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