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第15話 俺のミナ

 テスト最終日、教室内は解放感で溢れていた。


 テストという学生ならではの俺のミナも肉体的にも縛られていたイベントから解放されて、すでに放課後はどこへ行こうだとか、何して遊ぼうだとか、そんなゆるい空気が流れていた。


 俺はというと、特にテストが終わったことによる弛緩はまるでなかった。俺の人生は高校の管理システムによって左右されることはないからだ。


 ただ、この数日間は吉岡の研究はほぼ後ろ姿を眺めていただけなので、今日からは新たな展開を期待していた。


 ミナの学校外での姿を研究してやろうと、そう考えていた。


 ミナも例外なく、テストが終わった瞬間に佐々木の席へ行き、「どこ行く? ね、どこ行く?」とふにゃふにゃと背骨が抜けたような女子らしい動きをしていた。


 ミナは言葉の間によく「ね」を挟む。これもあいつの特徴であり、聞いている方としてはいちいち気になるが、口癖は仕方がない。


「俺、今日文芸部のミーティングがあるから」


 そんなミナに対して佐々木は無碍なくあしらう。


「えー、テスト終わったとたんに部活? そもそも文芸部でなんのミーティングするのさ! ね、カラオケ行こうよ!」


「文芸部だっていろいろ忙しいんだよ! そろそろ文化祭に向けて作品を仕上げなきゃいかんだろうが」


 いい気味だ。佐々木に誘いを振られたミナは左肩のブラ紐を直しながら、頬を膨らましていた。


「じゃあいいよ。ひとりで帰るからね! いいの? ね?」


「いいよ。勝手に帰っとけ」


 ミナは実際に「プンプン」と言いながら乱暴に鞄を担ぎ上げ、そのまま教室を出ていった。


 こうしちゃいられない。貴重な研究対象に逃げられるわけにはいかない。俺もすかさず、ミナを追って教室を出る。


 ミナは教室を出ても人気者だった。隣のクラスから出てくる生徒とも軽く挨拶を交わし、颯爽と廊下を歩いていく。


 ちなみに俺は隣のクラスの前を通るとき、山本の姿をちらっとのぞき見したが、すでにあいつの姿はなった。テスト最終日なのにあいつは用事もなく、どうせ速攻で帰ってしまったのだろう。寂しい奴だ。


 山本のことなんか同情する一瞬すらも勿体ない。俺は自分の大切な用事を思い出し、ミナを追う。すでに階段を降り、げた箱で靴を履き替えていた。


 俺はミナが外に出るのを、壁に貼られていた興味もない大学のオープンキャンパスのポスターを眺めながら待った。


 あまりにも近寄りすぎると観察していることがバレてしまう。ただでさえミナは俺を避けているのだ。


 テスト最終日ということで全校生徒が一斉に下校するため、ミナを尾行するには最適のタイミングだった。ツイてる。完全に運までも味方につけてしまったようだ。


 中には部活に向かう者も多く見えるが、そもそもクラブ活動というものはさっぱり理解できない。なぜ授業が終わっても学校に残って活動をしようとするのか。そこまでして他人と群れていたいのか。集団行動が協調性を育み、豊かな人生を形成するだと?


 バカか。そんなもんに頼ってるから、誰かに頼らなければ生きていけないようなひ弱な人間を生み出すのだ。人間が頼れるのは自分だけ。完全に分かり合える他人など、この世にいるはずがない。


 俺は長年ぼっちを続けてきて、そう悟っている。これまでもお互い親友と言いながらも、簡単に袂を分かつ者たちを多く見てきた。ほんの小さな嘘で裏切られたと被害者ぶって、あっさり親友との縁を切るのだ。


 あれは小4のときだった。俺にもそのころは山西という唯一と言える親友がいた。お互い外で体を動かして遊ぶのは苦手で、団地の公園でいつも行われているサッカーに参加する気にはなれなかった。それで俺の家でいつもゲームをしたり、マンガを読んだりして過ごしていた。俺はそれで満足だったし、山西もそうだったに違いない。


 その日も俺と山西は、俺の部屋で過ごしていた。山西が新しく買ったというマンガを持ってきて読んでおり。俺はゲームをしていた。


 お互い会話などしなくても分かり合えていると感じていた。

 俺と山西はそういう関係で、他のクラスメイトたちのようにいちいち感情を言い合うような幼稚なコミュニケーションは必要としていなかった。こうやって本を読み、ゲームをして過ごすことで親友として満足だった。


 あるタイミングで山西がトイレに行き、その間に彼が読んでいたマンガの上にコップが倒れてしまった。山西は軽率なところがあって、コップをテーブルではなく床のふかふかのカーペットの上に置いていたため、何かの振動で倒れてしまったのだ。


 俺は焦り、山西のマンガはすでにジュースに濡れてふやけてしまっていた。俺も自分の部屋のカーペットが汚れてしまうことが嫌だったので、真っ先にティッシュで拭いていたら山西が戻ってきた。


 あいつは「何やってんだ!」と、今まで聞いたことのない大声を出した。そして床を拭く俺を突き飛ばし、自分のマンガを取り上げて、あろうことか俺のベッドの布団で拭き始めたのだ。


 考えられない。ここは俺の部屋であり、そもそもこういった事態になったのは山西の不注意が原因だ。ちゃんとコップをテーブルの上に置いておけばこんなことにならなかった。それに俺もカーペットを汚された被害者であり、何が悲しくて山西に突き飛ばされなくてはならないのだ。さらに濡れたマンガを布団で拭かれるという二次災害まで引き起こされたのだ。


 さすがの俺も山西にイラッとした感情を持ってしまった。


 持っていたボックスティッシュを山西に投げつけた。布団で拭かずに、ティッシュで拭けばいいだろうという意思表示のつもりだった。しかし必死で一ページ一ページを布団で拭う山西は、それを挑発とでも思ったのだろうか、それともマンガが俺よりも大切だったのだろうか、「買ったばかりなんだぞ、クソが!」という暴言を吐きだした。


 クソ、という言葉を他人に向ける精神状態は異常なものである。


 小学生だからといって、親友に向かって言っていい言葉ではない。山西は俺をクソ呼ばわりし、マンガを優先したのだ。


 俺は深く傷つき、山西が俺の中で親友という枠から外れた瞬間だった。財布から千円札を取り出し、山西に突き付けた。マンガを弁償するには十分すぎる額であったし、さらには俺の部屋の被害総額はこんなものじゃないんだぞという皮肉でもあった。カーペットと布団がおじゃんになったのだ。お前はこの責任をどうしてくれるのだ、どう補償してくれるのだ、と問うたつもりだった。


 しかし自分のマンガのことしか興味がない山西は、俺の手から千円札をもぎ取り、鬼でも睨むような目で俺を見下し、ベッドに一度蹴りを入れて、部屋から出ていった。


 俺と山西はそれっきりの関係になった。


 汚されたカーペットと布団の弁償もされず、山西は俺と目線すら合わせなくなったし、俺も二度と話しかけることもなくなった。


 翌日から山西は公園でサッカーに混ざり、俺はひとり部屋でゲームをし続けた。


 人と人の関係とは、それくらい不安定で脆弱なものなのだ。簡単に崩れてしまう。俺は悪くないのに、山西の悪意によって踏みにじられ、簡単に崩壊する。


 ミナと佐々木も今は付き合っているのかもしれないが、そんなものいつどこで崩壊するか分からない。


 別れた途端、どちらかは泣くのであろう。悲しむのであろう。じゃあ、最初から付き合うなよ。裏切られることが分かっているのに、人はなぜ無駄なことをしようとする。時間が、感情がもったいない。

 人間は、なぜそれに早く気付かない? 


 俺のように気づいてしまえば、もはや他人と群れようとは思わずに、ただ愚直に自分のためだけに生きていけるのに。それが人生における効率化であり、目標達成のための近道なのだ。


 今、こうやってミナのあとをつけているのも、目標達成への確実な一歩なのだ。


 俺は今、ひとりで生きてきたことに感謝している。何のしがらみにも干渉されることなく、自由に行動できているのだ。自由にミナを研究できている。


 友人がいればそいつの目を気にしなくてはいけない。そいつの行動を慮ってやらなければならない。連れションなんかその最たるものだ。トイレにもひとりで行けないような不自由など、俺は歓迎しない。ひとりでやりたいように、俺は俺の自由を、夢を求める。


 それはとても素晴らしいことだ。ミナを研究することは誰にも邪魔されない。俺の俺による俺だけの自由。ミナは俺のものだ。もう離れない。


「……?」


 学校を出て、ミナのあとをつけていた俺は異変に気付いた。


 最寄り駅への道すがら、大半の生徒たちは駅に向かうために左に曲がるのに対し、ミナは流れに逆らい右へと曲がった。


 俺のこれまでの研究によると、彼女も電車通学のはずである。なにか用事があるのだろうか? さっき佐々木とカラオケに行こうとして断られていたが、もう新しい約束を取り付けたというのか。


 俺は生徒の人混みの中に身を隠しつつミナを追っていたのだが、このままでは尾行に支障をきたしかねない。人通りの少ない道に行かれると、どうしても目立ってしまう。


 そんな心配をしていると、ミナはどんどんと駅から離れるように歩いていく。俺も仕方なく道すがら路地や電柱に身を隠しながら、その姿を追う。


 テスト最終日なのでまだ午後一時すぎ。この時間帯に制服姿でほっつき歩くには目立って仕方がない。


 人に紛れることができず、物影が少ないと俺は遅れはじめ、ミナはどんどん俺から離れていき、さらに細い道に入っていった。俺は迷いを振り切り、一気に駆けだした。


 このままミナの研究を続けるためには逃してはいけない。俺も慌ててミナが入っていったクリーニング屋と民家の間の路地に入る。


――そのとき。


「あ!」


 ミナがまるで俺が来ることを予想していたように、腕を組んで待ち構えていた。


「なにしてるの、ね?」


 ミナのぞっとするような冷ややかな目に睨まれて、俺は体の機能が一斉にストップしてしまったかのように動けなくなった。握力も抜けて、ごつんと地面に鞄を落としてしまった。


「あんた、ずっと私を尾行してたわよね? 気持ち悪い、一体なんなの!」


 俺が落とした鞄が気に入らなかったのだろうか、ミナは思いっきり蹴飛ばした。真っ黒な鞄が気だるく転がる。


 俺はまだ動けないし、ミナを見つめる視線さえも固定されたまま。


「何見てんのよ。マジキモイんだけど。キモイ小説書いたり、どういうつもりなのよ?」


 今度は俺の左腕を思いっきり掴まれた。ミナのか細い腕にぎゅっと握られる。


 違う。俺のミナは、もっと優しく俺に触れてくれた。違う、違う、違う。


「……ミナ、……違うんだ……」


 俺は、つい呟いてしまった。逃げ場を失くした俺の感情が閉じこもるかわりに、あふれ出した本能がそう言わせた。


 俺自身も、俺がそんなことを言ったなんて気づきもしていない。どこかテレビを見ているような、そんな感覚で自分の声を聞いていた。


 そんなこと言っちゃダメだよ、ミナだなんて、俺は何を言ってんだ?


 まるで他人事で、そしてなんだか冷静だった。


「マジ、キモイ!」


 吉岡は俺の頬に平手打ちをかまし、そのまま元来た道へと走って行ってしまった。プンと、吉岡の良い匂いがした。


「ミ……」


 ひとり残された俺。狭い路地裏で高校生の男女がごちゃごちゃやっているのを聞き付けてやってきた野次馬たちの視線で、背中が燃えるように熱かった。


 このままここで突っ立っていると、面倒くさいことになりそうで、ようやく俺は硬直した体が動けるようになったのを確かめ、蹴り飛ばされた鞄を掴んで、そのまま逃げるように走った。


 違う、こいつはミナではない。


 ミナは、もっと優しい子だ。もっと、俺のことを愛してくれる子だ。ミナは、俺が作った、俺だけの、ミナ。


 ミナがあんなクソビッチなわけがない。


 俺は悪くない。俺はただ、書籍化という自分の未来を作るために吉岡を追っただけであって、何も悪いことをしたわけではないのだ。


 プロ野球選手を目指す者が、バットの素振りをして何が悪い?

 画家を目指す者が、風景をスケッチして何が悪い?

 料理人を目指す者が、包丁を研いで何が悪い?

 ミュージシャンを目指す者が、歌を歌って何が悪い?


 書籍化作家を目指す者が、キャラ造形のリアルを求めて女子高生を追って何が悪い?


「俺は、悪くない」


 俺は当たり前のことをしただけなのに、何故逃げているのだ。夢を追う高校生は美しいものだと、夢をあきらめた大人たちは賞賛するのに、俺の行動が間違っているはずがない。


 大人は子どもに「夢を持て」という。しかしいつしか大人になって夢を見ると「いつまでも夢を見るな」と否定される。


 夢にも消費期限があって、それを過ぎると夢はゴミになるというのか? ならばいつまで夢を追っていい? 高校生の俺はセーフか? いや、すでにゴミ箱行き? 


 俺は夢を追っているだけだ。美しいんだ。俺は俺で、夢を追う姿は美しいんだ。


 あんなスカートが短くて被害妄想の強い女とは違って、俺は、夢を叶えたいだけ。


「俺は、悪くない!」


 全速力で走りながら、俺は自分が何をしたいのか、自問自答を繰り返した。


 俺は、橋和馬。


 大丈夫、狂っていない。


 すべては俺の夢のため、未来のため、書籍化のためにやったこと。


――俺は、まだ狂っていない!


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