この地では風が吹かぬ。
火を灯せず、鐘も鳴らず、木すらも生えぬ。
ただ、灰が降る。それだけだ。
それを人々は「祝福」と呼び、舌にのせ、肺にいれ、胃に詰めて生きる。
そう名づけられているから、そうしているに過ぎない。
さっきからこんなくだらないことを言う俺は..
俺は名を持たぬ。いや、正確には捨てた。
名とは、かつてこの地に在った“龍の名”を借りて付けるものであり、俺にはそれを授ける者がもういない。
いわゆる──孤児だ。
ゆえに、ただ「解体人」とだけ呼ばれてきた。
捻りもなければ、誇りもない。ただの呼び名だ
十と八の歳から、俺は“神龍の肉”を解いて生計を立てた。名の如く、龍はこの世の神だ。
……だったものだ。
神は、もう死んだ。
だから人々はその死骸に群がり、血を吸い、骨を削り、脂を焚いて、いつまでも明かない夜をしのぐ。そうしなければならない。
俺の仕事は、灰を降らせるそんな“神の死骸”からとりわけ食える部分を選り分けること。故に解体人、か
仕事の半分はこれ。
けれど、あるとき触れた感触に、思わず動転した。
それはあまりに眩しかった。
手で隠そうとするが、無駄だった。
神は光に似ていた。
皮膚は光を反射する金属のように冷たく、
それゆえに発光しているかのように見える。
叩けば金属のような音を返す。
切り裂けば、音が増す。
「骨が音を帯びているのか」と驚いたのは、最初のことだった。
骨の中は空洞が多く、音を反響させる構造になっていた
俺は鳴り響くその肋、その骨、その音へ向かって、斧を振るい続けて砕く、砕く、砕く、砕く、
砕く。
砕く。
砕く、砕く、砕く。
砕くそのたび、耳の奥で「讃歌」のような振動を聞く。
だが、いつからか――それが「呻き」に変わった。
だから俺は、いつも自分に問いかけている。
今も、こうして。そうだ
──本当に、これは死骸か?
ある夜のことだった。
俺は、神の眼窩から降る灰を眺めていた。
そこに、ひとひらの灯があった。
誰かが、火を点けたのだ。
この地では風が吹かぬ。
だからこそ、火を灯すことは禁忌だった。
火は──記憶を呼び起こす。
忘れることこそが、この地における生の術であるにもかかわらず。
俺はその燈に近づいた。
そして、見た。
ひとりの女が、神の眼窩にのしかかるようにして、かすかな火を掲げていた。
眼のない神の頭蓋に、灯りを点す――それはまるで、神を再び目覚めさせようとするかのようだった。
「おまえは誰だ」
俺が問うと、女は言った。
「まだ、名を持たない」
その声は、燈の火のように儚く、降り注ぐ灰のように重厚だった。