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第2話 家まで付き添われる

 もうこうなったら、正直に白状するしかなかった。

「いや違くて……痛いのは足じゃなくて、頭が」

「頭を打ったのか!?」

「いえ、さっきからずっと頭痛がしてて……」

 少し首を振っただけで、眩暈がするほど痛みが強くなってきた。このままでは、とても歩いて帰れそうにない。俺はしょんぼりと肩を落としつつ、ボソボソと説明を続ける。

「その、頭痛がひどくてぼんやりしてたから、階段から落ちちゃって……すいません、巻きこんでしまって。でも、家にもどれば、薬あるんで……」

「……なるほど」

 彼は、俺の要領を得ない説明でも理解できたようだが、納得はしてないようだ。

 警備員は親切にも、落ち着くまで管理室で休んでいても、かまわないと言ってくれた。その上わざわざ隣のロッカー室に置いてあった俺の荷物まで取ってきてくれた。

 そうこうしているうちに、今度は津和の荷物らしき鞄と上着を抱えた彼の同僚ももどってきたため、せまくるしい管理室の人口密度が一気にあがった。

 津和は同僚から受け取った鞄から車のキーを取り出すと、俺に向かって手をさしのべる。

「とにかく、家まで送るよ」

 なかば強引に椅子からひっぱり起こされた俺は、激しい頭痛による眩暈と吐き気のせいで、危うくその場に崩れ落ちそうになった。

「ほら、しっかりつかまって」

「すいません……」

 彼は日本人の平均身長である俺より、頭一つ分ほど高かった。着やせするタイプなのか、細身の体に見合わず、支えてくれる腕はガッチリとしてたくましい。肩を貸してもらいながら、そうっと男の横顔をうかがった。

 高い鼻梁から続く、唇と顎のラインが欧米人の血を彷彿とさせるが、一重の涼やかな目元と相まって不思議と調和が取れた魅力的な顔立ちをしている。これは間違いなく、モテる部類の人種だろう。

 外見もさることながら、このビルに入っている会社が有名外資系企業であることを思い出し、俺は急に居たたまれない気持ちになった。年齢は俺とさほど変わらないようなのに、立場も境遇も雲泥の差だ。

(ま、くらべても意味ねーよな……)

 駐車場へ向かう道すがら、そういえば作業服のままだったことに気づき、支えてくれる男のシャツを汚したりしないかヒヤヒヤした。つい何度も謝罪の言葉を繰り返していたら、とうとう焦れた様子の声が隣から響いた。

「『すいません』は、もう聞き飽きたからいい。それにどちらかというと、君を下敷きにしてケガを負わせた俺が謝る側じゃない?」

 それは違う。階段から落ちたのは、あきらかに俺のせいだ。そして間が悪いことに、ちょうどすれ違った彼を巻きこんでしまった。どう考えても百パー俺が悪い。

 ただ下敷きになったのは俺だったため、彼にケガがなかったのが不幸中の幸いだった。自分自身、足をひねった程度ですんだのはラッキーだったと思う。ひどい頭痛で意識が朦朧とする中、そんなふうに自分をなぐさめた。

「寝るのはかまわないけど、先に住所を教えて」

「あ、はい……」

 俺は何とか住所を告げると、お言葉に甘えて?そのまま意識を手放した。




 軽く肩を揺すられて、フワリと意識が浮上した。

「着いたよ。この建物で間違いない?」

 目を開けると、彼の顔が間近にあってハッとした。眠ったというよりも、痛みで意識を失っていたと言ったほうが正しい。

 お礼を言って車を出ようとしたら、ちょっと待ってと呼び止められた。彼は上着から名刺を一枚取り出すと、裏になにやら書きこんでから俺にさし出した。

「念のため、そっちの連絡先も教えて。そこに書いた番号にワン切りしてくれればいい」

「あ、はい」

 つい従順にスマホを取り出して、言われたとおりに名刺の裏に書かれたプライベートらしき番号を呼び出す。するとそっけない電子音が車内に鳴り響いた。

 津和は手の中の画面に目を走らせ、小さくうなずくとエンジンを止めた。

「部屋まで付き添うよ」

「いえ、すぐそこなんで一人で大丈夫です。ありがとうございました」

 今度こそ荷物を抱えて助手席を出ると、窓ごしにハンドルにもたれている津和に向かって、頭痛をこらえながら頭を下げた。それから車に背を向け、極力頭を揺らさないよう慎重な足取りでアパートへ向かう。

(後もう少しで、部屋に着く……そうすれば薬が飲めるし、ベッドで休める……)

 必死に自分をはげましながら、階段の手すりをつかんだそのときだった。

「……まったく、見てられないな。ほら、肩につかまって」

 いつの間にか隣にいた津和に、ダラリと垂らした腕を取られた。

「あの、大丈夫ですから……」

「また階段から落ちたらどうする? 両足とも捻挫するつもりか?」

 冷ややかな口調でそう言われると、なにも反論できなかった。俺は観念して彼の手を取ると、外階段を上って部屋の前まで付き添ってもらった。

「鍵、出して」

 俺は言われたとおり、従順にジーンズのポケットから鍵を取り出すと、彼に渡して玄関を開けてもらった。鍵がアンロックされる音に続いて扉が開かれたとたん、室内から閉じられた蒸し暑い空気が吐き出された。

「……ありがとうございました」

 玄関先でお礼を述べて、体をはなそうと身じろぎしたが、しっかり腰に回された腕が外れない。

「ベッドはどこ?」

 彼はさも当然のように靴を脱いで玄関を上がったので、俺も支えられながらどうにか靴を脱いだ。ここまで来たら、もう遠慮してもしょうがない。

「先に洗面所へ……薬、あるんで」

 部屋の熱気と頭痛が相まって、息苦しさすら感じる中、津和に支えられてどうにか洗面所へ向かった。だがシンクの棚から目的の薬の箱を取り出すと、なぜか横から伸びた手に取り上げられてしまった。

「これって、食後じゃなくても飲んで大丈夫な薬?」

「ええ、空腹でも飲めるタイプの薬なんで……」

 少々おせっかいが過ぎる。俺は震える手で箱をうばい返すと、一錠取りだして口に入れた。続いて手ですくった水道水で、錠剤を胃に流しこむ。薬を飲めたことで、いくらか気持ちが落ち着いた俺は、シンクの縁にもたれて安堵のため息を漏らした。すると何の前触れもなく、彼の手が俺の上着に伸びて、あっと言う間に作業服の前ボタンを外されてしまった。

「寝るなら、先に着替えたほうがいい」

「はあ……」

 どうやらベッドまで付き添うつもりのようだ。親切心かもしれないが、弱っている姿をこれ以上さらすのは、地味に心へのダメージが大きい。

 そんな俺の複雑な心境をよそに、彼はテキパキと作業服の上下を脱がしてくれた。そしてインナー代わりのTシャツとトランクス一枚になった俺を、奥のせまい寝室へ引きずっていき、皺の寄ったシーツの上に転がした。

「エアコン勝手につけるよ」

 机に放置したリモコンを操作する電子音に、この部屋に自分以外の誰かがいる実感がじわじわとわいてくる。しかも、ほぼ見ず知らずの他人だ。

「明日、かならず病院へ行けよ?」

 津和の言葉に、忘れかけていた足の捻挫を思い出した。

「じゃあ俺は帰るから。鍵はポストに入れておく」

 つい、また『すいません』と言おうとして、だが口に出す前になんとか飲みこみ、代わりに「おやすみなさい」とだけ言った。

「……ああ、おやすみ」

 痛みでかたく目を閉じていたから実際のところよく分からないが、小さく笑われた気がした。

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