緊張する俺とは裏腹に、隣の津和は終始リラックスモードだ。俺の髪をすいたり耳たぶをつまんだり、変なちょっかいを出してくる。
「昨日は久しぶりに、学生時代に戻った気分で、新鮮だったよ」
「学生気分?」
「そ。やらなかった? 飲んだあと、みんなで雑魚寝とか」
たしかに学生のころは、友達同士で雑魚寝した。特に大学では、よくサークル仲間で誰かのアパートに集まって、さんざん飲んだあと、せま苦しい床で眠ったりもした。
(あのころは、今ほど偏頭痛もひどくなかったよな……)
今あんなむちゃな飲みかたしたら、翌日は間違いなく偏頭痛に見舞われるだろう。もちろん今の年齢では、体力的に考えても無理だ。
「ほんの三日間だから、布団のレンタルなんて大げさだろう?」
「たしかにレンタルしなくても、うちの……」
うちのアパートにある、と言おうとしたのだが、津和が続きをさえぎるように口を開いた。
「ここのソファーはやわらかいけど、長時間だと腰を痛めるよ。俺も過去に何度か、ベッドに行くのが面倒なときに、ソファーで寝たことあったけど、駄目だった。朝になると、体中が痛くなったからね」
「あ、そう……」
「たった三日間なんだから、一緒のベッドで寝ればいいよ。もし枕が変わると眠れないなら、もう一度車出すからアパートから取ってくる?」
「いや枕は別に、大丈夫だけど……」
「毛布とか、お気に入りのものがあると、安心したりする?」
「そういうのも、別に……」
「じゃあ、昨日と同じで大丈夫そうだな」
どうやら一緒のベッドで寝ることは、決定事項のようだ。
(もういっか……たった三日間なんだ。どうとでもなれ……)
先ほど飲んだ鎮痛剤が効きはじめたのか、だんだん眠たくなってきた。睡魔と格闘する俺に、津和はクスクス笑いだす。
「寝てていいよ。今日は特に予定もないだろう?」
「でも、せっかくだから……もっと片付けしようと、思ったんだけど……」
「見てのとおり、急いでないから後でかまわないよ」
たしかに半年もこの状態だったから、今さら急いでないのはわかる。でもそうすると、俺のいる意味って無くないか?
(やっぱり起きよう……これじゃ単なる『お泊り会』になっちまう)
思いきって体を起こそうとしたのに、津和の手で無理やりベッドへ引き戻された。背中に当たるシーツの感触がサラリと気持ち良く、包まれているような安心感がある。ほうっと息を吐くと、ふいに大きな手が伸びてきて、俺の両目をすっぽりと覆ってしまった。
「無理しなくていいよ……特に俺の前では、強がらなくていい」
「なっ……」
低く、無駄に甘い囁き声に、腰が砕けそうになった。
(なんだ、その口説き文句みたいな台詞は!)
目を塞がれているから、余計に音に対して敏感になってるのかもしれない。いずれにせよ、こんな甘い声音で口説かれたら、きっとひとたまりもない。
「こっちは君が、一番酷い状態のときを知ってるんだ。今さら驚くこともないから安心して」
「あ……」
なるほど、階段から落ちた夜がまさにそれだ。たしかにあれほどの醜態をさらしたあとじゃ、今さらな気もする。
(でもだからって、しょっちゅう具合悪そうにしているわけには)
やはり一人のほうが気楽でいい。こんな風にやさしくされると、自分を甘やかして、誰かに甘えてしまいそうで……困る。
「じゃあ、少し寝かせて。一時間もすれば楽になると思う」
「うん。俺はリビングにいるけど、何かあったら遠慮なく呼ぶこと。わかった?」
津和はそう言い残して、あっさり寝室を出ていった。こんな風に、絶妙なタイミングで引いてくれるところだよ、ホント。
(どこまでイケメンなんだ、アイツ……)
俺は閉じられた寝室の扉を、霞む目をこらしてながめる。出だしからこんな調子で、これから先三日間も大丈夫だろうか。
(目が覚めたら、今度こそちゃんと仕事をしよう……)
週末は、意外にも平穏無事に過ぎていった。
さいしょは病院へ無理やり連れていかれたことや、強引にマンションに引きとめられたこともあって、あれこれ干渉されるかもしれないと覚悟していた。
だが津和は思ったよりも淡白で、日曜日はずっと家にいたものの、ほとんどほったらかしで好きにさせてくれた。
本当は清掃員のバイトが入っていたけど、さすがに捻挫が悪化しそうだったので、思いきって休ませてもらった。おかげで一日中、心ゆくまで片づけに専念できた。
結果、段ボールが五つほど片づいた。まだまだ道のりは遠いが、このペースで片付けていったら、二週間ほどで完了するだろう。
(いっそのこと、二週間をお試し期間として同居する、とするのもアリかもな)
よくよく考えたら、三日間という短い期間で決断するなんて無理だ。しかも相手は弁が立つ津和だから、きっと丸めこまれて、流されるように同居してしまいそうで怖い。
ならば二週間で部屋の片づけを終わらせて、それから同居するかどうか判断したほうが、こちらとしても断りやすい状況な気がする。
日曜の夜、思いきってお試し滞在の延長を切り出してみると、津和は快諾してくれた。案外チョロいかもしれない。
(こうなったら、なんとしても二週間のうちに、部屋を片づけてしまおう。そうすれば、俺がここにいる大義名分はとりあえず無くなるから、冷静に判断できるはずだ)
風呂から上がったばかりの俺は、タオルで頭を拭きながら洗面台の鏡をのぞきこむ。シャワーの温度を低めに設定して、短時間で出てきたせいか、顔の血色は悪いままだ。沸かしてもらった風呂はとても入る気にならず、浴槽の蓋すら取らなかった。
(熱いお湯なんて、見ただけで頭が痛くなりそうだもんな)
体調の良い日でも、基本湯船には浸からない。サウナや温泉なんてもってのほかだ。
温泉といえば学生時代、修学旅行先で温泉に入ったことを思い出す。すっかりのぼせてしまった挙句、ひどい頭痛に襲われてさんざんだった。当時、男性教員の部屋で一晩中、つきっきりで介抱してもらったけど、あれは本当に気まずかった。
旅行のあとは、クラスメイトの思い出話に、ちっともついていけなかった。夜中に皆でベタに枕投げしたことや、怪談話をしたこと、こっそりお菓子を食べながら恋バナしたこと、女子の部屋に遊びに行ったこと等、一切参加できなかったからだ。
こんな話は、きっとどこにでも転がっていそうだとわかってる。でも俺にとって、少し悲しい記憶に変わりない。