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第17話 事後の悩み

 額にのせられた冷たい感触に、フワリと覚醒した。

「よかった、目を覚ました……具合はどう?」

 目までふさぐ濡れたタオルを押しのけると、津和がベッドの端に座って、心配そうにこちらを見下ろしていた。下はスウェットを履いているようだが、上半身はまだ裸のままで、まさに事後を彷彿とさせる姿だった。

 俺は赤面しながらも、自己嫌悪に陥ってしまう。最中に気を失うなんて、とんでもない失態をやらかしてしまった。

(津和はちゃんと、イケたのかな……)

 そんな疑問が浮かんだが、どうやってたしかめたらいいのだろう。頭を悩ませていたら、隙をつくように唇をかすめ取られた。

「はじめてだったのに、無理させてごめんね」

 キスの甘さとは裏腹に、津和は気まずそうに視線をそらした。その後悔してるような様子に、俺の不安はどんどん膨らんでいく。

「……その、いちおう最後までできた?」

「うん」

 津和のそっけない返事に、あまり具合が良くなかったんだと、俺は密かに落ちこんだ。抱かれている最中は、自分のことばかりに気を取られて、津和のことまで考える余裕などなかった。ただベッドに転がって喘いでいただけで、してもらうばかりで、ぜんぜん相手を思いやれなかった。

「ごめん」

「え、なんで君があやまるの?」

 津和はムッとした表情をすると、俺の視界を手のひらでさえぎった。

「もう今夜はこれで終わり。俺はシャワー浴びてくる」

「あ、ちょっと待てよ」

 背を向ける津和の腕をつかんで、ベッドから離れようとする後ろ姿を、どうにか引きとめた。

「離せよ、駄目だから」

「え……」

 そっと腕をふり解かれ、俺は目の前が真っ暗になった。やはり失敗してしまったのだ。

 言いようのない絶望感に打ちのめされていると、津和はすねた子どものような表情を浮かべた。

「今夜はもうこれ以上、無理させたくないんだ」

「……今夜?」

「今夜は、もう終わりって言っただろう? これでも無理させたこと、反省してるんだから。それなのに君は、俺をベッドに引きとめて、あまつさえ上目づかいなんてあざとい真似までして。我慢してる俺を煽ってどうするつもり? まだ抱き足りないのに、もっと無理させちゃうよ?」

 津和は困ったように微笑むと、観念した様子で唇をよせてきた。

(失敗じゃなかったのか! よかった……嫌われてなくて、よかったホント)

 俺は鼻をすすりながら、うれしくて従順に、というか積極的にキスに応じる。舌をからめ合うと、一方的にされるよりも気持ちがいい。

「あークソッ、かわいい。かわいすぎてヤバい」

 感情をのせた甘くて乱暴な口調に、全身がよろこびで震えた。体をよせるのと、抱きよせられるのが同時で、ささいなことに感動してしまう。

 津和は俺の髪をやさしくひとなですると、長い指でおとがいを押して俺の顔を上げた。乱れた前髪が、なんとも色っぽい。俺のほうが我慢できなくなりそうだが、もう体力的に限界だった。向こうはどうだか知らないが。

「もう少し眠るといいよ。何もしないって約束するから、このまま抱きしめててもいい?」

「あ、うん……あの、シャワー浴びないの?」

 津和は、俺の問いには答えず、ベッドに横になって俺を抱きしめた。温かい素肌の胸は、心臓の鼓動がやたらと早く聞こえる。ああ向こうも緊張してるんだ、俺だけじゃないんだと、少しだけ安心して目を閉じた。




「もう食べないの?」

 ここは都内某所の、とある高級寿司店。 カウンターの前で箸を下ろした俺は、隣に並んで座る津和に顔をのぞきこまれ、うろたえた。

「もう腹一杯だよ」

「でも、まだ巻き物しか食べてないじゃないか」

「……玉子も食べたけど」

 俺は引きつった笑いを浮かべた。正直言って寿司は苦手だ。食べられなくはないが、子どものころ刺身にあたった経験があって、それ以来なんとなく避けている。

(そもそも、なんでこんな高そうな店を予約したんだよ。こんなゼータクしてちゃ、金がいくらあっても足りねーよ)

 今日は夜のバイトがない日なので、津和の提案で外食することになった。店は津和が予約しておくと言うのでまかせたら、まさか回らない寿司屋に連れていかれるとは思ってもみなかった。

 本当は店に入る前に断りたかったが、予約を入れたと言われたので、口に出せなかった。しかたなく適当に値の張らない物を食べて、やり過ごそうとしたのだが。

「すいません、中トロと赤身二貫ずつ」

「あ、勝手に頼むなよ!」

 津和の袖を引っぱって小声で止めるも、すでにオーダーは取られてしまった。

「さっき鉄火巻き食べてたから、赤身も食べられるでしょ?」

「食べられるけどっ……」

 値段がべらぼうに高い。このままでは会計のときに、津和に立て替えてもらわなくては。

「……もしかして、具合悪いの?」

「えっ」

「顔色が少し悪い。頭痛?」

 津和はこうして、常に俺の体調を気づかってくれる。その気持ちはうれしいが、少しは知らんぷりしてくれたらいいのに、とも思う。

「頭は痛くないよ。ただ今は、その、手持ちがあまりなくって」

 恥をしのんで金がないことを告白したのに、津和は首をかしげた。

「ここは、俺が出すけど?」

「えっ、なんでだよ?」

 そんなわけにいかないと反論するも、津和はまったく取りあってくれない。

「俺が予約したんだから。俺が、君をここに連れてきたかっただけだよ」

「だからって、おごってもらう理由になんねーよ」

「じゃあ、あとで体で返してもらうから安心して」

 津和の流し目を受けて、ふと二日前の夜を思い出す。あの夜、津和は俺を抱いた。俺をベッドに組み敷いて、やさしく情熱的に求めてきた。やさしい彼は、途中で俺が意識を飛ばしてもあきれたりせず、目を覚ますまでつきっきりで介抱してくれた。

 俺ときたら、終始ただ横になっているだけで、相手の気持ちも思いやれず、本当に不甲斐なく、情けない有様だった。

(それって、マグロって言うんだよな……)

 過去に女としかつきあったことはなく、それも学生時代の話だ。当然あちらの経験もなくはないが、受け身は今回がはじめてだった。

 津和は、俺の体の負担をしきりに気にしていたが、どちらかと言えばメンタルのほうがヤバかった。俺の色気のない裸を見たら萎えるのではないか、いざ抱いてみたら具合は良くなかったのではないかと、いまだにうじうじと考えてしまう。

 その夜、けっきょく中トロと赤身を食べた俺は、会計を津和に頼るしかなく、いろいろな意味で情けなさを感じながら帰路に着いた。

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