津和は、ブルーになってる俺を気づかってか、帰り道では無理に話しかけてこなかった。
(こういうトコも、気が回るっていうか、イケメンなんだよな)
だがマンションに到着して、玄関に入ったとたん態度が一変した。ドアを施錠するなり背中から抱きすくめられ、甘い吐息が首にかかる。
「お、おい、どうしたんだよ?」
「……君を愛してる」
突然の告白に、俺は驚きでかたまった。
(この状況で、なんで告白!?)
混乱のあまり無言でいると、津和の腕がゆるんだ。
「ごめん、いきなり過ぎた」
俺は玄関に立ちつくしたまま、靴を脱ぐ津和をぼんやりながめる。
「君もはやく部屋に上がって」
「あ、ああ……」
津和のあとに続いてリビングに入ると、とりあえず鞄をソファーの下に置いた。
(なにから話せばいいんだ?)
告白のせいか妙に気まずい。いつものような他愛もない会話すらできそうになくて、そういえばいつも話題を振ってくれるのは津和だったと、そこではじめて気づいた。
俺は口下手で、自分自身あまり面白みがない人間だと思っている。コミュ障で、愛想も良くない非社交的な人間だ。つまり、この部屋の居心地の良さは、すべて津和のおかげなのだ。
「そんなところで立ってないで、こっちに座りなよ」
津和は冷蔵庫から取り出した水のボトルを持ってくると、ソファーのそばでグズグズしている俺に、一緒にソファーに座るよう背中に手を回した。
「はい、これ飲んで」
ならんで座った津和は、優雅に足を組みながら、水のボトルを俺の手に押しつける。そしてネクタイの襟もとに指を入れてゆるめると、小さくふふっと笑った。
「なんか変な感じだな」
「変って、なんだよ……」
「誰かとこうやって、同じ家に帰ってくること。はじめての恋人と、はじめての同棲だからかな。いろいろ新鮮で楽しいなって」
「えっ!?」
津和の言葉に、俺は衝撃を受けた。
(恋人って、俺、津和の恋人になったの? 一緒に暮らすって決定事項? 同棲っ言っても、俺まだアパート解約すらしてねーよ? てか、はじめての恋人!?)
つっこみどころ満載だが、まず確認しておきたいことは、俺たちの関係をどう表現すればいいか、だ。
「えーと、あのさ……俺たちって、その、つきあってる、のかな?」
「そうだね。昨日は仕事が立てこんでて、一緒に食事すらできなかったから、今夜が初デートになったかな」
「今日が、初デート……」
津和に抱かれたのは、ほんの三日前の夜。つまり、あの行為を境につきあうことになったようだ。
(てか今夜って、デートのつもりだったのか……って、前もって言えよ!)
言われてみれば、今夜の津和はおしゃれなスーツ姿だ。普段からおしゃれだから、あまり気にしてなかったが、微妙に気合いが入ってるみたいだ。
(もしかして寿司屋にしたわけは、デートだから奮発して高い店を選んだとか?)
普段から高そうな店に出入りしてるイメージがあるから、あまり疑問に思わなかった。
あれこれ考えていると、ふいにあごを押し上げられ、しっとりと唇を重ねられた。舌をからめ取られて、とろけるような甘いキスをされると、酩酊状態になって思考がかき乱される。
「……このまま抱きたい」
「えっ!? ちょ、ちょっと、待って」
覆いかぶさってくる体をあわてて押しかえすと、きれいな顔に憂いを帯びた影が落ちた。
「冗談だよ……でも、少し抱きしめてもいい?」
津和はそう言いながら、俺の腰を片手でからめ取り、下半身を押しつける体勢で体を密着させた。
(いやコレ、どう考えても誘ってないか?)
こういうとき、どうすればいいのだろう。恋人ならば、誘いにのるのが正解なのか。どういう反応をすれば、相手を傷つけないですむのだろう。
(このまま付き合って、本当に後悔しないかな……)
津和と俺は、生活も仕事も趣味……はまだよく分からないが、おそらくそれもまったく違う。接点がない者同士がつきあったら、すれ違いも多そうだ。
津和は、俺の考えをなんとなく察したのか、真顔になって目を細めた。
「なにを心配してるのか知らないけど、君はただ俺のそばにいて、甘えてくれたらいいんだよ?」
「甘えてって……俺は自立した、成人男性ですけど?」
「知ってるよ。この前ベッドの中で、すみずみ見せてもらったからね」
津和の率直な言葉に絶句する。すると津和は意地悪い笑みを浮かべて、俺の鼻をつついた。
「さしずめオスの仔猫かな。ふふ、可愛い鳴き声がホントたまんない」
「おまっ……!」
馬鹿にしてんのかと振りあげた腕は、あっけなく片手で制されてしまった。そのまま腕を取られて引きよせられると、広い胸に倒れこむ。そして懐深く抱きしめられ、怒るに怒れなくなった。
「でも俺の仔猫は自立してるし、いつでもこのマンションをひとりで出ていけるから、つなぎとめておくのが大変だ」
思いがけず真面目な声のトーンに、ドキリとした。
「とりあえず清掃員のバイトは辞めて、夜はうちにいてよ。帰ってきたとき君の姿がないと寂しい」
そうは言われても、急にバイトを辞めるのは、まだ少し心もとない。
「まあ、そのうち」
「んー、手強いな。それじゃ質問を変えよう。なんの食べ物が好き?」
「なんだよ、いきなり」
「いいから。寿司が好きじゃないことは、わかったけどね」
やはり寿司が苦手だとバレてたようだ。だが好きな食べ物なんて、急にきかれても思いつかない。
(あんまり食にこだわりないからなぁ。面倒ならゼリー飲料でも気にならないし、焼肉とか嫌いじゃねーけど、いつでも食べたいってほどでもないし)
生の魚介類だって、昔あたったから気が進まないだけで、味自体苦手なわけじゃない。そのほかの食べ物だって、なんでもそこそこ食べられる。
「そうだな、津和さんが作ってくれたオムレツとかうまかったよ」
なにか言わなくちゃと、無理やりそう答えたら、なぜかソファーに押し倒された。
「……それ、昔の彼女か誰かに言った台詞?」
「はあ? そんなんじゃねーよ」
「無自覚だとしたら、相当タチが悪いな」
はあ、と大きく肩で息をついた津和は、俺の肩に額を押しつけた。
「じゃあ聞くけど、俺が毎朝君にオムレツ作ってあげたら、ずっとここにいてくれる?」
「え、毎朝って大変だろ」
すると津和は顔を上げて、再び大きなため息をつきながら失笑した。
「そういう意味じゃない。ずっと一緒にいてもらいたいって意味。ああ、なんでハッキリ言わないと伝わらないんだ」
「わ、わりい……」
「本当にね」
すねたようにつぶやく津和がおかしくて、つい笑ってしまう。すると津和は『明日の朝、オムレツ作ってあげる』と、照れくさそうに耳元でささやいた。
(第一部・完)