――まさか、もう着いたの!?
「道が混んでると思って、少し早めに出たんだ。よかった、すれ違わないで」
マフラーをしっかり巻いた津和が、横断歩道の向こう側から、微笑みながら近づいてきた。会社の帰りらしく、コートの裾からはスーツのズボンと革靴がのぞく。
「車は?」
「向こうのコインパーキングに停めた」
津和のコートに、一瞬だけ指先がぶつかった。驚くほど冷たい。
彼はきっと、ずっと外で待っていたのだ。
(ごめん……心配かけて)
津和はたまに、びっくりするくらい心配性だ。でも、そんな素振りを見せない。
だから、気がつくとこんな状況になってしまう。
「どうしたの? ほら、早く帰ろう」
こんなやさしさは嫌いだ。
でも、やさしさが俺を囲いこんで、逃げられなくする。
心の中で彼を責めながら、ずるく甘えてしまう自分が嫌いだ。
冷えきった車内に乗りこむと、やるせない気持ちになった。
「寝てていいよ。着いたら起こすから」
車の中は、特に会話も無かった。
俺は目を閉じて、痛みをこらえる。先ほど飲んだ市販薬は効きそうもなく、痛みはますます悪化してた。
弱音を吐けなかった。なにか甘えた言葉を言いはじめたら最後、依存してしまいそうで怖い。
俺がなにも言わないから、津和もなにも聞いてこない。
でも音楽の無い静かな車内や、信号待ちのときに、羽のようにそっと頭をなでる手が、彼の心を伝えてくる。
心配してくれる人が近くにいるのは、素直にありがたく思うけど、それは俺だけ得してるようで胸が苦しくなった。
「着いたよ」
俺は津和の肩を借りて、ようやくマンションにたどり着いた。
玄関で靴を脱ぎ捨て、廊下に鞄とコートを落とし、洗面所に向かった。
「……なんだよ」
「ん、ケイの体あたたかいなあって」
背中から抱きしめられた状態で、手を洗って歯磨きをする。さりげなく支えられている。もう無理だった……涙がシンクに零れ落ちた。
「今夜は疲れただろう? もう寝よう」
津和は、涙で濡れた俺の顔を、お湯で濡らしたタオルでやさしく拭った。それから横抱きで、寝室のベッドへと運ばれた。
手早く寝巻きに着替え、ベッドに入ると、長い腕が俺をそっと抱きしめた。彼の素肌はサラサラしてて、額を擦りつけると気持ち良かった。背中をなでる手がやさしすぎて、再び涙が出る。
(ごめん、ありがとう……でも、ごめん。本当に、ごめん……)
お礼と謝罪の言葉が、交互に頭の中に浮かんでは消えていく。
激しい頭痛に苦む中、気がつくと意識を飛ばしてた。
目が覚めるころには、きっと少しはマシなっているはず……頭の痛みも、心の痛みも。