人が笑うのが好き。笑わせるのが好き。
私が変なことをすると皆が笑顔になった。だから私は変な子になった。私に笑わせられない人はいない。
でも、笑わない男の子がいた。
彼はいつも一人で、誰とも一緒じゃなかった。
どうして笑わないんだろう? なんでだろう。
気がつけばいつも彼を見ていた。
だから勇気を出してにらめっこの勝負をした。負けちゃったけど、ちょっとだけこっちを見てくれた。笑ってはくれなかったけど、私を見てくれた。
もっと私を見てほしいな。もっともっと見てほしいな……どうすればいいんだろう?
友達? ううんそれじゃあ私だけを見てくれないかも。
親友? 家族、夫婦……そうだ、恋人がいい!
恋人になればきっと私をもっと見てくれる。
私が彼を見ていた分、彼にも私をもっと見てもらいたいな。
それでいずれは……笑わせられたらいいな。
それから私は神様にお願いごとをするようになった。
恋人になれますように。
一歩を踏み出す勇気をくださいって。
そしたら……。
「分裂しちゃって、なんか二人ならいける気がする! って思ってそのまま塁くんに告白しちゃったんだよね……」
恥ずかしそうにタハハと笑う奈子さん。
真っ白い空間で俺は奈子さんと二人見つめ合っていた。
黒くて長い髪、ハイライトの消えた黒瞳、白い肌に学生服。そして平均より少しだけ低い身長。お馴染みの奈子さんだ。
「俺はずっと奈子さんみたいな凄い人がなんで俺なんか?って思ってた。正直、今だって目を覚ませって思ってるし、正気か?って叫びたいぞ」
「ふふ、変な塁くん」
「それは奈子さんもだが?」
俺達はしばし笑いあう。
「塁くん、私ねやっぱり塁くんが好き。それは笑った顔が見たいからとか、私を見てほしいとか、それだけじゃなくてね? 塁くんと一緒にいて、塁くんがいることが楽しくて、会えなかったら寂しくて、もう自分でも理由が分からなくなるくらい……好き」
ぽろぽろと大粒の涙をこぼしながら彼女は笑った。
(ああ、そうか……)
やっと俺の気持ちがわかった気がした。
俺は自分の額を固めた拳でガン! とぶん殴る。
「ど、どうしたの塁くん!?」
痛みはなかった。
額から零れ落ちる赤い血は偽物かもしれない。
でも、奈子さんの涙を見た時に感じた胸の痛みは本物だった。
「……俺、奈子さんの悲しい顔キライだ」
「塁くん……?」
困惑する奈子さんをじっと見つめる。
(できるか? やれるか? 俺、きもいか? いや、大丈夫……大丈夫……)
俺は頬の筋肉を緩めていく。
「きもい」「うざ」「あっちいけ」と過去からの幻聴が聞こえてくるが、無視する。
頭の中で俺みたいな奴がとか、目立つとか、釣り合わないとかグダグダ単語がうかんでくるけど、全部どうでもいい。
理由なんて必要ない。
ただ……。
「ごめん奈子さん。やっぱり俺も奈子さんが好きだ。ひどいこと言って、傷つけて、もう嫌われてるかもしれないけど……改めて伝えたい。好きだ奈子」
にっとぎこちなく笑顔を浮かべた。
罪滅ぼしにもならないだろう俺の笑顔。
それでも奈子さんが見たいと言ってくれた笑顔だ。
「塁くん、変な笑顔……ふふっ」
奈子さんは微かに笑ってくれた。
やがて白い世界を光が包んでいく。
私はもっともっと好きだよ塁くん……。
そんな奈子さんの声が聞こえた気がした。
「お? 目が覚めたか小僧?」
長い白い髪に、同じ白い色の目をした奈子さん……いや、ナナフシ様が俺の顔をのぞき込んでいた。
「ん…………ん? ここは?」
神社の境内。
さわさわと葉が揺れているご神木の根元で俺は目を覚ます。
「るい、くん……むにゃむにゃ」
傍で何やら寝言が聞こえて、目を落とすと、黒い長い髪のいつもの奈子さんと俺の手がぎゅっと繋がっていた。
「な、なぜ!?」
ナナフシ様がにやにやする。
「小僧、貴様奈子を助けだした後ずっと握っておったぞ? ん? やっと素直になれたのか?」
ニヤニヤ。
そのニヤケ面が最高に腹立つが……俺は深呼吸して頭を下げた。
「おかげ様で自分の本当の気持ちがわかったよ。ありがとうナナフシ様」
「かっかっか! 想いに理由なんて必要ないとやっとわかったか? 愚か者めが」
ナナフシ様はひとしきり小ばかにするように笑って「じゃが」と続けた。
「感謝するのは我だけにじゃないぞ青二才」
「塁様~! 伏木奈子の軍団が消えましたわ~! やりましたのね~~!!」
「友野塁!! 貴様僕を置いていくとはどういうつもり――ぎゃあああ伏木さんとて、手て手を繋いでるだと!? き、きさま破廉恥な!! 殺す!!」
「え? え? 手を繋いで……ああ! よく見たら繋いでますの!! やめてくださいまし塁様! その手引きちぎって喰差し上げますわよ!?」
ドドド! と遠くから大声を上げながら全力疾走してくる朔太郎くんと、那占美さん。
「あやつらもまた貴様の味方であり、友じゃ」
なんて良いことを言っている風のナナフシ様だが……友達や味方って「殺す! 殺す!」「引きちぎる! 引きちぎりますわ!!」って鬼の形相で近づいてくるやべー奴らのことを言うのか?
「ううん、うるさい……あ、塁くんおはよう……えへへ」
ここで目を覚ました奈子さんは、恥ずかしそうに、手は握ったまま離さずにはにかんだ。
「あ、奈子、さん……おはよう……」
って、恥ずかしがってる場合じゃないわ俺!!
「寝起きで悪いけど奈子さん走れるか!? 俺達は今悪鬼に命を狙われている!! ほら!!」
もう30メートル付近に「殺す殺す殺す!」「ちぎるちぎるちぎります!!」奴らは近づいていた。
「塁くんが走るならどこまでも走るよ! あ、でも……」
奈子さんはハイライトの消えたいつもの黒瞳を揺らしてじっと俺を見上げた。
「な、なんだ奈子さん? 早くしないと奴らがもうそこに!!」
命の危機を感じる。
「今度から奈子さんじゃなくて、奈子って呼んでほしいな」
にへらと緊張感のない笑顔を向けられた。
俺はそんな彼女の笑顔から顔を背けるように手を引いた。
「わ、わかったぞ奈子! 逃げるぞ奈子!!」
恥ずかしくて声が裏返っちまったじゃねーか!
「うん、逃げよ、塁!」
まるでピクニックに出かけるような足取りで奈子さ――奈子は走り出した。
「ああ! あの二人逃げましたわよ!?」
「逃げるな! 卑怯者!! 逃げるなー!!」
「青春じゃなぁ……」
俺達の不毛な追いかけっこをナナフシ様がニヤニヤと見守っていた。
今朝「先に行ってて塁」と言われた俺は一人で登校。
静かな朝も悪くないと思っていた。
「塁! あのねあのね!」「塁ともっと仲良くなりたいって願ったらね!」「また増えちゃったの! 今度は三人だよ!」
ガラララ!
教室の扉が開いて、満面笑顔の奈子が入ってきた。
それも三人。
俺は顔に両手を当てる。
「……またかよ……なんでだよ」
あの神様は人間を分裂させることしか能がないのか?
頭を抱える俺の耳にチッと舌打ちが教室のあちこちから鳴る。
「友野塁殺す……」「塁様を殺して私も死ぬぅ!」なんて朔太郎くんの敵意や那占美さんの悲哀の籠った言葉も飛んでくる。
今日こそ命日か……と俺の苦悩もつゆ知らず奈子×3が口々に嬉しそうに告げる。
「三人いれば仲良くなる速度も三倍だね!」「幸せも三倍!」「楽しさも三倍!」
「「「やったね塁!」」」
何その宇宙的飛躍論理……。
「トラブルも三倍なんだよ!! やめ、人前で引っ付くな! おい奈子!」
俺達の騒がしい高校生活は始まったばかりだった。