マスター・リョウちゃんが、“手に負えない” と溜め息をついた時、カウンター席の奥の隅から、含み笑いが聞こえた気がした。
「む……?」
気のせいかと顔を上げると、やがてそれははっきりと、爽快な大笑いへと変わっていった。
「は、ははは、あはははは!」
はあ? 何もしかして、私のことを笑ってる?!
やけ酒に溺れるその時の私は、
「あ、ちょっと…」
私は酔眼のまま立ち上がると、そいつの隣へどっかと座り込んだ。
「ちょっとちょっと。笑うなんて失礼じゃ
「ちょ……、さっちゃんやめろよ」
私の行動を止め損ねたリョウちゃんが、困り顔で嗜めるも、私は相手の男をカウンターに顎を乗せ、下からねめつける。
「あ、ああ、ゴメンよ。あんまり賑やかだったから、つい聞き耳を立ててしまった」
男はいかにも可笑しそうに微笑みながら、私の方に顔を向けた。
何よ、渋めの結構良いオトコじゃない。
だが、今日の私はかなり機嫌が悪いのだ。
「ふん、あなたいい男だけど、礼儀ってもんがなってないわ。あたしがよお~く教えてあげるから、まあ聞きなさい」
苦笑いを浮かべた彼のスーツの袖を掴んで捕らえ、私はコンコンと身の上話を始めた。
マスター・リョウがそそくさと、向こう側のボックス席にさっき座った客の方へ逃げてゆく。
「……ね、あんまりだと思わない? 前も、その前もよ! 付き合った男は皆同じ事ばかり言うの。それで……きっかり1年で去って行くのよ
「ははは、で、君はその度に『仕方無い』って諦める訳か」
男はかなりの聞き上手だ。相づちが絶妙で、私はすっかりいい気になって喋り続けた。
「だぁってよう、初彼の時から『あっちに子供が出来たんだ』って言われたら、仕方無いって言うほかないよね? 子どもに罪はないわけだからさ」
男はフッと微笑んだ。 おお?なんて素敵な……
口の端を少しだけ上げた渋味のある笑顔は、大人の男性の、包みこむような懐の深さを感じさせた。が、今まで頷きながら相槌を打っていた彼が、突然意地悪を言い出した。
「だからだよ。そんな君にオトコは甘えてしまう。……そして、同時に不安になる。“俺は本当に愛されてるのか?”“自分でなくても構わないんじゃないか”。そしてその勘繰りは、的を得ていなくもない。要するに、君にとってその彼は、無理をしてまで繋ぎ留めたい相手でもなかったってことだ」
「なっ……」
彼は、酔いに上気した面持ちで、グラスの表面に映った自分に話しかけるかのようにひとりごちた。
「君はまだ、本当に人を好きになった事がないんだ。失っても、飲んで喚いて忘れられる相手なんて、きっとその程度だったのさ」
渇ききった
「そんな事言われたくない! あ、あんたに、私の何が分かるのよっ」
気色ばんだ私に、彼はハッと顔を上げた。
「すまない。俺は何か気に障る事を言ったか?」
「言ったに決まってるじゃない! 初見の相手に使う言葉じゃないでしょう! そんなの」
「い、いや違うんだ。聞いてくれ。実は、僕もよ同じ事を言われるんだ。『本当に好きじゃないみたい』って。だからこそ、君達の話につい、聞き耳を立ててしまった。悪かった、自分に向かって言っていた、オジサンの独り言だと思ってくれたら」