「え……」
同じ事を言われた?
酒ですっかりフヤけた脳で、懸命に考えようとしていたところ、彼がスッと席を立った。
「はれえ? もう帰っちゃうの?」
呂律の回らない私に、彼はにこりと微笑みかけた。
「ああゴメンよ。少し飲み過ぎたみたいでね。そろそろ帰るとするよ」
「えーー! 言い逃げなんて卑怯! 待ちなさいよ、もう一杯だけ」
こんなに私の失恋話を聞いてくれたのは、商売のために仕方なくそうしてるリョウちゃん以外、初めてだ。
このままお別れするのは、いかにも惜しい。
咄嗟に彼を引き留めようと上着の裾を掴むと、彼はまたあの困ったような微笑みを返して私の手をフワリと包んだ。
スーツの裾からそっと手が離され、同時に掌にヒヤリと固い金属が置かれた。
「ごめんよ、明日は本当に早いんだ。せめて不快にさせてしまったお詫び。今夜の出会いを記念して、これを君にあげる。向かいのパーキングに停めてあるから」
「は……なあにこれ?
「マスター、お愛想」
「ハーイ」
かなり厳つい金属製の電子キー。それを眺めているうちに、彼は出入口のドアの向こうへ消えていた。
「……ねえマスター、リョウちん」
「もー、何さっちゃん。ホカのお客さんにあんまり迷惑かけないでよ。常連にウザガラミするお姉さんがいるなんて、評判でも立ったら」
リョウちゃんのお説教も耳に入らないまま、私はボンヤリ彼の出ていったドアを見つめてつぶやいた。
「……車の鍵、貰った」
「はああ? そんな訳……。え待って。すっげ、コレってベンツの鍵じゃん」
鍵についたエンブレムを見たリョウちゃんは、すっかり興奮してしまった。
「え、嘘ぉ……」
何だろう、だんだん酔いがさめてくると、そのとんでもなさに、私は慌てふためいた。
「や、やだやだっ、そんなの貰えない。返す! 返すから…ね、リョウちゃん、さっきの人の連絡先教えて? 会員データとかあるんでしょ?」
「えー何だよ、もらっときゃいいじゃん。いいねえ、女は。ってかさ、さっちゃん連絡先も交換してねぇの?」
うんうんと首を縦に振る私に、彼は小さくため息をついた。
「わかったよ。ちょっと待ってて」
私はホッと一息ついた。なんて男だ、冗談にも程がある。
しかし、やがて奥から出てきたマスターは、困ったように眉根にシワをよせた。
「……ダメだ。名刺とかも貰ってないし、“成瀬”って紙に書いてもらっただけ。ええっと、誰の紹介だったかな……」
「“ナルセ?”しか分かんないの? 何よそれ、会員制のバーの意味、まるでないじゃない」
「うっさいな。店の経営も大変なの! あ、そうだ、要らないんなら預かっとこうか? 来たら返しといてやる」
下心丸見えの顔で、リョウちゃんは手を伸ばした。私はサッとキーを持った手を遠ざける。