第一幕:舞踏会での宣告
王都レヴァンティアの中心にそびえ立つ王宮。
その壮麗な大広間では、今宵も貴族たちの舞踏会が開かれていた。
眩いシャンデリアの光が広間を照らし、色とりどりのドレスを纏った貴族令嬢たちが、優雅に舞い踊る。
紳士たちは品よく微笑み、ワイングラスを片手に会話を楽しんでいる。
社交界において舞踏会はただの娯楽ではなく、
婚約や同盟を結び、家同士の立場を確立する場でもある。
だが――その和やかな空気を一瞬で打ち壊す声が響き渡った。
「イザベル・カリエンテ公爵令嬢! 貴様との婚約を破棄する!」
一瞬にして会場が静まり返る。
貴族たちは驚きに目を見開き、その声の主に注目した。
王国有数の名門貴族、リシュアン侯爵家の嫡男・アーノルド・リシュアン。
金髪碧眼の美貌を持つ彼は、自信満々の表情で大広間の中央に立っていた。
「貴族でありながら、私が親しくしているマリア・ブロンズ伯爵令嬢に嫉妬し、陰湿ないじめを繰り返していたな!
そんな品性の欠片もない者は、私の婚約者には相応しくない!」
彼の隣には、純白のドレスを纏った金髪の令嬢が寄り添っている。
淡い金色の巻き髪と、大きな青い瞳。
涙を滲ませた彼女の姿は、誰が見ても"守るべき儚き花"のようだった。
マリア・ブロンズ伯爵令嬢。
彼女は震える声で訴えた。
「ええ……そうですわ……。私は、ずっと耐えてきたのです。
ですが、もう耐えられません……アーノルド様、助けてくださってありがとうございます……!」
そう言うと、彼の腕にそっと手を添え、寄りかかる。
その仕草は、まるで頼れる男性に庇護を求めるかのようだった。
だが、その光景を冷静に見つめる者が一人いた。
――イザベル・カリエンテ公爵。
彼女は、漆黒の髪を優雅に結い上げた美貌の令嬢。
鮮やかな深紅のドレスが、彼女の気品と威厳を際立たせていた。
しかし、驚くべきことに、彼女は微動だにせず、静かに微笑んでいた。
舞踏会に響き渡る"婚約破棄宣言"を受けても、
彼女の表情には、まるで動揺が見られない。
「――アーノルド・リシュアン侯爵令息様。」
イザベルは、落ち着いた声で彼に向き合った。
「いくつか疑問がございますが?」
静かだが、よく通る声。
それは、場の空気を一変させるに十分だった。
貴族たちは息を呑み、この場の行方を見守る。
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イザベルの反撃
「何を言う! 身に覚えがないとでも言うつもりか!」
アーノルドは鼻を鳴らしながら言い放つ。
「こちらには証人も揃っている。言い逃れなどできんぞ!」
イザベルは、ゆっくりと扇を開いた。
まるで、つまらぬ茶番劇を見せられているような態度で。
「ええ、それも含めて伺いたいのですが……。まず最初の質問です。」
彼女は涼しげな笑みを浮かべながら、静かに問いかけた。
「アーノルド・リシュアン侯爵令息様、ご本人に間違いございませんか?」
「……は? 何を言っている?」
「いえ、初めてお会いする方ですので、確認を。
――初対面ですわよね?」
「……たしかに会うのは初めてだが……?」
「ですよね?」
イザベルの瞳が冷たく光る。
「では、あなたが親しくしているマリア・ブロンズ伯爵令嬢についてですが……」
「彼女もまた、私と会ったことすらないはずですが?」
「……は……い……?」
マリアの顔が青ざめる。
「会ったこともない相手を、どうやって『いじめ』るというのですか?」
「そ、それは……!」
「取り巻きを使って、という話でしたね?」
「そ、そうだ! お前は直接手を下さなくても、取り巻きたちに命じてマリアをいじめさせたんだ!」
アーノルドは苦し紛れに叫んだ。
しかし、すでに彼の言葉には説得力がない。
イザベルは涼しげな笑みを浮かべたまま、ゆっくりと首を振る。
「……アーノルド様、先ほども申し上げましたように、私はあなたと会ったことがありません。
――つまり、あなたが誰と親しくしているかなど、知るはずもないのです。」
「そ、それは……!」
「つまり、私がマリア様を狙っていじめる理由すら存在しないのです。」
アーノルドの表情が引きつる。
マリアもまた、不安そうにアーノルドの腕を握りしめた。
「……でも、証人がいるのよ! 私をいじめたのは事実ですわ!」
「証人、ですか。」
イザベルは微笑みながら、すっと手を差し出した。
「ならば、その方々の名前を教えていただけませんか?」
「え……?」
「私がいじめたという証言をしてくださるのですよね? ぜひ、その方々をお呼びしましょう。」
会場が静寂に包まれる。
貴族たちは、証人が現れるのを待っていた。
――だが、誰も名乗り出なかった。
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第一章 第二幕:貴族社会の掟
崩れゆく嘘
舞踏会の大広間には、沈黙が広がっていた。
イザベル・カリエンテ公爵の問いかけに対し、証人となる者は誰一人として名乗り出なかった。
先ほどまでアーノルドとマリアの言葉を信じるような態度を取っていた貴族たちでさえ、
今はただ静かに成り行きを見守るだけだった。
――それは、すでに二人の敗北を意味していた。
イザベルは、深紅のドレスの裾を優雅に揺らしながら、一歩前に進む。
彼女の目は冷静にアーノルドを見据えていた。
「……なるほど。証人は誰もいないのですね?」
「そ、それは……!」
アーノルドの顔が引きつる。
マリアもまた、蒼白な顔で彼の袖を握りしめ、震えている。
「ですが、アーノルド様はこうおっしゃいましたね?
**"証人は揃っている"**と。
それなのに、なぜ今になっても、誰一人として証言しないのでしょう?」
「……ぐっ……!」
アーノルドは悔しげに唇を噛む。
「おそらく、理由は二つです。」
イザベルは、冷ややかに微笑みながら続けた。
「一つは、そもそも証人など存在しないこと。」
「そ、そんなことは……!」
アーノルドが何かを言おうとするが、イザベルはその声を遮るように話を続ける。
「もう一つは、証人がいるとしても、"証言をしたくない"と考えていること。」
イザベルの言葉に、会場の貴族たちがハッとしたような表情を見せる。
「なぜ証言したくないのか、それは単純ですわ。
――なぜなら、私、イザベル・カリエンテは公爵だからです。」
その言葉に、会場の空気が一変する。
貴族たちは、再び小声で囁き合い始めた。
イザベルは続ける。
「もしも、この場で私を告発する証言をした場合、
それはすなわち、カリエンテ公爵家に敵対することを意味します。」
アーノルドとマリアの表情が、さらに青ざめた。
「公爵家に喧嘩を売る……それがどういう意味か、貴族の皆様ならばよくお分かりでしょう?」
社交界での地位は、貴族の権威によって大きく左右される。
ましてや、公爵家は王国の最上級貴族の一つ。
軽々しく敵対すれば、後々どのような報いを受けるか分からない。
その事実を悟った貴族たちは、一斉に目を伏せた。
――もはや、誰もアーノルドとマリアの味方をしようとは思わなかった。
貴族社会の掟
「……ですが、イザベル様。」
突然、マリアが震える声で口を開いた。
「貴族は、正義を重んじるはずですわ……!」
彼女の目には、まだ希望が残っていた。
"公爵に逆らうのは危険でも、貴族としての正義を訴えれば誰かが味方になってくれる"
――そんな浅はかな期待があったのだろう。
しかし、イザベルはただ静かに微笑んだ。
「正義……?」
その一言に、マリアは息を呑む。
「確かに、貴族である以上、正義を重んじることは大切ですわ。」
彼女はゆっくりと歩み寄り、扇を閉じる。
「ですが、それは証拠のある正義でなくてはなりません。」
「……っ!」
「証拠もなしに私を糾弾しようとしたあなた方の行為は、
果たして"正義"と呼べるものなのでしょうか?」
その問いに、マリアは何も答えられなかった。
「貴族社会において、信用こそが最大の資産です。」
イザベルは、周囲の貴族たちに視線を向ける。
「証拠もなく公爵を誹謗中傷し、その上、誰一人として証言をしてくれない。
――そのような愚行を犯した者が、信用を失わないわけがありませんわよね?」
貴族たちの間から、クスクスと忍び笑いが漏れる。
「結論として、アーノルド・リシュアン侯爵令息様。」
イザベルはゆっくりと彼を見据え、言い放つ。
「貴方は、自らの信用をこの場で完全に失ったのです。」
その瞬間、アーノルドの顔から血の気が引いた。
「そんな……」
マリアもまた、ガタガタと震えながら呟く。
「そんなはずじゃ……私たちが悪いなんて……!」
舞踏会の終幕
イザベルはさらに冷静な声で続けた。
「さらなる疑問がございます。婚約破棄と仰るからには、アーノルド様は 私と婚約関係にあるとお考えのようですが……
――私は、あなたと婚約した記憶が一切ございません。どなたかとお間違えではありませんか?」
「ば、馬鹿な! 間違いなくリシュアン家から婚約の申し入れがあったはずだ!」
「確かに リシュアン家から婚約の申し入れはございました。
ですが、お断りいたしました。」
「な、何だと!? 王国随一の名門 リシュアン家 からの申し出を断るなど あり得ない!
君が勘違いしているのだろう、カリエンテ公爵、君の 父上に確認したまえ!」
イザベルは穏やかに微笑む。
「……勘違い、ですか? ですが、確認したくとも、私の父は 三年前に亡くなられております。
――ですので、確認のしようがございません。」
「へ……? え……? では、今のカリエンテ公爵は……?」
「私ですわ。」
場が静まり返る。
「現在のカリエンテ公爵は、この私。
ゆえに、リシュアン家からの婚約の申し入れも、私自身が正式にお断りしております。
……勘違いなど、ありえません。」
「え、えええっ!?」
アーノルドとマリアの顔が青ざめ、驚きのあまり口が開いたまま固まる。
マリアは慌ててアーノルドを見つめ、責めるように言った。
「アーノルド様!? 婚約していると言われていたではないですか!? 嘘だったのですか!?」
「くっ……! だ、だが 我がリシュアン家との婚約を断るなど、おかしい!」
イザベルは肩をすくめ、淡々と告げる。
「そうですか? 三年前からカリエンテ公爵を継いでいる私を、公爵令嬢と勘違いされていたあなたと婚約しなくて正解でしたわ。」
「ぐっ……!」
「ですが、もっと重要な理由がございます。
リシュアン侯爵が、カリエンテ公爵の地位を狙って婚約を迫ってきたため、私はその申し出をお断りしたのです。」
「な……っ!!」
アーノルドの顔が蒼白になり、マリアが呆然と立ち尽くす。
イザベルは優雅に微笑みながら、一歩前に進み、冷ややかに言い放った。
「――さて、アーノルド様、あなたは今一度、本当に『婚約破棄』を宣言なさるのですか?
もともと存在しない婚約を破棄するというのは、随分と奇妙な話ですが……?」
アーノルドとマリアが絶望の表情を浮かべる中、
イザベルは最後に、決定的な一言を口にした。
「婚約破棄とは、もともと存在しない婚約を破棄することですの?」
アーノルドの肩がびくりと震える。
その言葉に、貴族たちの視線がアーノルドへと向けられた。
「ぐっ……!」
「そんな、そんなの……!」
マリアの声が震える。
「では、これにて"婚約破棄"という名の茶番は終わりです。」
イザベルはそう言い放ち、優雅に踵を返した。
貴族たちは再び舞踏会の雰囲気に戻り、音楽が流れ出す。
しかし、会場の隅で取り残されたアーノルドとマリアは、貴族社会の笑い者となった。
――彼らは、この日を境に社交界での信用を完全に失ったのだった。
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第一章 第三幕:貴族社会の裁定
社交界の余波
翌朝――。
王都レヴァンティアの貴族街では、早くも昨夜の舞踏会の出来事が話題の中心となっていた。
広大な庭園を囲む貴族たちの邸宅、それぞれのサロンや社交の場で、
「リシュアン侯爵家の嫡男が舞踏会で公爵家に喧嘩を売り、完全敗北した」
という話が囁かれていた。
それもそのはず、昨夜の舞踏会は王宮で開催されたものであり、
王国中の貴族が集う一大イベントだったのだ。
当然、そこに集まっていた貴族たちは、
イザベル・カリエンテ公爵とアーノルド・リシュアンの対決を目撃していた。
彼らの口から出る話は、すべてがイザベルを賞賛するものだった。
「イザベル公爵の冷静な対応には感嘆しましたよ。」
「リシュアン家の嫡男は完全に信用を失いましたね。」
「それにしても、公爵に婚約破棄を宣言するとは……アーノルド様は、よほどの愚か者なのですね。」
貴族社会において、信用を失うことはすなわち没落の第一歩である。
それを痛感するように、アーノルドの名誉は徹底的に貶められつつあった。
一方で、イザベル・カリエンテ公爵への評価は急上昇していた。
「冷静かつ毅然とした公爵」
「舞踏会での機転は見事だった」
「社交界における新たな"女王"の誕生か」
まさに、昨夜の出来事が大きな転機となったのだった。
アーノルドの焦燥
一方、その頃――
リシュアン侯爵邸の一室で、アーノルド・リシュアンは怒りと焦燥に駆られていた。
「なぜ……なぜこんなことに……!」
昨夜の舞踏会での屈辱が、頭から離れない。
貴族たちの嘲笑、冷たい視線、取り巻きたちの裏切り……
すべてが彼の自尊心を打ち砕いていた。
「くそっ……!」
彼は拳を握りしめ、机を叩いた。
その衝撃でワイングラスが倒れ、赤い液体が机の上に広がる。
「アーノルド様……」
隣に立っていたマリア・ブロンズ伯爵令嬢が、怯えたような声を出す。
「……お前のせいだ!」
アーノルドは、鋭い目でマリアを睨みつけた。
「お前が"イザベルがいじめた"なんて言うから、俺はそれを信じたんだ!」
「それなのに、証人も出せず、結果的に俺は社交界の笑い者だ!」
「ち、違いますわ……!」
マリアは必死に否定する。
「私も確かに噂を聞いていましたのよ……でも、それを信じたのはアーノルド様でしょう?」
「なに……!?」
「私はただ、イザベル公爵が社交界で孤立していると思っていただけです。
それを利用しようとしたのはアーノルド様ではありませんか!」
マリアの反論に、アーノルドは言葉を失う。
だが、彼はすぐに怒りを爆発させた。
「お前は、俺を裏切るのか……?」
その言葉に、マリアはハッと息を呑む。
「う、裏切るなんて……! 私はただ……!」
「もういい! お前とは縁を切る!」
「え……?」
「お前のような愚かな女に関わったから、俺はこんな目に遭ったんだ!」
アーノルドは乱暴にマリアを突き放した。
その勢いに押され、マリアはよろめきながらも必死に彼にすがる。
「お、お願いですわ、アーノルド様……! 私を見捨てないで……!」
だが、アーノルドは無慈悲だった。
「お前のせいで、俺の未来は台無しだ!」
マリアは絶望の表情を浮かべ、泣き崩れた。
イザベルの静観
その頃、イザベル・カリエンテ公爵は、静かに庭園で紅茶を楽しんでいた。
彼女の側には、カリエンテ公爵家の執事であるレナードが控えている。
「昨夜の舞踏会の影響で、リシュアン侯爵家の信用は一気に低下しました。」
レナードは報告書を手にしながら、静かに述べる。
「また、アーノルド様とマリア様の関係も破綻したようです。」
「まあ……やはりそうなりましたか。」
イザベルは、淡い微笑みを浮かべる。
「結局、"共犯者"とは、都合が悪くなると簡単に仲間を見捨てるものですわね。」
彼女は紅茶を口にしながら、静かに続ける。
「アーノルドは、もはや社交界での立場を失いました。
マリアも同じく、"公爵家を陥れようとした令嬢"として見放されるでしょう。」
「では、このまま見守るおつもりですか?」
「ええ、彼らが自滅するのを待つだけですわ。」
イザベルの瞳には、確かな勝者の光が宿っていた。
「私が手を下すまでもありませんわね。」
王宮からの召喚
そんな中、王宮からある命令が届く。
「王宮の宰相・ロベルト・グラシアン様より、カリエンテ公爵閣下へ招集がかかっております。」
イザベルは静かに目を開ける。
「何かしら?」
「どうやら、リシュアン侯爵家に関する審議が行われるようです。」
執事の言葉に、イザベルは小さく微笑んだ。
「――なるほど、"裁定"の時が来たのですね。」
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第一章 第四幕:幕引き
社交界の噂
舞踏会が再び通常の華やかさを取り戻した頃、イザベル・カリエンテ公爵はワインを片手に、貴族たちの会話を眺めていた。
彼女は、あくまで自然体を装っていたが、耳を澄ませば周囲の貴族たちの囁きが聞こえてくる。
「――リシュアン侯爵令息は、完全に恥を晒したな。」
「公爵家に喧嘩を売るなど、なんと愚かな……。」
「それより、イザベル公爵は見事だったわね。堂々としていて、貴族の鑑だわ。」
貴族社会において信用を失うことは、すなわち存在価値を失うことに等しい。
アーノルド・リシュアンとマリア・ブロンズは、この一夜で貴族としての地位を大きく損なった。
アーノルドは社交界での信頼を完全に失い、周囲の貴族たちは彼から距離を取り始める。
マリアもまた、"公爵を陥れようとした伯爵令嬢"として厳しい目を向けられるようになっていた。
イザベルはすべてを見透かしたように、ただ静かに微笑む。
「……おもしろいですわね。」
彼女はグラスを傾けながら、そっと呟いた。
アーノルドの動揺
一方、その頃――
舞踏会の隅で、アーノルド・リシュアンは拳を握りしめ、歯ぎしりをしていた。
彼は周囲の視線を感じるたびに、いたたまれない気持ちになる。
「……くそっ……!」
彼の周囲には、もはや誰もいない。
先ほどまで彼を持ち上げていた取り巻きたちも、彼が恥を晒したと見るや否や、次々と離れていったのだ。
「どうして、こんなことに……!」
悔しさに震えながら、彼は隣にいるマリアに目を向けた。
「お前……何か言い訳を考えろ!」
「な、何で私が……!? アーノルド様が婚約破棄を宣言したのに!」
「俺のせいだとでも言いたいのか!? もともとお前が"イザベルがいじめている"と言い出したから……!」
「でも、アーノルド様だって"証人がいる"って言ったじゃありませんか!」
お互いに責任を擦り付け合うアーノルドとマリア。
舞踏会の隅で交わされるその会話は、周囲の貴族たちに見苦しく映るばかりだった。
「……まったく、見苦しいですね。」
二人のやり取りを見つめながら、イザベルは静かに微笑んだ。
王宮からの召喚
その時、突然、宮廷の使者が現れた。
「リシュアン侯爵令息・アーノルド・リシュアン様。」
使者の声が、舞踏会の空気を一変させる。
アーノルドはギクリと体を震わせ、顔を上げた。
マリアもまた、何が起こったのか分からないという顔をしている。
「な、なんだ……?」
「陛下より、アーノルド様にお召しがかかっています。」
会場にいた貴族たちは、驚いたように視線を交わす。
舞踏会の最中に国王陛下から召喚があるということは、ただの呼び出しではない。
「……っ!」
アーノルドの顔がさらに青ざめた。
「そ、それは何の件で……?」
震える声で尋ねると、使者は冷静に答える。
「婚約破棄に関する正式な説明を求めるため、王宮の査問会へ出席するようにとのことです。」
「査問会……?」
その言葉を聞いた瞬間、会場の貴族たちはさらにざわめいた。
王宮の査問会とは、王国内の貴族や高官に関する問題を審議する公式の場であり、
軽々しく呼び出されるものではない。
「――これは……リシュアン侯爵家にとってかなりの痛手となりますわね。」
イザベルはグラスを置き、優雅に扇を開いた。
「さあ、アーノルド様。どうなさるのかしら?」
貴族社会における罰
アーノルドは何か言い返そうとしたが、すでに状況は変わっていた。
彼が"イザベルを陥れようとした"ことは明白。
さらに、証拠もなく婚約破棄を宣言したことで、王宮にまで事態が波及した。
「……ふざけるな……!」
しかし、彼はまだ自分が"貴族の嫡男"であるという誇りを捨ててはいなかった。
「俺は、リシュアン侯爵家の跡取りだぞ!
俺を査問会にかけるなんて、そんなことが許されるはずが――」
「――その地位が、今後も続くかどうかは分かりませんわよ?」
イザベルの言葉に、彼は凍りついた。
「……な、何……?」
「リシュアン侯爵様が、今回の件をどう弁明なさるのか……楽しみですわね。」
彼女は優雅に笑いながら、軽く会釈した。
「では、私はこれで失礼いたします。」
そう言い残し、イザベルは会場を後にした。
幕引き
アーノルドとマリアは、その場に取り残されたままだった。
貴族たちは誰も彼らに近寄らず、むしろ距離を取るようにしていた。
すでに彼らの信用は崩れ去っていたのだ。
そして――
この夜の事件は、すぐに王国中に知れ渡ることとなる。
「リシュアン侯爵令息、舞踏会で醜態を晒す」
「公爵家への婚約破棄は虚構だった」
「マリア・ブロンズ伯爵令嬢の策略、失敗に終わる」
翌日には、王都の貴族たちの間でこの話題が持ちきりとなり、
アーノルドとマリアは社交界で完全に"失敗者"の烙印を押されることとなる。