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第2章 覚悟の代価

2-1

 拳から伝わる嫌な感触。一瞬の柔らかさと反発するように固くなる筋肉。その先にある固い骨は普通に殴れば殴った側の拳も痛める。しかし、その代わりに相手には耐え難い苦痛を与える。


 悪魔のような見た目をした化物――ゴースト。その頭部がひしゃげ、粉砕するほどの拳を放った右拳にはまだ感触が残っていた。


 五条ごじょう晴也はるやは握った拳を反対の手で覆っていた。身体は生まれたての子鹿のように震え、額や背中からは冷たい汗が流れる。それを拭おうにも全身に纏われた黒い強化皮膚と纏われた銀色の外骨格が邪魔でできない。


「……晴也」


 天道てんどうそらはようやく動けるようになった身体を起こして鎧で身を包んだ晴也に歩み寄る。


 晴也とは物心ついた時から一緒にいた。だから知っている。五条晴也という人間がいかに暴力を嫌い、誰かを傷つけることに畏怖の念を抱いているのかを。それでも彼が霊石『レガリア』に選ばれてしまった事実はもう変えられない。


 なにせもう鎧を身に纏ってしまったのだから。それも空とは明らかに違う。異質な鎧を。


「……ごめん……ごめんね」


 空は何かに懇願するように謝っていた。


「天道さん……」


 口を開けた晴也の声はか細く今にも消え入りそうだった。


「これ、どうやったら脱げるの? もう冷や汗で寒くて、夏の暑さを感じたいんだけど」


 声は震えていた。それでも隣にいる幼馴染を悲しませたくない一心で明るく振舞った。そうでもしなければ自分もまた化物とはいえ、命を絶ってしまった事実に呑み込まれてしまう。


 空はそんな晴也の優しさをけがしてしまった自分を一生許せないと思った。そして、その罪を一生を掛けて償うことを心に誓った。だから空は敢えて普段通りに淡々と答えた。


「精神を落ち着かせて戦う気がなくなったら勝手に解けるよ」


 晴也は空に言われた通り一度深呼吸をしてから精神統一を行う。戦う気はとうに失せている。やはり問題は自分でも分かってしまうほど動揺していた心だった。心が静寂に包まれ脳裏にどこまでも続く青空が広がる。


 途端に全身が光り輝き、黒い強化皮膚も銀色の装甲のような外骨格も光の粒子となって霧散するように消失した。


「戻った……あ、風があったかい」


 晴也は言いながら尻もちをついて天を仰ぎ見る。


 先程まで感じていた息苦しさがなくなり解放感に浸ること十秒。そろそろ灼熱の暑さと手から伝わるアスファルトの焼けた熱さが感じられてきたところで立ち上がる。


 まだ足はふらつくがそこは無理にでも踏ん張りを利かせて立つことを優先した。


「天道さん、さっきのあの化物のこともそうだけど。僕と天道さんが纏ったあの姿は何?」


 晴也は空に問う。そこにはもう自分の拳に震える少年の姿はなかった。代わりに事態を呑み込むために前を向いて進む少年がいた。


「化物の名前は『ゴースト』。そしてあの姿は『レガリア』に選ばれた者が成れる変身体よ」

「なんか特撮ヒーローみたいだね。でも、ありがとう。昨日も今日も助けてくれて」

「結局は晴也が自分で倒したけどね」


 空がなんの気なしに言うと晴也の表情が少しだけ暗くなる。まだ命を絶ってしまったことを割り切り、拭い切れていないのだ。


「ごめん」


 空は自身の失言を認め謝罪する。空はもう慣れてしまったのだ。いや、ゴーストを狩ることが自分に課せられた使命であり、宿命だと受け入れたのだ。


 その差だろうか。


 晴也と空とでは表情を暗くしてしまう理由が違っていた。


「あ、そうだ。あの端末壊しちゃってごめんね」


 言って晴也は手を合わせる。


「ううん。私も迂闊だったから」


 空は言いながらスカートのポケットから形状が全く同じ端末を取り出す。しかし、よく見ると下部には空の纏った鎧の頭部をデフォルメしたようなマークが刻印されていた。それに端末の色も晴也が握り潰してしまった白色とは違ってベージュ色である。


「こっちが私の。さっきも言ったけど、あの姿に成った者はレガリアに選ばれた者なの。そして、この端末はあの姿になるために必要なアイテム……なんだけど……もうアンタはこれを介さなくても戦闘体になれそうね」

「う、うん。多分、そうだと思う」


 正直、晴也も薄々気づいていた。あの端末が無くても変身体になれることを。そう思えるほどに今も胸の奥で暖かく強い力を感じる。


「細かい話もしたいところだけど。今日はもう疲れたでしょ? 私も負けちゃったからあと三十分くらいは戦えないし。話はまた明日でもいい?」

「うん。僕もその方が有難いかも。片桐かたぎりさんに後で連絡するって言ってるから」


 晴也の口から「片桐さん」と名前が出た瞬間、空の口元がどうしてだか緩んでいた。それに気付いた晴也は訝し気な視線を送る。


「ごめん、ごめん。あの泣き虫でビビりな晴也に彼女ができたんだなと思って」

「それは僕も驚いてるよ。ん? そう言えば昨日えらく早い現着だったと思うけど、どうして?」

「え、ああ、えっと、それは……」


 空は晴也の鋭い問いに頭を掻きながらそっぽ向く。というよりわざと目が合わないように右往左往する。


「まさか……」


 観念した空は申し訳なさそうに口を開ける。


「実は昨日の片桐さんとのデート、途中から見てたんだ」

「やっぱり」

「だって自称陰キャの晴也がまさかあんな可愛い陽ギャルちゃんと一緒にいるんだもん。気にしない方が難しいって。それに大事な弟分を弄ぶような真似をしたら許さないって決めてたから」

「弄ぶって……」

「あんまり噂話には興味ないけど、片桐さんには男関係でいい噂はあまりないからね。でも、昨日少し話して分かったけど、凄くいいコだと思ったよ」

「でしょ?」


 晴也は自分のことのようにニマニマしながら言う。


 空はそんな少年の顔を見て、なぜだか無償に足を踏んづけてやろうと思ったが、理性がそれを阻止してくれた。


「それじゃあまた明日」


 空が去ろうと踵を返した時、晴也は彼女を呼び止めた。


「そうだ。さっきの話だけど」

「なに?」

「いつも天道さんが僕のことを弟分って言ってるけど、僕の方が誕生日早いから正しくは兄貴分だよ」


 今度こそ足を踏みつけてやろうかと思ったが、晴也の純真無垢な笑みを見てしまうとつい許してしまった。


 精神的な面ではまだまだ弟分だよ、と心の中で呟くのだった。

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