夜の山奥にある人気のない駐車場でスマートフォンを片手に通話をしている女性が一人いた。
待ち合わせ時間になっても一向に現れない友達に先程から何度も電話を掛けている。しかし、全く繋がる気配がない。おかしなことに友達の車は駐車場に停められている。だから何かの悪戯かと思って最初は見過ごしたが、いい加減飽きてきた。
そろそろ出て来ないと帰ってやる。
そう思い不意に満天の星空が広がる夜空を見上げた。そうだ。今日はこの星空を見るために約束したのに車だけある。なんとも奇妙な状況だ。
そこで女性は星空に、いや、闇夜に蠢く鳥のような影が見えた気がした。
「なんだろう?」
女性は友達よりもその影の方が気になり前のめりになってしまうほど見入ってしまう。
夜空の闇に溶け込む一つの影。それはある一点に狙いを定めたのか大きな一対の翼を広げる。そして、何度か羽ばたいた後、一気に急降下する。風切る音はとても静かで女性が気のせいだと思うほどに些細な音だった。さらに女性が食い入るように見ていなければ認識できないほど夜の闇に同化していた。
直後、女性の身体に強い衝撃が走る。
この時、初めて女性は気付いた。標的となってしまったのは自分なのだと。視界に映るのはあらぬ方向を向いている四肢。いや、両腕しか見えない。声を出そうにも口から止めどなく溢れてくる赤黒い液体のせいで呼吸すらままならない。
「へ?」
ひしゃげた両腕は自分のもので、下半身は先程まで自分が立っていた場所に血の噴水を上げて今もそこに立っている。
そこまで自分の目で確認できたところで意識が完全にシャットダウンされた。
『ケッケッケ。まさか一日に二人も人間を食えるとは。餌場を変えようか迷っていたが良かった、良かった』
夜空を飛翔する巨大な烏。いや、人間。もしくはその両方を掛け合わせたような化物が翼を羽ばたかせてゆっくりと女性の上半身の近くに舞い降りる。
次の瞬間、捕食が始まった。鷲掴みにした頭をそのまま大きな嘴を広げて噛み千切り、落ちてしまった上半身は超高速でついばみ跡形もなく食らう。血の噴水が止んだ下半身はゆっくりと歩みよってから贅沢に一口ずつ丁寧に食べる。のではなく、両脚を掴むや引き裂き、真上に放るや丸呑みする。
その時の口のサイズは見てくれとは明らかに反比例する大きさだった。
烏と人間が融合したような人型の烏の魔物――クロウゴースト。
クロウゴーストは大きく漆黒の翼を翻し住処にしている廃病院に向かって飛び立った。そこにもまだ生け捕りした若い同じか似たような服を着た雄と雌の人間を置いている。それら全てを捕食すればまた強くなれる。そう思いクロウゴーストは静かな夜空を飛翔するのだった。
☆☆☆☆☆☆
晴也は申し訳なさそうにしながら夜道をライトグレーの長髪をウルフヘアーにした美少女と歩いていた。
「ホントにごめん」
「別にいい。明日のデートを気兼ねなく楽しみたいからでしょ」
「うん」
「まあ歩きながら話す内容じゃないから、そこの公園に入るけどいい?」
「うん」
結局、晴也は明日に控えたデートのため、空との話し合いを今夜中に終わらせることにしたのだ。空も空で事情を聞いてしまうと断るに断れず止む無く了承した。
公園には屋根とベンチと机のフルセットが備わった場所があり、二人はそこに腰かけた。
空は肩に掛けていたウエストポーチから手帳サイズのノートと多色ペンを取り出し机に広げる。
「いい? まずはあの化物『ゴースト』について話すけど」
言いながら空はノートに蟻の頭をデフォルメしたような絵を描き始める。
そこで晴也はあることを思い出す。
――そう言えば天道さんって絵が苦手だったっけ?
ゴーストと言われなければ本当に何を描いているのか分からない。それくらいその絵からは突出した才能が垣間見えた。
「まずゴーストは人の恨みや怨念と言ったあらゆる負の念が集まることで出現する魔物の呼称よ。奴らは基本的には夜行性で戦いも大半が夜になるわ」
「だから昨日は夜に襲われたのか」
「ええ。今回の素体とスパイダーはわりと珍しい方よ」
空は次に棒人間をゴーストの隣に描きひとくくりに丸で囲う。
「そして、ゴーストを生んでしまったものは、その瞬間に自身が生んだゴーストに憑依される形で食われて死ぬ。けど、生む直前にゴーストの誘いの声に惑わされなければ生むことなく生還できる。簡単に言うと自分の邪悪な心に打ち勝てればゴーストに食われず、生きられるって感じね」
「じゃあ、今日僕が倒したゴーストと蜘蛛のゴーストも……」
「ええ。どこかの誰かの怨念から生まれて、その人物、あるいは物に憑依して食い殺したことになるわ。特にスパイダーゴーストは素体ゴーストより多くの人間を食べているはずよ」
「そんな……」
晴也は自分が一体倒したことでこれから犠牲になる誰かを救えたと思っていた。しかし、ゴーストが生まれた時点ですでにどこかの誰かを守ることが出来なかったことに胸を痛め俯く。
空は晴也の表情が暗くなっていくのに気付いていたが、それでも話さなければならないと思い続ける。
次にノートに描いたのは蜘蛛を思わせる歪なマークだった。
「素体ゴーストとスパイダーゴーストの違いは、サブカルの知識が豊富で頭のいい晴也なら分かると思うけど。素体ゴーストはあくまで素体なの。素体の状態で人間を食らいつつ、必要な負の念を吸収すればスパイダーゴーストのように何らかの生物、もしくは憑依したものの特徴が反映された新たな姿に変身する。これを私たちは『羽化』って呼んでる」
「羽化……強さも全然違ってたからかなりの人を襲ったってことだよね?」
「アイツ等は人を食べ、負の念を取り込めば取り込んだだけ強くなれる。それでもね。羽化は一つの個体に一度しかできない。だから、羽化する前に倒すのがベストかな」
晴也は息を呑み自分の右拳を左手でさする。脳裏に過るのはゴーストを殴った時の嫌な感触だ。思い出すだけでまた足が震えそうになる。
「次に『レガリア』の説明をするね」
空は言ってノートの新しいページにただの円をど真ん中に描く。
話の腰を折りたくない晴也は何も言わないが、やはりと言うか壊滅的な絵心のせいでいまいち緊張感に欠けてしまう。それでも空が真剣な面持ちで話しているからこそ、晴也もまた真剣な気構えで聞くことができる。
最後までこの話を聞き終わった時、晴也はまた究極の選択を問われることになる。
しかし、忘れてはならない。すでに少年の足は引き返すことのできない道を歩んでいることを。