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2-5

 空は長机と椅子で建てられたバリケードを拳一つで跡形もなく吹き飛ばす。


 全身を黒い強化皮膚で覆い、その上からベージュ色の装甲を身に纏った細身の女性戦士。手首と足首にはリストバンドのような装甲が装着され、そこにはレガリアと同じ霊石が埋め込まれている。晴也の纏った装甲と違うのは関節部以外の全てに装甲が纏われているところだ。だから晴也は初めて見た時、女性の姿をしたロボットだと勘違いしたのだ。


 空のスレンダーなボディラインにあった形をしているため、とても流麗で普通の人間が見ればつい見入ってしまうだろう。実際、晴也がそうだった。


「……ゴーストは三階か」


 この廃病院の嫌なところは階段がそのまま上階に通じていない点だ。普通の病院なら一つの階段で全ての階に繋がっているはずなのだが、この廃病院は違う。一つの階段で上がれるのは一階分だけだ。


 その奇怪な造りからすぐに閉鎖されたのは言うまでもない。


「病院を作るのにどうして設計者をどこかの芸術家に頼んだのかしら」


 空は面倒くさそうに言うや跳躍すると同時に右拳を突き上げる。少しの爆発音を静かな院内に響かせて容易く天井を突き破り三階へと到達する。


 次の瞬間、視界いっぱいに鋭利な鈎爪が肉薄する。咄嗟に身を屈めることで躱せたが、そのせいで突き破ってできた穴に落ちてしまいまた二階に降り立ってしまう。


「今日一日でよく会うわね。スパイダーゴースト」

『ああ。そうだな。レガリア使い!』


 そう。廃病院にいたのはスパイダーゴーストだったのだ。


 ただ空はそこである引っ掛かりを覚えた。数多いるゴーストの中でも『羽化』したゴーストからは強い邪念を感じることができる。もちろんそれを追ってきたのだからスパイダーゴーストがいてもおかしくない。


 しかし、それでも個体によって気配は微妙に異なるため、やはりこの場にスパイダーゴーストがいることに違和感を覚えた。


 そんなことを考えている内にスパイダーゴーストが自分で三階の通路に穴を空け二階に降り立つ。


『今度は邪魔が入らなそうだな!』

「それはこっちの台詞ッ!」


 空が強い覇気を纏って言うと、右手首のリストバンドのような装甲に埋め込まれた霊石から光の粒子が放出される。それは瞬く間に短い剣の形へと収束され短剣を生成する。


 空はすぐさま短剣を逆手に持ち替え駆け出す。スパイダーゴーストもまた右腕の鈎爪を伸長させ振り上げながら床を蹴る。


 鉄と鉄がぶつかりあったような甲高い音が院内に響き渡る。


 やはりと言うか、スパイダーゴーストの鈎爪は鋼鉄を切り裂くことができる空の短剣ですら、両断できないほどの耐久性と切断能力を有していた。


 力勝負ではスパイダーゴーストの方が一枚上手だった。空が鍔迫り合いに持ち込むも徐々に押され始めている。しかし、だからと言ってただ押し負けるほど空は甘くない。


 一瞬だけ力を込め、弾くように鈎爪を打ち上げるや後方に飛び退き距離を取る。


『それで逃げたつもりか!』


 スパイダーゴーストは大顎を大きく広げ、球体状に圧縮した蜘蛛糸を弾丸のように放つ。


 その数は五つ。


 決して忘れていた訳ではない。ただ接近戦が不利だと判断し態勢を整えるために距離を取ったのだ。だが、その判断が命取りになってしまった。


 五発の蜘蛛糸の弾丸はなんとか紙一重で躱すことができた。


「ハッ⁉」


 直後、視界が、スパイダーゴーストを見ていたはずの目が次に映し出したのは二階のロビーにあたるところだった。


 空は咳き込み右の脇腹を押さえる。


――いったい何が起きたんだ。


 身を起こして分かったことは三枚のコンクリートの壁を突き破って今いる場所に来た、いや、吹っ飛ばされたと言うことだ。装甲を纏った空にそんな芸当ができるのはゴースト以外考えられない。


 そこでようやく空を悩ませていた頭の引っ掛かりが解かれた。


 二体目のゴースト。それも素体ではなく『羽化』したゴーストの登場だ。


 そいつは三枚のコンクリートの壁を突き破ってできた穴から姿を現す。


 真っ黒な皮膚に羽毛を纏った人型の化物。頭部は鳥類そのもので巨大な嘴が不気味に閃く。背中からは一対の黒翼が生えているが、室内ということもあって今は閉ざされている。手足の指先から伸びた爪は鋭利で人間の肉体なぞ容易に引き裂けるのだと一目で分かってしまう。伸びた四肢は少し筋肉質だが見た目以上の膂力を誇る。


 まさに人間と烏が融合したような見た目のゴーストは頭をさすりながら不思議そうに空を見つめる。


「烏のゴーストだから、クロウゴーストか」

『貴様、俺の突進を食らってよく立っていられるな』


 クロウゴーストの言葉に空はようやく自分が何をされたか理解した。


 空が先程まで戦っていたのは廊下だ。つまり、クロウゴーストは窓だけでなく、壁を突き破るほどの突進攻撃を繰り出したのだ。何より驚くべきことは空が全く反応できなかったということだ。


 空はスパイダーゴーストを相手取っていたとは言え、全く気付けなかったことに苛立ちを覚える。それほどまでに静かで恐ろしい速度だったのだ。


――身体が鉛みたいに重い。


 舌打ちをしながら右脇腹を押さえ、微かに震える足を見る。いや、無意識に震えを押さえているからそう見えるだけだ。本当なら生まれたての子鹿のように震えていてもおかしくない。


 何とか態勢を整えようとするも、一歩足を動かそうとしただけで右脇腹から凄まじい鈍痛が足の指先まで伝わり動きを鈍らせる。


『どうやら全く効いていない訳ではないようだな』


 クロウゴーストの背後からスパイダーゴーストが現れる。


「羽化したゴーストが群れるなんて珍しいわね。お友達でも欲しくなったの?」


 空はフルフェイスマスクの向こう側で余裕の笑みを浮かべながら煽るように言うも、心は動揺と焦りで溢れていた。


『黙れ。貴様らレガリア使いを殺すためなら烏とだって手を組むさ』

『そう言うことだ!』


 クロウゴーストは室内だと言うのに翼を大きく広げ羽ばたかせるや、滑空するように空との距離を目にも止まらぬ速さで詰める。


 空は短剣を突き出そうとするも右脇腹から来る痛みのせいで動きがワンテンポ遅れてしまう。瞬間、視界が真っ暗になった。


 目を潰されたのではない。


 空のフルフェイスマスクで覆われた頭部をクロウエクシードが右手で鷲掴みしたのだ。そして、そのまま凄まじい加速を見せたと思えば、空の身体を盾にするように前に突き出す。


 直後、またしても空の背中を激しい衝撃が襲った。


 クロウゴーストが空の身体を使ってコンクリートの壁を突き破ったからだ。いくら装甲を纏っていても許容できる範囲を超えた衝撃はその身に喰らってしまう。


 一人と一体は物凄い勢いで夜の闇が広がる外へと躍り出る。


「この!」


 空は短剣を振るいクロウゴーストの右腕を斬りつけようとするが直前で手を離され、そのまま廃病院の前にある広場のような場所に背中から落下する。


 相次ぐ背中の強打に悶絶しうずくまる。


 そこへスパイダーゴーストが狂気的な笑い声を上げて人間を超えた速度で駆けより、その勢いを全て乗せた蹴りを空の腹部に叩き込んだ。


 空の細い身体は宙を舞い、地面に何度も打ち付けられ、最後は勢いがおさまるまで転がった。


――晴也に偉そうなこと言ったけど。私、死ぬかも……。


 意識が朦朧とする中、戦いの衝撃で廃病院を囲っていた柵の一部が倒壊したのが見えた。


 その近くには空のバイクがあり、そしてもう一つ、遠くからヘッドライトを光らせた一台のバイクが爆音を響かせて近づいていた。

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