市場とのブランクで不採用になることは覚悟していた。でも、表向きの理由で断られるのは納得がいかなかった。
履歴書にはすべて記載している情報だ。もしそれが問題なら、なぜ面接に呼んだのか。
「会社には採用の基準がある。あなたは既婚で子どもがいない。入社した途端、妊娠や出産の準備に入るかもしれない。育児休暇や産休なんて、会社はそんな余裕はないんですよ」
面接官は席を立ち、秘書に神崎梨々を外へ案内するよう促した。
ただの数合わせだったのか。梨々は諦めて、資料を片付けその場を後にした。
けれど、二社目、三社目も、ほとんど会話すらできないまま不採用。
四社目、五社目に至っては、受付で「すでに採用枠は埋まりました」と門前払いされた。
意気揚々と挑んだ気持ちが、一瞬で打ち砕かれる。
夕方、梨々は柚子の家に戻った。
玄関を開けると、部屋中に食事の香りが広がっている。柚子はチョコレートケーキを手にダンスステップで駆け寄ってきた。
「うちの神崎美女の就職祝い〜！
将来は有名インテリアデザイナーになって、あのクズ東雲を見返してやろう！」
梨々は靴を脱ぎながら、笑みを作ろうとしたが、どこか気まずくて沈んだ表情になってしまう。
異変に気づいた柚子は、ケーキを玄関の棚に置いて駆け寄った。
「どうしたの？」
「……そのケーキ、無駄になっちゃった。採用されなかったの」
「えっ、嘘でしょ？」柚子は驚きを隠せない。「最終面接までいったら採用確率は半分はあるはずだし、あなた東京芸大出身で、しかも受賞歴もある。未経験だって全然問題ないって……その会社、目が節穴？」
梨々はスリッパに履き替え、彼女をテーブルに誘って腰を下ろす。
「まぁ、運が悪かっただけかも。来週の月曜にもう二社面接があるし、焦っても仕方ないよ」
そうは言っても、東雲グループの副社長として活躍する橘真希と、自分を比べてしまい、内心落ち込まざるを得なかった。
「え、えっと……来週の二社って、どこ？」
柚子はケーキを取りに行きながら尋ねた。
「トアンとユンブルー。どっちも東京ではかなり有名なインテリアデザイン会社」
今日受けた会社も決して悪くはなかったが、トアンやユンブルーとは格が違う 。
今日の連続不採用で心は折れかけていたが、なんとか希望だけは繋いでいた。
沈んだ様子の梨々に対し、柚子はそれを悟らせまいと明るく振る舞った。
彼女もまた、気丈に振る舞いながら、いつものように笑ってみせた。
夜になると、二人はそれぞれ自室に戻った。柚子はすぐに携帯を取り出し、ある番号に電話をかける。
「ねえ、兄さん。トアンかユンブルーの社長にコネない？」
その二社は大手すぎて、彼女の人脈では太刀打ちできない。だから外部の助けが必要だった。
電話の向こうからは、どこか眠たげな、穏やかな男性の声が返ってくる。
「柚子、こっちは今、深夜の三時だぞ……」
「そもそも兄さんが二年前に海外に飛んでったから、こんな時差になってるんじゃん！お願い、急ぎの頼みなの、梨々が来週その二社に面接行くの。後押ししてあげて！」
「……誰が？」芹沢蒼真の声が少しだけ鋭くなった。
「神崎梨々？ 彼女が就職活動してるのか。東雲琢磨はそれを許してるのか？」
「東雲のクズなんて知らない！梨々はもう離婚するの、人生をやり直すんだから！」
「離婚？それって――」
「もう、いいから！できるの？できないの？」
「……わかった」
短い沈黙ののち、芹沢蒼真は真剣な声でそう言い、通話を切った。
「……わかったって、何が？」
柚子は画面を見つめ、首を傾げた。
たぶん、協力してくれるって意味だよね……？
一方その頃。
神崎梨々が本気で就職活動を始めたと知り、東雲琢磨もようやく事の重大さを理解した。
それからというもの、仕事に集中できず、ミスが続く。
思い悩んだ彼は、父・東雲俊一に電話をかけた。
「どうした、琢磨？」電話に出た父は少し意外そうだった。
「最近ちょっと仕事が忙しくて……体がもたなくて。お父さんの作るスープが飲みたいなと思って」
「お前、梨々の作ったスープしか飲まなかったじゃないか？」
その言葉に、東雲琢磨は無言になる。
東雲俊一はすぐに何かを察したようだった。
「こういうことは早めに向き合うべきだよ。俺はここまでしか手伝えない。あとは自分でどうにかしなさい」
夫のスキャンダルがネットで騒がれ、妻が耐えきれないのは当然だ。
梨々が動き出すのも、予想はしていた。
うちの頑固でプライドの高い息子に代わり、父として静かに背中を押す番だ。
土曜の朝。
まだ夢の中にいた梨々は、鳴っているスマホで目を覚ました。
枕の下から取り出し、目も開けぬまま通話ボタンを押す。
「……はい？」
『梨々、家の前にいるよ。琢磨にスープを作ってきたんだ。ちょっと降りてこられるか？』
懐かしい声に、一気に目が覚めた。
画面を見ると、
「お義父さん、どうしてわざわざ……？夜に伺ってもいいのに」
慌てて身支度を整えながら応答する。
毎週の土曜は東雲家の家族食事会だ。普段なら琢磨と一緒に夜に東雲家へ行く。
『今夜、俺も清奈も別で会食があって、母さんも留守だから。スープは前もって作っておいたから届けにきたんだ』
「わ、私、今出先でして……玄関前に置いていただけますか？」
更衣室で慌てて嘘をつく。
東雲俊一は穏やかで優しい人物で、毎週の食事も自ら台所に立っていた。
妻である東雲琢磨の母・清奈は、逆に厳格で冷徹なタイプだったが、俊一はいつも家族思いだった。
『それと、琢磨に渡してほしい書類もある。
君ら結婚して時間も経ったんだし、もっとお互いのことを理解し合わないと。
夫婦ってのは、支え合ってこそだからね』
彼の温かい言葉に、梨々の胸は締めつけられる。
離婚を切り出すことが、どれほど辛いことか思い知らされる。
その後、俊一からの再確認に、「はい、今すぐ戻ります」と返事し、東雲家へ向かって、スープと書類を受け取る。
高級住宅街の門前でタクシーを拾い、会社へ直行。
タクシーの中、書類と保温容器を抱える梨々を見て、運転手が尋ねる。
「お嬢さん、あの家の家政婦さんですか？」
「……まあ、そんなところです。」
梨々は自嘲気味に答えた。
さっき東雲家を出る前に、かつて自分が使っていた車が駐車場で埃をかぶっていた。
まるで廃車のように見えた。東雲琢磨は、彼女が乗るくらいなら捨てる方を選んだのだろう。
――自分は彼にとって、もしかしたら家政婦以下かもしれない。
