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第11話:最後のチャンスだぞ、まだふざけるつもりか


「いたた……」

直美夫人は琢磨の視線を受けながら額を押さえ、「あやうく焼け死ぬところだったわよ。あんたのおじいちゃんが、あっちで手を振ってたのが見えたんだから」と大袈裟に呻いた。

梨々:「……」

居心地の悪さと恥ずかしさが一気に込み上げた。琢磨がじっと自分に視線を向けていたのに気づいたが、やがてその視線は祖母の方へ移った。

梨々は唇を噛みしめ、静かに座ったまま直美の芝居じみた話に耳を傾けていた。

彼がどういう意図で自分を見ていたのか、深く考える気にもなれなかった。


「おばあちゃん」

琢磨が近づいてくる。仕立ての良いスーツに包まれた姿はすらりとしていて、照明の下でひときわ目を引いた。

長身の彼が立つだけで、梨々の頭上の光をすっかり遮る。

思わず顔を上げた彼女は、彼の全貌を捉えきれないまま、その魅力に一瞬目を奪われた。

「孫よ、あんたのおじいちゃんが私に何て言ったと思う?」

直美は指の隙間からキラリと光る目で孫を覗き見ている。

琢磨は冷たい雰囲気をまとい、彫りの深い顔立ちは一目で只者ではないとわかる。


これまで直美は、どんな女性も自分の孫には釣り合わないと思っていた。

だが梨々に出会ってからは、「この子しかいない!」と確信していた。

おしとやかで静か、まるで人形のように整った顔立ち。

その容姿も雰囲気も、琢磨とはぴったりの相性だと信じて疑わない。

ふたりの子どもがどれだけ美しくなるか、想像するだけで幸せな気持ちになる。


「ひ孫に会えないなら、まだこっちに来るなって言われたかな」

琢磨は唇の端をわずかに動かしながら、意味ありげに梨々を見つめた。

彼女の海藻のような長い髪は肩にかかり、赤い唇と白い歯、少し開いた襟元からは雪のような肌がのぞく。

彼は喉を鳴らし、体がわずかに強張った。


そこで直美はパチンと指を鳴らし、二人を交互に見比べた。

「そうよ!そう言ってたのよ!

それで?いつ私にひ孫を見せてくれるの?」

こういう催促はもはや日常茶飯事だが、「おじいちゃんの夢のお告げ」バージョンは初めてだった。

恥ずかしさとおかしさで耳まで赤くなった梨々は、どう逃げようかと考えていた。

いつもは自分がかわしてきたが、今回はもう手詰まり。

嘘を重ねるよりも、とっさにその火の粉を東雲琢磨に押しつけた。

「おばあちゃん、決めるのは彼です」

その一言で、東雲琢磨の瞳の色がほんの少しだけ濃くなった。

「私をおじいちゃんに合わせられないって、あんた本気なの?」

直美は首を伸ばして琢磨に迫ってくる。

琢磨は片手で袖口を整えながら、淡々と答える。

「ひ孫があなたの命取りになるのなら、俺は産まない。あなたを死なせたくないから」

まさかの切り返しに、祖母は目を剥き、喉に何か詰まったように絶句するしかなかった。

「奥様、お食事の準備ができました」

メイドが声をかけてくる。


直美はすぐに話題を切り替え、「まずは食事よ! 食べなきゃほんとにあの世行きになっちゃう!私はもう言いませんよ、今度はおじいちゃん本人が夢で怒るからね!」

離婚を切り出して以降、琢磨との会話はすべてがぎこちない。

特にあの表参道レストラン前での一件以来、彼女はもう二度とあんな思いをしたくなかった。

幸い、直美の話が尽きることはなく、食卓は穏やかな空気に包まれていた。

食後、直美が彼女の手を取る。

「部屋は用意してあるから。今夜は俊一と清奈も帰ってこないし、二人とも泊まっていきなさい」

「えっと……」

梨々は思わず琢磨の方を見た。

泊まるということは、つまり同じ部屋で過ごすということ。

来週の水曜日には離婚届を提出する予定の二人にとって、それはあまりにも気まずい状況だった。

「なに見てるのよ」

祖母がピシャリと口を挟む。

「私が決めたことよ!」

結局、二人ともそのまま泊まることになった。


だが階段を上がった途端、東雲琢磨は書斎へ直行。

彼は今夜、書斎で寝るつもりだ。

――離婚間近の男として当然の判断だろう。

神崎梨々はそう考えながら、自室でシャワーを浴びた。

十分後、バスタオルを巻いたまま浴室を出る。

湯気が立ちこめる中、濡れた長い髪が頬に張り付き、白い首筋を伝って鎖骨へと流れる。

目の前には、寝間着のズボン一枚だけを身に着けた男が立っていた。

琢磨は書斎のバスルームから出てきたところで、髪は半乾き。

小麦色の胸元はしっかりと鍛えられており、逆三角形のシルエットがズボンの下に隠されている。

強いフェロモンが漂い、彼女は息を飲んで見つめ返した。

何をしに来たのか問う暇もなく、彼のたくましい腕が伸びた。

腰を引き寄せられ、彼の胸板に押しつけられる。

まだ湿った肌と彼の熱が、バスタオル越しに交差し、甘く危うい空気が流れる。

「なにしてるの!?」

彼の胸に片手を当て、もう一方の手でタオルを必死に押さえる。

琢磨は色気を帯びた視線で彼女の鎖骨を見つめた。

「さあ、なんだと思う?」

さらに腕に力が入り、二人の体が密着する。


彼の欲望が明確に伝わってくる。

神崎梨々は呆然としたまま、橘真希が彼の休憩室を片付けていた場面を思い出す。

まさか、もう我慢できなくなったの……?

でも、相手が自分って……おかしくない?

「離婚予定なの、忘れたの?」

東雲琢磨は鼻で笑い、まるで冗談でも聞いたかのような顔で彼女の顎をつかむ。

「そのために、わざわざ祖母まで呼び戻したんだろう? 今さら清純ぶるな」

直美は毎年、一ヶ月間山で精進料理と静養をする。

先週の土曜日に家を出たばかりで、まだ日数が合わない。

つまり、琢磨は梨々がわざわざ直美を呼び戻し、火事騒ぎで自分を誘き寄せたと思っていたのだ。


「私だって騙されて来たのよ!」

声を荒げる梨々。誤解されたままでいたくない。

だが琢磨は信じていないようで、彼女の腰をなぞる手が止まらない。

「演技はもういい」

理屈を重ねるつもりもない。事実は事実だ。彼はもう数日間、彼女を抱いていない。

なら、今日くらいは許してくれてもいいだろう――

それに、謝らないことも、今夜だけは目をつぶる。

彼女が受け入れてくれるなら、それで帳消しにするつもりだった。


梨々が言葉を発するより先に、唇が塞がれた。

激しく深いキスに舌が痺れ、思わず小さく喘ぐと、彼の情欲にさらに火をつけてしまった。

力の差は歴然、彼女の抵抗は逆に彼を煽るだけだった。

タオルが落ち、乱れた髪、やわらかく光を反射する肌が、男の本能を煽る。

ついには完全に理性を失い、彼女を壁に押し付け、さらにキスを深めていく。

彼はタオルを剥ぎ取り、欲望のままに彼女を求める。

梨々は目が回りそうな中、荒々しい愛撫に痛みを感じ、はっと目を覚ます。

そして――強く噛みついた。


舌先に鋭い痛み、唇に広がる血の味、男の欲望が怒りへと変わる。

「神崎梨々……いい加減にしろ。これが最後のチャンスだったんだぞ。まだ続けるつもりか?」


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