「藤田さん、ハウスクリーニング会社に頼んで、信頼できる家政婦さんを何人か見つけてきて。料理が特に上手で、栄養士の資格がある人が望ましいわ」
後部座席に座り、隣に積まれた滋養強壮剤の山を見ながら、私は藤田さんに指示を出した。
「承知いたしました、奥様」
藤田さんが応えた。
光哉と結婚した当初、双方の親は片桐家の邸宅の管理や炊事、掃除のため人を雇うよう言ったが、当時の私は恋愛脳が暴走して全て断っていた。他人が一人でもいると、光哉との愛の時間が邪魔になると思い込んでいたのだ。
結果は言うまでもなく、私はまるで未亡人のような生活を送る羽目になった。
人生をやり直す以上、そんな現実逃避の夢はもうやめよう。
片桐家の邸宅に戻ると、私はバッグを手に先に歩き、藤田さんが滋養強壮剤を抱えて後ろからついてきた。
ドアを開けると、ちょうど階段を降りてくる光哉の姿があった。袖口を直すという何気ない仕草さえ、相変わらず際立って見える。
「藤田さん、もう行っていいわ」
私はバッグを置きながら言った。
藤田さんは滋養強壮剤を置き、光哉に向かって丁寧にお辞儀をしてから立ち去った。
「一時間後にパーティがある。君の両親も出席する。準備して一緒に行け」
光哉は私が何を持ち帰ったかなど全く気に留めず、淡々と告げた。
彼が自ら私を連れて行くことはまずない。私の両親の同席が必要な時だけだ。
生まれ変わってからまだ両親には会っていなかった。不孝というわけではなく、前世のことを思い出すと胸がつまって、会うのが怖かったのだ。
「うん、わかった」
私はそう言って立ち上がり、二階へ向かった。
この半月、私は手をこまねいていたわけではない。新しい服を一通り買い揃え、そのスタイルやシルエットは以前の地味なものとはまったく違っていた。
私は赤いワンピースを選んだ。オフショルダーで、Vネックの上に薄いシフォンのレイヤーがかかり、裾はマーメイドラインでふくらはぎが覗くデザインだ。
痩せているのは確かだが、肌は白い。身長168cmで、胸が小さいのは確かだが、それ以外は悪くない。
萌香さんのような清楚系は、二十歳でもない私にはまったく似合わない。
化粧を済ませ、キラキラしたクリスタルのジュエリー一式を身につけた。以前は控えめにしていたが、今は派手であればあるほどいい。
階下で電話をしていた光哉は、私が降りてくる気配に気づいても顔を上げなかった。私も気にせず、先に車で待つことにした。
数分後、彼が現れた。車に乗り込んでからエンジンをかけるまで、私を一瞥することもなかった。
車中は言葉を交わすことなく。
彼は運転し、私はスマホをいじった。
渡辺悠斗のLINEを追加し、今まさに気遣いのメッセージを送っていたところだった。
私:『悠斗くん、病院の食事が口に合わないようだったら、お姉さんが誰かに届けさせてあげるよ』
渡辺悠斗:『いえいえ、美雪さん! 大丈夫です、慣れてますから』
私:『今日は栄養ドリンク買うの忘れちゃった。明日お見舞いに行く時に持っていくね』
渡辺悠斗:『本当にそんなに気を遣わなくても!』
私:『気を遣ってるんじゃないの。私がぶつけたんだから、責任は取るの。何かあったら遠慮なく言って』
渡辺悠斗と萌香の家庭環境は似たようなものだ。
光哉が萌香にとっての“金持ちのイケメン”なら、私だって渡辺悠斗にとっての“お金持ちのお嬢様”になれるはず。
そう考えると、なんだかちょっとだけ気持ちのバランスが取れた。
信号で車が止まった。
光哉がようやく横を向いて私を一目見た。私の変貌に初めて気づいたかのようだったが、口から出るのはろくな言葉じゃない。
「そのワンピース、君が着るには勿体ないな」
やはり、ドラマみたいにイメチェンして旦那様を魅了するなんて夢事だった。
私はスマホを置き、胸元を軽く持ち上げてみせた。
「そんなに小さい? 今日は一番厚いパッド入れてるんだけど」
その動作に光哉の顔がまた曇った。
「その言動、慎め」
「どうして?」
私は問い返した。
何年も慎んできたって、意味があった?
死に際を経験した者は、ただただ心地よく生きたいだけだ。
「自分の立場を忘れるな」
彼の口調はすでに冷たくなっていた。
彼は私を妻として見ていないくせに、その立場に自制を求めてくる。
私はもう言うのも億劫になり、窓の外を見た。
前なら、光哉が少しでも私に話しかけてくれたら、とても嬉しくて、会話が途切れないように必死で話題を探していた。
パーティー会場に着くと、私は光哉としばらく表面だけの夫婦を演じ、何人かの知人と軽く会話を交わした後、自分で見つけた隅っこの席に腰を下ろした。
偶然にも、隣にも若い女性が一人で座っていた。よく見ると、この間、光哉と週刊〇春に報道された浮気相手ではないか?
「日菜子、どうして一人でここにいるの?」と、別の女性が近づいて尋ねた。
「ちょっと休憩中なの。舞も座って」
立花日菜子の声は甘ったるくて、私は光哉がこういうタイプに弱いのに気づいた。萌香もそうだし、彼の噂の相手はみんなそうだった。
二人は私の隣で話し始め、私の存在には誰も気づいていないようだった。
小林舞が立花日菜子をからかった。
「君の片桐社長、あそこにいるよ? 挨拶に行かないの?」
「やめてよ、誰の片桐社長よ。奥様がいらっしゃるんだから」
立花日菜子は口をとがらせた。
「その奥様ってただの飾りよ! 今一番近しいのが日菜子ちゃんなんて、みんな知ってるわよ。聞いたわよ、マンション買ってもらったんでしょ?」
小林舞の口調にはやっかみが混じっていた。
「ええ、彼は私にすごく太っ腹なの」
立花日菜子の声には自慢がにじんでいた。
「私のどこがそんなに気に入ったのかわからないけど、彼に出会えて本当にラッキー」
光哉は誰にでも太っ腹だ。私という飾りの妻を除いては。
彼と付き合ったことのある女は別れた後も彼のことを褒め称える。それが金の魔力というものだ。
その時、私の両親が近づいてきた。私が一人でいるのを見て母が言った。
「美雪、光哉さんは? 一緒じゃないの?」
光哉の名を聞き、立花日菜子と小林舞がはっとこちらを振り返った。二人の表情は一瞬で凍りついた。
私は立ち上がり、母の腕を組んだ。
「彼と一緒にいてもつまらないわよ。仕事の話か接待の話ばかり。やっぱりお父さんお母さんと話すのが一番楽しい」
母は私の変化に驚いたような目をした。長いこと甘えるようなことはしていなかったからだ。
「お前たち親子でゆっくり話してろよ。俺は友達と少し話してくるから」
父は鈍感そのもので私の変化に気づかず、朗らかに去っていった。