立花日菜子はようやく私に気づいた。彼女の顔が一瞬赤くなったり青くなったりして、目の中には強い敵意を見せた。でも、どうやら私に直接挑戦する勇気はないらしい。私を見つめるその目には、戸惑いと焦りが混じっていた。
私はお母さんの手を引いて座り、気軽に話し始めた。
「実は、今日は来たくなかったんだけど、光哉が一緒に来いって言うから、仕方なくついてきたの。ほんと、退屈だったわ。」
「美雪たら、これはちゃんとした用事なんでしょう、退屈だなんて言っちゃダメよ。」
お母さんは私の手を握りながら、注意しつつも、優しい口調で言った。私は余計なことを考えずに、立花日菜子の方に目をやりながら、普通に話を続けた。
「退屈って言っても仕方ないと思うよ。あ、そうだ、お母さん、私、家事代行の会社にお願いして、家政婦を何人か雇うことにしたんだ。突然体重増やしたくなって。光哉も私が痩せすぎだって言うから、もっと食べて寝るようにしないと。」
立花日菜子は唇を噛んで、赤く染まった唇がまるで熟した果実のように見えた。彼女は何かを我慢しているようだった。あからさまな苛立ちが顔に浮かび、でもその目は私から逸らせなかった。
「前からお願いすればよかったのに。あんな大きな家に二人で住んで、あなた一人でどうやって管理できるの?」
お母さんは私の決断に賛成してくれた。
「だって、最初は光哉と二人だけの生活を楽しみたかったんだ。でも、今はもう飽きちゃった。」
私は少し含みを持たせた言い方をしてみた。立花日菜子なんて、光哉の人生の中の通りすがりの人に過ぎない。麻倉萌香のように重要な人ではないから、わざわざ気にする必要はない。
その瞬間、立花日菜子が急に立ち上がり、慌てて席を立って去って行った。あの女性も後ろを追いかけて、きっと気まずさを感じたのだろう。
パーティーが終わると、私は光哉と帰るつもりはなかった。代わりに、実家に帰って、しばらく両親とゆっくり過ごしたいと思った。
「ああ、俺は先に帰る。」
光哉は私がどこにいようと構わない様子で、ただ私が彼に恥をかかせないことだけを気にしていた。
お父さんはまだ友達と楽しそうに話していて、パーティーが終わったことには全く気にしていない様子だった。
お母さんは車の鍵を私に渡して、先に駐車場で待っていてほしいと言った。彼女はお父さんのキリがないない対話をなんとかしようと、止める方法を考えていた。
私は車の鍵を握りしめ、地下駐車場に向かって歩きながら、お父さんの車を探していた。
見つけた車に乗り込もうとした瞬間、光哉が立花日菜子と何やらもめているのを見かけ。彼女は光哉の袖を掴み、涙を流しながら彼に問いかけた。
「光哉、そんなに優しくしてくれたのに、一度も愛していなかったの?信じない!私は信じないから!」
「信じるかどうかはお前の勝手だ。もう俺に近寄るな。」
光哉は彼女の小さな手を一気に振り払った。
いつものことだ。片桐光哉は、こんな風に気に入らない相手には冷たくなる。遊び終わったら、もう何もなかったかのように相手を無視し、捨てる。
家一軒で、立花日菜子が自分のことを光哉の真実の愛だなんて勘違いしているのか?本当に甘すぎる。
その時、光哉が私を見かけた。彼の目には、さっきのような不快感と嫌悪が満ちていた。まるで今、彼を追い詰めているのは私だと思ったように。
私はすぐに車に乗り込み、ドアをしっかりとロックした。お父さんとお母さんを待つではなかったら、今すぐにでもアクセルを踏んで、その場から立ち去っていた。
避けようとする姿を見て、光哉が何かに取り憑かれたかのように、突然私の方に向かって歩いてきた。彼は私の車の窓を軽く叩き、口の動きで「出てこい!」と言い出した。
眉をひそめて、私は頭を横に振り、「出ない」と返事をした。その瞬間、私のスマホが鳴り始め。画面には光哉の名前が表示されていた。
「出てこい!」
光哉の声が電話越しに聞こえた。
「私は、君と彼女のことに関わりたくない。」
私は車の窓越しに、怒りに満ちた光哉の目を見返しながら答えた。
もう決めたんだから。たとえ光哉と麻倉萌香が出会う前に離婚できなかったとしても大丈夫、あと少し我慢して、彼が離婚を切り出すまで待つだけばいい。その時に即答すれば、会社の株の一部を得られる。どの道、私に損はない。
前世では、光哉は麻倉萌香を追いかけ続け、1年後にやっと私に離婚を申し出てきた。そして家族にもそのことを伝えた。私はそれを拒絶して、1年近く彼と争った結果、全て奪われた。
やり直せるチャンスを貰えたから、復讐のことばかり考えるのは無意味な執着だと思う。前世はまるで夢のようで、今の私はその悲劇が起きる前の現実にいる。もうそんな悲劇に陥るつもりはない。
「出てこい!」
光哉は本当に怒っている様子で、私が彼を拒絶したことに驚いているのが見て取れた。立花日菜子が涙を浮かべながら近づいてきて、また彼の袖を掴んで離さなかった。
どうしてこんなに粘り強く、光哉にしがみつくんだろう?一応有名なアイドルだっていうのに、こんなにも必死で。
まるで過去の自分を見ているような気分で、私も、他人を嘲笑う資格なんてない。
光哉は私にひと睨みをくれてから、立花日菜子の手を強引に引き、彼女を自分の車に乗せて連れ去った。
私は深いため息をつき、少しホッとした。
お父さんとお母さんが車に来た時、私はもうほとんど寝てしまいそうだった。
「あなたたら、話が長すぎて美雪もう眠くなってるじゃない!」
お母さんがお父さんを軽く叱った。
「いや、工事でちょっと問題があってさ。俺たちが承認しなきゃいけないから、ちゃんと話し合わないと。」
お父さんはシートベルトを締めながら答えた。私は後部座席に座り、体がだんだんとぼんやりとしていくのを感じた。
前世では、いつも光哉を追いかける夢を見ていたけど、今はどんな時でも前世のことを夢に見るようになった。まるで、神様が私が過去の辛い出来事を忘れないように、夢を通じて何度も思い出させようとしているみたい。
「ねえ、お母さん、お母さんの作ったおでんが食べたいの。」
私が後ろでうとうとしていると、お母さんが私の隣に座ってくれた。私は慌ててお母さんの腕を引き寄せ、身体を寄せた。それが、お母さんの温もり。安心感と温かさで包まれる瞬間だった。
前世で、私は最期の時に病床に横たわり、両親が私の側で涙を流しながら過ごしていた。その時、彼らは一夜にして白髪が増え、悲しみに満ちた表情をしていた。
「こんな夜中におでんなんて作るわけないでしょう?」
お母さんは私の手を軽く叩いた。
「今日はどうしたの?光哉と喧嘩でもしたの?普段、こんな遅くに家に帰ってくることなんて滅多にないのに。」
「だって、もう恋愛頭じゃないだもん!これからは、お父さんとお母さんが一番重要だからね~」
私は笑いながら答えた。
私が光哉に一方的に恋していることは、周りの人たちみんな知ってるから、お母さんがその言葉を聞いたとき、ちょっと驚いた様子だったし、お父さんはあまりにも驚いて、ハンドルをちょっと切りすぎたみたいだった。
「あの小僧のこと、もう好きじゃないのか?」
お父さんがそう聞いた。
好きだよ。好きだけど、手放す。結局、私は光哉を引き止めることができなかった。彼は私のものではない。彼は麻倉萌香のもの、彼に愛を感じさせる美しい女の子のものだ。
「お父さんさん、私と光哉、もう結婚して五年も経つじゃない。夫婦って、愛だのなんだのじゃないでしょ?私はただ、自分のやりたいことをするだけ。彼のためだけに生きるのはもう嫌だ。」
私はあっさりと答えた。
「確かに、そうだな。あの小僧なんて、毎日のように週刊○春に出て、俺も前から気に入らなかったんだ!」
お父さんは突然元気よく言い出した。光哉のことを話すとき、明らかに不満がこもっていた。
昔、私は光哉に対して一途だったから、お父さんはそのことを配慮して何も言わなかった。でも今、お父さんも我慢しきれなくなったのだろう。
「そう、まさに、最低男だよね!」
私が一言言うと、お父さんとお母さんは一斉に光哉への不満を口にした。その様子を見て、私は初めて、両親が私のためにどれだけ我慢していたのかを知った。娘のために、あえて不満を言わなかった。
胸が詰まる。申し訳ない気持ちで、顔すら上げられなくなった。
家に帰ると、すでに深夜だった。私はお風呂に入って、すぐに寝た。どれくらい寝たのか分からないけれど、お母さんが私の部屋のドアをノックしてきた。
「お母さん、どうしたの?」
「おでんが食べたいって言ってたでしょ?少し作ったから、もし食べたいなら自分でとってね。」
その瞬間、私は目を覚まし、ベッドに座ったまま数秒間ボーっとしていた。突然、目が熱くなり、涙があふれ出した。
過去に戻ってから、私は一度も泣かなかった。前世での辛いシーンが夢に現れることはあっても、ただ目が覚めて気分が悪くなるだけで、もうその痛みには麻痺していたから、受け入れるのができていた。
でも、お母さんが私の食べがっていたおでんを作ってくれたその瞬間、私はどうしても涙を止めなかった。