マキアートは甘かった。でも、恋の味は感じられなかった。
自分が苦いブラックコーヒーのようで、萌香は甘いマキアートのようだと、そう思うばかりだった。
時折、彼女を眺めながら、あさって彼女と光哉が出会う時間を計算していた。
白江県の経済フォーラムは午前九時半開始。萌香はアルバイトの受付係として、早々に会場入口で待機するはず。
光哉が会場に入った瞬間、彼女の姿が目に入り、キューピッドの矢に射抜かれる。
「麻倉さん、別のアルバイトしてみませんか?家庭教師の仕事を紹介できるんです。明日から始まって、割のいい仕事ですよ」
彼女がテーブルを片付けている隙に、私は小声で尋ねた。
彼女は感謝の笑みを浮かべて断った。
「美雪さん、気にかけてくださってありがとうございます。でも、もうすぐ新学期が始まるので、あさっての受付のアルバイトが終わったら、学校に戻って手続きしなきゃいけないんです」
私は一瞬、動きを止めた。もうすぐ新学期か。
遅かった、数日前に声をかけていれば、光哉の前に彼女が立つことを本当に阻止できたかもしれない。
しかし、すぐに気持ちは楽になった。あの二人の縁なら、今回を阻止しても、次に何が起きるかわからない。
「どういたしまして。ふと思い出しただけですから」
私はまた一口コーヒーを飲み、笑顔を作った。
「じゃあ、ここの仕事は辞めるんですね?」
「ええ、新学期が始まったら時間が取れませんから」
彼女は少し名残惜しそうに周囲を見回すと、いたずらっぽく笑って言った。
「美雪さん、さみしくなるわ」
私は少し居心地が悪くなった。
真実を知ったら、きっと彼女も私を避けるだろう。
客が来たので、萌香は迎えに行った。
私はホッとして会計を済ませ、店を後にした。
もうこの安い喫茶店に来る必要はたぶんないだろう。
運命の歯車はもう回り始めている。
傍観者としてこれから起こる一切をもう一度見ることは、前世の経験があるとはいえ、決して楽なことではない。
拓也の件でもわかったように、バタフライ効果は強力だ。これから起こる変化に、私は向き合わなければならないだろう。
ここ二日間、義父と義母が居座っているせいで、光哉は毎日昼食と夕食に帰宅し、私と同じベッドで寝ている。
落ち着いてる彼と対照的に、私の心は不安でいっぱいだった。
「明日のフォーラム、何時に行くの?」
私はぼんやりと口を開いた。
「8時だ」
彼は目を閉じたまま、うつらうつらしているようで、声は淡々としていた。
「家族連れて行ってもいい?」
伝説の場面をこの目で見たかった。
前世では、光哉と萌香のラブストーリーがSNSでトレンド話題になっていた。
光哉が横を向き、漆黒の瞳に嘲笑を浮かべた。
「家族?お前が?」
私は瞬きした。
「法律上は、そうですよね?」
こういうフォーラムなら、当然パートナーやアシスタントを連れていくことはできる。夫婦で臨む実業家も多い。
それに父の立場を考えれば、私が行ってもおかしくはない。
しかし、光哉の考えは違ったようで、鼻で笑った。
「考えすぎじゃないか?」
私は寝返りを打ち、彼の横顔をじっと見つめた。
立体的で精緻な輪郭、鼻筋と眉の骨のラインは完璧すぎるほど。こんなイケメンでお金持ちの男が、普通の女の子に心を奪われるなんて?本当にシンデレラ物語みたいだ。
「連れて行ってくれないなら、お父様に連れて行ってもらうって言いつけるわ」
私は脅した。義父はなぜ光哉が連れて行かないのかと疑問に思い、私への扱いが悪いと非難するだろう。
この手は効いた。
光哉の見つめる目は毒を含んでいた。
「明日8時に起きろ。一分でも遅れたら待たん」
「わかった。7時半に起きて化粧するから」
私は嬉しそうに笑いかけた。
彼と萌香の発展過程を詳しく知って、離婚後に元妻として二人のラブストーリーを本に書けたら、きっと興味を持つ人は多いだろう。
この売り文句だけで、かなりのお金が稼げるはずだ。
翌日、時間通りに起きてナチュラルメイクをし、上品な服に着替えて光哉と出発した。
目的地に着くと、壮大なビジネス会議センターの扉が開いており、数人の美しい受付嬢が両側に立っていた。
萌香もその中にいる。エレガントな和風モダンのワンピースを着て、際立っていて、周囲よりも一層目を引く存在だった。
光哉がシートベルトを外して車を降りたが、明らかにまだ彼女には気づいていない。
「先に入ってて。お化粧直すから」
私は突然光哉に言った。
前世、萌香は光哉が既婚者だと知っていたが、私を見たことはなかった。今世はまず関係を知らせないでおこう。
光哉は私にかまうのも面倒くさそうで、車を降りて去っていった。
私は車の窓越しに、彼が会場の入口へと歩いていく後ろ姿を凝視した。
ついに、彼は萌香の前に立った。
背を向けられて、表情の変化は見えなかった。しかし、足取りが明らかに止まり、目の前にいる若くて美しい少女をじっと見つめているようだった。
私の胸の奥がズキリと疼いた。とても痛かった。しかし同時に、決着がついたような気がした。
大勢の前で、光哉がどれほど心を動かされても行動に出ることはない。場違いだからだ。
彼はすぐに会場の中へ消えていった。
彼の姿が見えなくなってから、私は車を降りて会議センターの中へと歩いていった。
萌香は私を見て驚いたが、すぐに小さな声で挨拶した。
「美雪さん」
私は笑顔を返すだけで何も言わず、自分の席を探した。
光哉はすでに最前列に座っており、隣ではフォーラムの会場責任者と話し込んでいた。
私の席は光哉の隣だった。そこへ座ろうとした時、ちょうど責任者の最後の言葉が耳に入った。
「はい、承知しました。彼女の連絡先は後ほどお送りします」
彼は私を一瞥すると、気まずそうにすぐに立ち去った。
「立花日菜子よりは空気が読めるのね」
私は感嘆した。
光哉が振り返って私を見た。その目つきはこれまで以上に嫌悪に満ちていた。
おそらく頭の中は萌香のことでいっぱいで、私の戯言など聞きたくなかったのだろう。聞きたくないならなおさら言ってやる。「この前、立花日菜子が隣に座ってた時、私のことを『形だけの妻』って言ったわ」
「当然だ」
彼は冷たく応じた。
「彼女が空気読めないのが当然ってこと?それとも、私が『形だけの妻』なのが当然ってこと?」
私は問い詰めた。
光哉は黙り込み、ただ遠くから近づいてくる萌香を見つめた。その目は、私が今まで見たこともないほど輝いていた。
その眼差しは、私にもよくわかる。初めて彼を見た時、私もそうだったから。
萌香の瞳は私でいっぱいで、光哉など全く見ていなかった。それはなかなか気持ちのいいものだった。
彼女が本当に渡辺悠斗を愛していたのだと、少し信じかけた。前世、光哉の求婚を断ったのも心からの決断だったのだろう。そうでなければ、あんなに熱い眼差しを向けている男に気づかないはずがない。