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第24話

数分後、渡辺悠斗から電話がかかってきた。声には慌てがにじんでいた。


「美雪さん、どうしてお金を振り込んでくれたんですか? 学費は自分でなんとかするつもりでしたのに!」


「学生は学業に専念すべきよ。単位を落としたら卒業できなくなるかもしれないでしょ?」


ベッドに寝転がりながら、私はわざとらしくない程度の気だるい声で言った。


「いいから、姉さんの言うことを聞いて。D大は良い大学なんだから、時間を全部バイトに費やさないで。しっかり勉強して将来に備えなさい。卒業して働き始めてから返せばいいのよ。」


「僕……」


悠斗の声が、詰まったように聞えた。


胸が少し痛むと同時に、自分の狡猾さを感じた。この少年の純粋さにつけ込んでいる。


彼は私を親切な人間だと思っている。まさか、気前の良いふりをしているとは気づくまい。

萌香のことはさておき、私は心から、悠斗くんのような自立心の強い人間を評価している。

彼の境遇で、D大でやっていくのは、並外れた努力を必要とするに違いない。


「もういいの。これからお金に困ったら、遠慮なく言ってきなさい。応援だと思って。卒業したら返せばいいし、それでも気が引けるなら、利息をつけてくれればいいから」


その程度の金は私にとって大した額ではない。けれど、それで心のバランスが取れ、彼を助けられるなら一石二鳥。


悠斗くんは明らかに追い詰められていた。そうでなければ、始業式の前日までバイトをしているはずがない。


電話を切り、彼は送金を受け取り、メッセージを送ってきた。

『ありがとうございます、美雪さん!必ず返します!』


私は返信せず、スマホを置いて眠りについた。





翌朝、私は念入りに身支度を整えた。白いワンピースは優雅で上品、薄化粧で顔色も良く見える。


チェロを背負い、藤田さんに車でD大まで送ってもらった。


学園に戻ると、感慨無量だった。

元気いっぱいの新入生たちを見て、自分が入学したばかりの頃を思い出した。まるで昨日のことのようだ。


あの頃は、光哉が在籍する大学に合格し、彼の後輩になれたことに胸を躍らせていた。宝くじが当たるよりも嬉しかった。


記憶を頼りに音楽学部のホールへ向かうと、ホールの周囲は大きなガラス張りで、中央には階段状のステージが設けられている。


今日、私のように演奏のために母校に戻ってきた卒業生は全部で八十人。


演奏曲は、定番の名曲『美しく青き空』。


ステージには既に各人の位置がマークされていた。私たちは臨時に配置を決め、それぞれの場所に付いた。


リハーサルはなし。全ては互いの呼吸にかかっている。


しかし、皆元はD大音楽学部の出身だ。社会に出て研鑽を積んではいるが、その実力は衰えていない。そうでなければ、こんな依頼は引き受けられない。


優美な旋律が流れ出す。熱情あふれる音符が全身を包み、心身ともにリラックスした。


見物する学生たちが次第に増えていき、私たちの即席オーケストラもますます気持ちが乗ってきた。いくつかのクラシック名曲を演奏し続け、お昼近くになってようやく一息ついた。


湧き起こる拍手に、満足感が胸に広がる。


聴衆の中に視線を走らせると、渡辺悠斗の姿が見えた。


彼は立ち止まり、目を輝かせて私を見つめている。


私が気づいたのを見て、彼は少し恥ずかしそうに、しかし親しみを込めて手を振った。


私は笑顔でうなずき、応えた。演奏会が終わった後、私は彼の方へ歩み寄った。


「悠斗くん」


「美雪さん!チェロを弾かれるなんて!すごいですね!」


悠斗くんは惜しみなく称賛の言葉を口にした。


「大学ではチェロが専攻だったのよ」


私は楽器を背負ったまま、彼と歩きながら話した。


この場所に身を置くと、一瞬で若返り、学生時代にタイムスリップしたような気分になった。


「音楽ができる女の子って、すごく魅力的だと思います」


顔の傷はほぼ治っていたが、口元や目の端にうっすらと痕が残っている。スポーティーな短パン姿で、日差しを浴びて爽やかな印象だった。

その言葉に、私は胸の鼓動が一瞬速まった。

まさか、彼は……?


しかし次の瞬間、悠斗くんは私の推測を打ち砕いた。


「うちの萌香も音楽やってるんですよ。彼女は声楽で、楽器じゃないんですけど」


ああ、果奈と同じ歌手志望なんだ。


私は心の中でそっとため息をついた。

どうやら悠斗くんは萌香にかなり惚れ込んでいるようだ。彼女を奪うのは容易ではなさそうだ。


だが、光哉が萌香を落とせば、私にもチャンスが巡ってくる。

私の目的は、あくまで心のバランスを取るためであって、真実の愛を探すことではないのだから。


「悠斗くん!!」


前方に萌香の姿が現れた。


彼女も白いワンピースを着ていたが、そのはちきれんばかりの若々しい雰囲気が、私よりもずっと清純さを際立たせている。


私と悠斗くんが一緒にいるのを見ても、彼女は少しも訝しむ様子はなく、むしろ驚きと喜びで声をかけてきた。


「美雪さん!どうしてここに?」


「さっきホールで演奏してて、偶然悠斗くんに会ったのよ」


私は優しい笑みを浮かべた。


「さっきホールで素晴らしいオーケストラの演奏があったって聞きました!美雪さんも出られてたんですか?すごく残念!サークルの用事で、見逃しちゃって」


萌香の可愛らしい顔は本気の悔しさでいっぱいだった。本当に残念がっているのが伝わってくる。


悠斗くんが口を挟んだ。


「だから君を探しても見つからなかったんだよ。電話も繋がらなかったし」


萌香の目に一瞬、不自然な影が走った。どこか疲れた様子で、口元の笑みも力強さに欠けていた。


「携帯をマナーモードにしてたから、気づかなくて…」


「始まったばかりで忙しいわよね。一緒にランチどう?おごるわ」


私は二人を誘うように微笑んだ。


萌香は首を振った。


「美雪さん、ありがとうございます!でも、これから寮の整理もしないといけないし、学食で軽く済ませます。悠斗くんは?」


悠斗くんは当然、彼女に付いていく。たとえ昨夜、私が二十万も貸したばかりだとしても。


「僕も学食で。美雪さん、今度は僕と萌香がおごります」


悠斗くんは真摯にそう言った。


「ええ、それじゃあ、私は先に失礼するわ」


私は無理強いはせず、うなずいてその場を離れた。


藤田さんが待っていた。車に乗り込み、「帰りましょう」と告げた。


車はD大の広々とした並木道を走る。


学生時代、毎日のように頭をひねって光哉との偶然を装い、こっそり後を追いかけた日々の情景が、自然と頭に浮かんだ。


ふと、横を銀色のレクサスがゆっくりと通り過ぎた。


窓が半分降りて、見えた横顔、光哉だった。


彼がなぜ突然、そんな目立たない車でD大にいるんだろう?


唯一の説明は、萌香に会うため、そして目立たないようにするため。


道理でさっき、萌香の目が泳ぎ、疲れた様子だったわけだ。


ここ二日間、光哉にさんざん「絡まれていた」に違いない。


こうした強引なアプローチは、誰しも最初は受け入れ難い。ましてや、心に想い人がいる彼女なら尚更のこと。


彼はさっき私を見ただろうか? しかし彼の頭は萌香のことで一杯だろうし、おそらく他のことを気にしている余裕などなかっただろう。

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