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第4話 :冷徹な公爵との婚姻





4-1 契約から本物の婚姻へ


 新たな合議制が樹立され、王国は激動の夜 をようやく乗り越えた。

 追放された王太子アレクシスは終身軟禁となり、かつての愛人セリーナは行方をくらませている。貴族の多くは失脚し、王権に頼らない新たな政治体系が生まれようとしていた。


 その中心で暗躍していたのは、黒衣の公爵―― エドモンド・ヴァーレン。

 そして彼を支え、“ブレーン”として活躍していたのが、元・王太子妃でありながら追放の憂き目を見た ナタリー・ヴァレンタイン だった。


 王宮内は事実上の無政府状態に近く、現在は暫定政権として、エドモンドが主導して合議制を作っている。地方や商人、平民の代表を招き、腐敗した旧貴族の利権を整理し、国を再建していく道筋を探っていた。


 そんな最中、エドモンドはナタリーに 「私と結婚しないか?」 と告げる。

 これまでの二人は“契約”という形で出会い、利害が一致するパートナーとして行動してきた。だが、今度はそれを越えて、愛情 に基づく本当の婚姻を結びたいという申し出だった。


 ナタリーはかつて、王太子アレクシスと形だけの結婚「白い結婚」を交わした過去がある。そこには 愛情など微塵もなく、彼女はただ王太子妃の座を与えられながらも蔑まれ、最終的には追放された。

 だからこそ、結婚という言葉には 辛い思い出 がつきまとう。


 しかし、エドモンドはそうした彼女の心の傷も理解したうえで、寄り添ってくれた。

 「形だけのものにはしたくない。今度こそ、愛ある結婚を誓いたい」

 その言葉がナタリーの胸を打ち、彼女はもう一度だけ結婚という形に挑戦することを決意する。


 もちろん、この国の新体制がまだ安定していないなかで、二人が結婚するとなれば周囲からさまざまな注目を浴びるだろう。公爵 と 元・王太子妃 の再婚はスキャンダラスにも思える。

 だが、エドモンドが言うには、それも含めて自分たちの「新しい時代」を象徴させたいのだという。


「我々は、過去のしがらみではなく、自分たちの意思で結婚を選んだ。

それが国の未来に対する一つの象徴になればいい。

“白い結婚”を捨て去り、本当の愛を求める生き方こそ、新しい時代だと示したい。」


 ナタリーはその言葉に胸を熱くしながら、静かな決心 を固める。

 (私も、もう一度だけ信じてみよう。今度は、形だけではない婚姻を……)


 こうして、二人の婚姻は 内々に準備 され始める。

 合議制の要人たちにはまだ公表していないが、近しい者たち——たとえば屋敷の執事や、一部の信頼できる議員には話が通され、極秘裏 に結婚の段取りが進んでいくのだった。


4-2 夫婦としての試練


 それからしばらくして、暫定政権は各地の代表を集めて本格的な“国政の再構築”を進める大規模な会合を開くことになった。

 エドモンドはその中心人物として連日会合に出席し、ナタリーも 秘書兼顧問 として同席する。そこでは多くの問題が取り上げられ、国の基本方針を決めるための討議が行われた。


 治安維持や税制改革、商業の自由化、王族の扱い……課題は山積みであり、かつての王太子派貴族が抵抗を試みる場面もある。中には**「旧王朝を復権させよう」** と暗躍する者たちもいて、会合は何度も紛糾した。


 ナタリーは王妃教育として培った知識と、追放前に知り得た“王宮の裏事情”を駆使し、そうした旧勢力の動きを封じ込めるための材料を提示した。エドモンドはそれを活用しつつ、強かな手段で反対派を黙らせていく。


 一方、合議制の代表の中にはナタリーを見て 疑念 を抱く者も少なくなかった。

 「あの女は元・王太子妃だ。かつての王族側ではないのか? 本当に信用できるのか?」

 その声は小さくはない。


「過去に王太子と婚姻していたという経歴は、確かに人々の不信を招くかもしれない……」

 ある夜、エドモンドはナタリーと書斎で仕事の合間に話をする。

「だが、私には君が必要だ。君ほど国の現状を正確に分析し、実務をこなせる人材は他にいない。合議のメンバーの中にも、君を支持する者は増えている。だから気にするな」


 ナタリーはうつむきそうになる心を、なんとか奮い立たせて微笑む。

「ありがとうございます。……でも、私がいなければもっと円滑に進むこともあるかもしれません。実際、旧貴族や王太子派だった者たちの中には、私を“裏切り者”だと非難する人もいて……」


「裏切り者? 白い結婚に縛られていた君を追放したのはあちらのほうだろう。裏切られたのは君のほうだ」


 その冷静な指摘に、ナタリーは苦笑しながら肩をすくめる。

「言われてみれば、そうかもしれませんね。でも、そういう理屈が通じない相手もいます。……私の存在が障害になるなら、私は身を引いたほうがいいのではないか、と考えることもあるのです」


 すると、エドモンドはわずかに眉をひそめ、彼女の目をじっと見つめた。

「君は本当にそれでいいのか? 私は君の力を必要としているし、それに私たちは 結婚 しようと決めた間柄だ。もしここで君が身を引けば、それは私にとって痛手でしかない」


「……私も、本当はあなたと一緒にこの国を変えたいと思っています。けれど、過去のしがらみを理由に人々の不満が募り、合議制が失敗したら――」


「気にしすぎだ。たしかに、一部の者たちは君を快く思わないかもしれない。しかし、君の実力と誠意を見れば理解を示す人間も多い。それに、私が全力で君を守ると約束しよう」


 その言葉は、まるで 絶対的な盾 だ。

 ナタリーの目に、一瞬涙が浮かびそうになる。かつて王太子と結婚したとき、誰かがこんなふうに“守る”と誓ってくれただろうか。あの頃とは比べものにならない安心感を覚える。


「……ありがとうございます。私、やっぱりあきらめません。あなたのそばで、新しい国を作る一助になりたいんです」


「それでいい。君となら乗り越えられる」


 そうして二人は、お互いの手を取り合い、合議制の複雑な政治の荒波に立ち向かっていく決意を新たにする。これが、夫婦としての最初の試練とも言えた。

 まだ正式に結婚はしていないが、心の上ではすでに固い絆 で結ばれていた。


4-3 ナタリーに訪れる初めての愛


 ナタリーは日々、エドモンドの屋敷で実務をこなし、合議制の会合や各種の調整に奔走する。以前の王妃生活と比べれば何倍も忙しく、夜遅くまで書類と向き合うことも珍しくない。

 だが、彼女の心には常に充実感があった。愛されない王妃 の頃とは違い、今は自分が必要とされ、そして 誰かを必要としている と実感できるからだ。


 エドモンドは冷徹な策士として周囲から畏怖される存在だが、ナタリーと二人きりになるときには穏やかな表情を見せる。彼女に意見を求め、尊重し、ときに彼女の疲れを気遣って休息を促すこともある。


 ナタリーにとって、そんな日常が 初めての「愛」 を教えてくれるものだった。

 王太子との結婚生活には存在しなかった 思いやり と 尊重。

 同じ屋敷に住み、同じ未来を見据えながら支え合うこと――それがこんなにも幸福なことなのだと、彼女は初めて知ったのだ。


 ある夜、ナタリーは疲れからか、執務中に急に意識が遠のきそうになった。ペンを持つ手が震え、書斎の机に突っ伏すようにしてしまう。

 そこへエドモンドが姿を現し、すぐにナタリーのそばへ駆け寄った。


「……ナタリー、大丈夫か? 最近働きすぎだ。医師を呼ぼう」


 声をかけられ、ナタリーは慌てて頭を上げる。

「すみません、ちょっと目眩が……。でも大丈夫です。ご心配なく」


 エドモンドはナタリーの肩を優しく抱きとめると、少しだけ苦言を呈するように口を開く。

「いいや、大丈夫ではない。顔が真っ青だ。……ほら、今日はもう休め」


「でも、この書類の整理が……。明日までにまとめないと、次の会合に間に合わなくて……」


 ナタリーは無理を押して立ち上がろうとする。しかし、ふらついた体をエドモンドが支え、彼女を静かに制止した。

「私がやっておくから、君はベッドで休め。必要な資料やメモは君の机にあるだろう? 私が代わりに片付けておく」


「……公爵様が、そんな細かい作業を?」


「君に比べれば雑な仕事かもしれないが、緊急でやるべきことくらいは分かる。あとは明日の朝、君の最終チェックを受ければいいさ」


 エドモンドはどこまでも冷静だが、そこには明らかにナタリーを思う“優しさ”が感じられる。彼女は一瞬戸惑いながらも、これ以上迷惑をかけられないと思い、素直に従うことにした。


「ありがとうございます。……それでは、少しだけ甘えさせていただきます」


 こうしてナタリーはエドモンドに肩を貸してもらいながら自室へ向かった。

 ベッドに横になると、体中の緊張が解け、ふわりとした意識に包まれそうになる。


(私が倒れたら、この人は悲しむだろうか……。以前の王妃生活では、私が倒れたら邪魔者扱いされるだけだった。今は違う。彼が私を助けてくれる。こんなにも私の存在を気遣ってくれる人がいるなんて……)


 ナタリーの心は温かい充足感に満たされていた。

 それは、王太子アレクシスとの結婚では一度も味わえなかったもの。自分が大切にされている と感じられる幸せ。


 しばらくして、ナタリーは意識が遠のき、そのまま浅い眠りにつく。

 翌朝目覚めると、体調はだいぶ回復しており、枕元にはエドモンドからのメモが置かれていた。


「最低限の書類は整理しておいた。朝食は執事に用意させているから、食後にチェックを頼む。

昨夜はびっくりしたぞ。今後は無理をしすぎないように。——エドモンド」


 その短い文章に込められた気遣いが、胸をじんわりと温める。

 ナタリーは改めて決意した。もう二度と、自分の存在を否定される結婚なんてしない。彼となら、本当の意味で互いを支え合う夫婦になれるはずだ。


 これこそ、彼女が初めて感じる 「愛」 であり、エドモンドもまた同じ気持ちでいるだろうと確信する。


4-4 本物の婚姻へ


 ナタリーとエドモンドは、合議制が一段落し、国政の暫定体制が安定を見せるタイミングを見計らって、正式に婚姻を公表 することを決めた。

 そのためには最低限の儀式や、合議制メンバーへの報告が必要だ。かつてのような豪華絢爛なロイヤルウェディングは望まないが、多くの人々が二人の結婚を注視している。


 特に注目されているのは、「元・王太子妃」という肩書を持つナタリーと、「旧貴族を一掃し、新体制を主導した黒衣の公爵」エドモンドの結びつきが、国の未来をどう象徴するのか、という点だ。

 国民の間では、「王太子との愛のない結婚を捨て、今度こそ本当の幸せを掴むのだろう」という応援する声と、「実は野心家同士の政治的結婚ではないか」という疑惑の声とが入り乱れている。


 しかし、ナタリー自身の心は 揺るぎなく エドモンドとの愛情に傾いていた。

 形だけの結婚に縛られ、愛されることなく追放された過去。それを乗り越え、今度こそ本物の婚姻を結ぶと誓ったとき、彼女の心には一点の迷いもなかった。


 婚礼の日 は、暫定政権が正式に合議制を発足させる式典と合わせて行われることになった。

 場所は王宮ではなく、再建されたばかりの新たな政庁の大広間。豪華すぎないが、それでも国としての公式行事にふさわしい内装が施されている。


 この日のために、ナタリーはエドモンドの執事や使用人たちと協力しながら、ささやかながらも心温まる式を準備した。かつて王妃として大規模な儀式を経験したナタリーだが、今はもっと質素で、しかし心の通った式 を望んでいる。


 当日は合議制の主要メンバーや、各領地の代表者も集まり、多くの目が二人に注がれる。

 白いドレスを纏ったナタリーは、かつて王太子との結婚式で身にまとったような仰々しい宝石などは身につけず、シンプルなヴェールと花飾りだけを選んだ。

 その姿は多くの人々に「あの王妃が、こんなにも穏やかな顔をするようになったのか」と驚きをもって迎えられた。


 一方、エドモンドは黒衣に近いダークブルーの礼服を着こなし、厳かにナタリーを待ち受ける。その表情には微かな緊張と、しかし確かに喜び が浮かんでいた。


 式の進行は、新政権の重鎮が務める。以前の王国のような宗教的儀式は簡略化され、「互いの意思で婚姻を結び、力を合わせて国に貢献することを誓う」という誓約形式が取られた。


 ナタリーとエドモンドは、互いに相手を受け入れることを誓い合う。

 かつての白い結婚と違い、その言葉には 真実の心 が込められていた。二人とも心から相手を尊重し、愛し、そして国の未来を築き上げるための伴侶となる——まさに“本物の婚姻”だ。


 誓いの言葉を交わした後、会場に集まった人々からは大きな拍手が沸き起こる。

 新政権の合議制メンバーや、地方からの代表者たちは、二人を祝福する者、あるいは慎重な目で見守る者、それぞれに複雑な思いを抱えているかもしれないが、少なくともこの場では祝意が表されていた。


 ナタリーは涙を浮かべそうになるのを堪えながら、エドモンドの手を握る。

 (私、今度こそ愛される結婚をしたんだ……。もうあの頃の私とは違う。夫に蔑まれ、愛人に嘲笑されるような生活からは、永遠に決別したんだ……)


 エドモンドもまた、少しだけ緊張から解放された様子で、彼女を見つめ返す。

「ナタリー……私たちは、ここからが本当の始まりだ」


「ええ。今度こそ、私たちの手で新しい国を作り上げましょう。二人でなら、きっと……」


 その言葉に、エドモンドは軽く頷き、そっと彼女のヴェールを持ち上げる。

 周囲の人々が見守るなか、二人は静かに誓いの口づけ を交わした。


 かつてナタリーが思い描いた「愛される王妃」の夢は、もう昔の話だ。

 しかし今は、「愛される妻」「理解し合う夫」として、エドモンドとともに歩む道が始まる。過去の苦しみがあったからこそ、彼女は本当の幸せの重みを知ることができたのだろう。


 式が終わると、暫定政権の代表者が挨拶に立ち、王国の再建に向けた方針 が宣言された。

 それは「国王や王太子の絶対権力を排し、合議制と地方自治を強化する」という、これまでの王国では考えられなかった画期的な方針だった。


 ナタリーもエドモンドも、その方針を強く後押ししている。王太子が好き放題に振る舞った旧体制に戻すわけにはいかない。そのためには、まだ多くの困難が待ち受けているだろう。

 しかし、今は 二人が夫婦として生きる誓い を立てた、かけがえのない祝福の時だ。


 白い結婚 という悲劇を経験し、愛される喜びを知らずに追放されたナタリーが、ようやく見つけた 本物の婚姻。

 その笑顔を、王都の空は穏やかな光で照らしていた。




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