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第3話 :王国の崩壊

3-1 ナタリーを失った王太子の焦燥


 ナタリー・ヴァレンタインが王宮を去ってから、すでに数週間が経過していた。

 かつて「白い結婚」と呼ばれた王太子アレクシスとの名ばかりの婚姻は、彼女の追放とともに事実上の破綻を迎え、王都にはすでに「元・王太子妃が追放された」という噂が広まっている。


 しかし当のアレクシスは、世間の非難や嘲笑をほとんど意に介していなかった。

「どうせ、あの女など最初から必要なかったのだ……」

 人前ではそう吐き捨てるように言い放ち、正式な場では「ナタリーとの婚姻は解消した。今後は愛人であるセリーナを迎え入れる」などと堂々と宣言している。


 だが、その裏側では違った動揺が進んでいた。

 ナタリーという“形式上の王妃”を失ったことで、王宮の中枢が微妙に機能不全を起こし始めていたのだ。


 まず、ナタリーが王妃として担っていた外交上の仕事が一切回らなくなった。

 もちろん、名目上は王妃としての権限など小さいとされてきたが、それでもナタリーは王太子の補佐として、貴族や諸侯とのやり取りを滞りなく取りまとめていたのである。

 各領地からの贈答品の受け取り、祝祭の準備、王宮行事の調整など……それらがナタリーの管理下にあったとは、アレクシス本人も把握していなかったようだ。


 代わりにセリーナを王太子妃のように扱おうとしても、彼女は舞踏や社交にこそ長けているものの、事務的な仕事には全く興味を示さない。むしろ、華やかな場でアレクシスの隣を飾り、周囲の嫉妬を集めることに喜びを感じるばかりだった。


「セリーナ、お前にはこの書簡の返事をまとめてほしいと言ったはずだが」

 アレクシスが苛立ち混じりに問いかけると、彼女は愛らしい笑みを浮かべて首を傾げる。

「ごめんなさい、殿下。難しい書簡は苦手なんです。私、そんなことより早く次の舞踏会を開いていただきたいわ」


 アレクシスは思わず額を押さえる。

「舞踏会……いまはそんなことをしている場合ではない。貴族たちの不満が高まっているし、隣国との交渉も進めなければならないのだぞ?」


 セリーナは何も理解していないように、小首をかしげるばかり。

「でも、殿下。私たちの結婚を盛大に祝う舞踏会をすれば、きっと周囲も納得してくれますわ。あの女……ナタリーがいなくなった今だからこそ、華やかにするべきなのよ」


「……ナタリーの名を口にするな」


 むしろ、アレクシスが心底嫌がっているのは“ナタリーの存在を思い出させること”そのものだった。彼女を追放した直後は、内心で勝利感すらあったが、実際には彼女がいなくなったことで王宮の政務が微妙に回らなくなっている事実を、アレクシスは薄々感じ取っている。


 それでもプライドが邪魔をして、周囲に弱音を見せることはできない。

 彼は無理やり「自分が正しい」と信じ込もうとするが、日増しに王宮内の混乱は広がっていく。王太子は若い貴族たちを盛り立てようとするが、貴族同士の利権争いは激化し、誰も王太子のために動こうとはしない。


 さらに追い打ちをかけるように、王太子が主導してきた国政の不備が露呈し始めた。

 王都の外れでは、重税に耐えかねた商人や農民たちが小規模な暴動を起こすようになり、それを鎮圧するために派遣した兵士たちは、王太子に忠誠を誓うどころか、しぶしぶ戦っているのが実情だった。


「殿下、もう少し民の声に耳を傾けるべきでは……」

 近臣の一人がそう進言しても、アレクシスは聞く耳を持たない。

「黙れ。彼らが従わないなら力で押さえつければいい。わが国に逆らうなど許されるものか」


 だが、その“力”を振るうための兵士たちは忠誠心を失いつつある。

 エドモンド・ヴァーレン公爵など、一部の重臣は独自の勢力を築いていて、王太子に協力的ではない。実質的に、アレクシスは王太子としての威厳を保つための後ろ盾を失いつつあった。


 そして、アレクシス自身が最も恐れているのは……

 自分がこのまま国の中枢を掌握できず、王位に就く前に失脚するのではないかという不安。

 ナタリーを失ったことで、王家とヴァレンタイン侯爵家の協力関係も不安定になっている。彼はそれをどうすることもできないまま、ただ苛立ちだけを募らせていた。


「くそっ……! なぜ、こんなにも物事が上手く運ばない……!」

 夜毎、アレクシスは自室で荒れ狂う。セリーナが近くに寄って慰めようとするが、王太子の苛立ちは収まらない。


(あの女……ナタリーさえ、最初からいなければこんな面倒にはならなかった。いや、それとも彼女がいたから、いままで上手く回っていた……?)


 自分でも、どちらが本当の答えか分からない。

 そうして心の闇に囚われていくアレクシスは、やがて取り返しのつかないほど愚かな行為に手を染め始める。貴族の財産を取り上げる名目で新たな税を導入し、それを不満とする者を無理やり罰し……結果的に国内をさらに混乱へと導く結果になっていくのだ。


 このとき、まだアレクシスは知らなかった。

 その背後で、エドモンド・ヴァーレンとナタリーが、水面下で一歩一歩計画を進めていることに。



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3-2 貴族社会の崩壊


 王宮が混乱の色を深めるなか、エドモンド・ヴァーレンの屋敷では静かに新たな策略が練られていた。

 ナタリーはエドモンドの秘書=顧問として、日々多くの書類に目を通し、貴族たちの動向を分析し、報告をまとめる役割を担っている。


 これまで“王妃教育”として習得した知識は、こうした情報収集や書簡の読み解きに大いに役立った。貴族同士の特殊な慣習や、王宮内の暗黙のルールを知るナタリーの存在は、エドモンドにとってまさに“最良の切り札”と言えた。


「公爵様、この書簡ですが……」

 ある夜、ナタリーは書斎でエドモンドに書類を差し出す。そこには王宮からの命令書や布告書の控えが含まれており、王太子アレクシスが推し進めようとしている新たな税制の概要などが示されていた。


「ふむ、アレクシスめ、また民の不満を煽るような税を課そうとしているのか」

 エドモンドは苦笑混じりに呟く。彼にとって、王太子が自滅への道を辿るほど好都合ではあるが、一方で国全体が乱れすぎると収拾がつかなくなるリスクもある。


「民衆の暴動が増えれば、国そのものが立ち行かなくなるでしょう。王宮は力で押さえつける方針のようですが、そんなやり方は長続きしません」

 ナタリーは眉を寄せながら説明する。彼女は王太子のやり方がまったく理解できなかった。国を治めるなら、まず民を安定させる必要があるのに、彼はそれを逆行している。


 エドモンドは淡々とペンを走らせながら、書簡に書き込みを入れる。

「結局のところ、アレクシスは追い詰められているのだろう。実質的にナタリー=君を失い、王宮内部の人脈も思い通りに使えない。焦るあまり、強引な策に走っているに違いない」


「……私などいなくても、王太子が政治を回せると思っていました。けれど……」


「実際には、君のように細やかな事務や外交を担う人材がいなかったということだな。もっとも、君を追放したのは奴自身の判断だ。文句はないだろう」


 ナタリーは微かな嘲笑を浮かべる。

「そうですね。あの人は、私がいても邪魔だと思っていた。それで困っているなら自業自得でしょう」


 そうは言いつつも、ナタリーの胸中には複雑な思いが渦巻いていた。

 どんな形であれ、自分が一度は王妃として仕えた国が今まさに崩壊へ向かおうとしている。それを“当然の報い”だと割り切れない自分がいるのも事実だ。


(でも、あの王宮に戻って助けたいなどとは思わない。私を追い出した人たちが滅びるのは、ある意味で当然。それでも、国民が苦しむのを放置していいの……?)


 しかし、そんなナタリーの心の迷いなど察する様子もなく、エドモンドは冷静に資料を整理し始める。彼の指先は淡々とページをめくり、王太子派貴族の動向や、最近取り沙汰されている兵士の不満などが書き込まれたメモを確認している。


「次の手を打つ時が来たようだ。私は王太子派の貴族数名に揺さぶりをかけるつもりだ。『王宮の新税に反対する』という名目で、彼らがアレクシスから離反するよう誘導する。そうすれば、貴族社会の支持基盤が崩れ、アレクシスはさらに追い詰められるだろう」


「具体的には、どのように……?」

 ナタリーが尋ねると、エドモンドは薄く笑う。


「簡単だよ。王太子派の貴族は、王宮からの恩恵を受けている代わりに、民衆の反発を買いやすい立場にある。そこへ強引な新税が導入されれば、いずれ彼らの領地でも暴動が起きる。私がその暴動を裏から支援すれば、貴族たちは自分たちの安全確保のために王太子を見限るしかなくなる」


「……つまり、暴動を利用するということですか?」


「そういうことになるな。もちろん、民衆に無謀な蜂起を促すわけではない。あくまでも彼らが立ち上がる必然的な要因を後押しするだけだ。血が流れないに越したことはないが……王宮が武力で対応してくるなら、そうもいかないかもしれない」


 ナタリーは思わず息を呑む。

 エドモンドのやり方は、冷徹かもしれないが理にかなっている。国を変えるためには、平和的な方法だけでは済まない現実がある。だが、それが正しいかどうかは誰にも分からない。


「私にできることは、ありますか?」


「貴族連中の細かな事情は、君が詳しいだろう。どの家が王太子派で、どの家が中立的か、そのあたりの一覧を作ってくれないか。特に、セリーナ周辺に取り入っている貴族など、何らかのスキャンダルを隠し持っている可能性が高い。調べれば弱みを握れるかもしれない」


 ナタリーは深く頷く。

「分かりました。すぐに取りかかります」


 そこからの数日、ナタリーは過去に王宮で知り得た情報や、エドモンドが集めた資料を突き合わせながら、貴族たちの詳細なリストを作成した。誰がどのような利権を持ち、王太子やセリーナとどういう関係にあるのか。浮き彫りになってくるのは、貴族社会がいかに脆く、私欲まみれであるかという現実だった。


 例えば、ある伯爵はセリーナの家と親交があり、土地の利権を半ば独占している。しかし、その土地には不当に重税を課せられた農民たちが怒りを募らせているという情報もあった。そこにエドモンドが動けば、伯爵はたちまち窮地に追いやられるだろう。


 こうした弱点をリストアップし、エドモンドに報告するたびに、彼は淡々と“処理”の手段を考案していく。まるで、次々と駒を盤上で動かして相手を詰ませるチェスを楽しむかのようだった。


(これが、貴族社会の崩壊の始まりなのかもしれない……)


 ナタリーはペンを走らせながら、ふと一抹の不安を感じる。かつては自分も貴族の娘であり、そして王妃という肩書を背負っていた。そんな自分が今、エドモンドとともに“王宮を崩す”片棒を担いでいるのだから、なんとも皮肉な運命だ。


 しかし、もう引き返せない。

 王宮はナタリーを捨てた。ならば、彼女がこの国の命運を握るのも一つの定めなのだろう——そう言い聞かせながら、彼女はさらに筆を走らせる。


 この間にも王太子アレクシスは、貴族同士の争いをうまく収拾できず、逆に煽るかのような法令を連発していた。王国全体に不満が蔓延し、暴動の火種があちこちでくすぶり始める。

 やがて、エドモンドはその“火種”に息を吹きかけるように、密かに資金を提供するなどの支援を行い、事態は加速度的に混乱へと向かっていく。


 誰もが見ぬふりをしてきた貴族社会の綻びが、こうして表面化し、崩壊への道をたどり始めた。

 追放された元王妃ナタリーと、黒衣の公爵エドモンド。その二人の手によって——。



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3-3 新しい国、新しい時代


 王宮の混乱は、ついに最高潮に達しようとしていた。

 アレクシスの傲慢な政策に耐えかねた領主や騎士団が次々と反旗を翻し、各地でゲリラ的な衝突が起きている。民衆は王太子に絶望し、もはや“王”としての期待を寄せる者はほとんどいなかった。


 王都の城門付近では、集団で押しかけた農民や商人が抗議の声を上げ、王宮に訴えようとするが、兵士たちによって強引に鎮圧される。

 血が流れる事件も増え、もはや“平和な国”と呼べる状況ではなくなっていた。


「王太子殿下……このままでは、国が崩壊してしまいます!」

 年長の重臣たちが必死に諫言しても、アレクシスは頑として聞き入れない。

「黙れ! 私こそがこの国の統治者だ! 逆らう者は容赦しない!」


 しかし、“容赦しない”と言っても、兵士たちはすでに王太子を見限りかけている。貴族たちもまた、エドモンドの働きかけによって離反の動きを見せはじめた。


 そんな状況を背景に、エドモンドはついに“最後の手”を打つことを決断する。

 彼のもとには、王都郊外で蜂起した民衆の代表者が秘密裏に接触してきていた。アレクシスによる恐怖政治に耐えかねた人々を、エドモンドが受け入れる形で、一種の“解放軍”を組織しようという構想である。


「民衆の不満が頂点に達している今こそ、王宮を掌握する絶好の機会だ。ナタリー、君もこの機に私と行動を共にしてくれ」

 エドモンドの言葉に、ナタリーは深く頷く。

「……はい。私も、アレクシスがこれ以上民衆を苦しめるのは黙っていられません」


 彼女が本心からそう言えるまでには、少なからず葛藤があった。たとえ追放されたとはいえ、自分が王妃として仕えた国を“崩壊”させる行為ともいえるからだ。

 だが、もはやアレクシスが王としての責務を果たす未来は見えない。むしろ、早めに王権を剥奪し、新体制を作ることが国民を救う唯一の道だとさえ思える。


 数日後、エドモンドの暗躍によって集まった人々が、王都近くの広場に集結した。そこには貴族に虐げられてきた平民、重税に苦しむ商人、さらには王太子派を離れた下級騎士たちも混じっている。

 彼らは“解放軍”を自称し、王宮を強襲する機会を伺っていた。


 一方、王宮側は焦りの色を隠せない。兵士の一部はエドモンド側につき、残った兵力だけでは広場を取り囲むこともままならない。

 やがて、力の均衡が破れ、両者は正面衝突の危機に瀕していた。


「ここまできた以上、話し合いで解決など不可能だろう……」

 エドモンドは遠く王宮の尖塔を見上げながら呟く。ナタリーはその隣で、膝の震えを抑えながら事態を見守る。


「本当に、戦になるのでしょうか。私は、できるだけ血を流してほしくないのですが……」


「私も同じ考えだ。しかし、アレクシスが抵抗を続ける限り、激突は避けられない。……君は安全な場所に隠れていてもいい。これは私の戦いだ」


「いいえ、私は最後まで見届けます。元・王妃として、自分の責任を放棄するわけにはいきません」


 ナタリーの決意は揺るがない。白い結婚に縛られ、王太子妃として愛されなかった過去を抱えながらも、国の行く末に責任を感じる彼女だからこそ、ここで背を向けることはできないのだ。


 こうして、エドモンドを中心とする解放軍が王宮へ進軍を開始する。

 王宮前の広場には兵士たちが陣を敷くが、その多くが士気を失っている。下級騎士や一部の将校は、「もう王太子に従う理由がない」と言って武装解除する者も現れた。


 やがて、混乱のうちに王宮の門がこじ開けられ、解放軍の先鋒が城内へ突入する。そこに待ち受けていたのは、狂乱したアレクシスと、わずかな忠誠心を保つ兵士たちだけだった。


「ふざけるな! 私を誰だと思っている! 私は王太子だぞ!」

 アレクシスは剣を抜き、抵抗する。しかし、その周囲にはセリーナすらいない。既に愛人の彼女は状況が不利と見るや否や、どこかへ逃げてしまったのだ。


(王太子殿下……あなたは、なぜここまで孤独になってしまったの……?)

 ナタリーは、胸を締め付けられるような悲しみとともに、その光景を遠巻きに見ていた。かつて一度は夫婦という形をとった相手が、こうして暴君の姿を晒している事実に、言いようのない虚しさを感じる。


 最終的に、アレクシスは解放軍の下級騎士たちによって取り押さえられ、玉座の間に連行される。

 そこで彼を待っていたのは、圧倒的な人々の怒りと嫌悪の眼差しだった。


「王太子アレクシス、貴公はこの国を乱し、多くの民を苦しめた罪を犯した。その責をどう取るつもりだ」


「黙れ……私は王族だぞ……!」

 しかし、もう彼を擁護する者はほとんどいない。貴族たちも逃げ惑い、あるいはエドモンドの勢力に降伏している。


「王はすでに衰弱しており、近々譲位の可能性が高い。もはやアレクシスには王位を継承する資格などない」

 解放軍の代表者は、アレクシスにそう告げ、正式に王位継承権の剥奪を宣言した。


 これによって、王太子アレクシスは一夜にして権力を喪失する。

 しかし、国民の怒りはそれだけでは収まらなかった。彼の死刑を求める声まで上がり始め、アレクシスは絶望の表情を浮かべる。


(このままでは、アレクシスは処刑される……)

 ナタリーは動揺する。彼が自分を追放し、愛人を侍らせて傲慢の限りを尽くしてきたことは許しがたい。だが、死という結末だけがすべての答えなのか——彼女には判断がつかない。


 隣に立つエドモンドは、その様子を冷静に見つめていた。

「どうする、ナタリー。君が望むなら、彼の命を助けることもできるかもしれない。私が調整すれば、国外追放か、終身刑で済む可能性もある」


「……でも、それを決めるのは私ではないわ。民衆は、私よりずっと辛い思いをしてきた。その怒りを無視して、私情で決めていいのかしら」


「君の言う通りかもしれない。ただ、最後にどうするかは、この国の未来にも関わる。人々の怒りを代弁する形で王太子を処刑すれば、たしかに溜飲は下がるだろう。だが、それで新しい時代が正義に満ちたものになるかは分からない」


 ナタリーはエドモンドの言葉を噛み締める。

 自分は確かに、アレクシスに対して恨みを抱いている。しかし、処刑がすべてを解決するわけではない。一度は夫婦という形式を結んだ相手を、ここでただ“ざまぁ”と嘲笑うのは、あまりにも虚しい。


(私は、もう王太子殿下に何の未練もないけれど、だからといって死を望むほど憎んでいるわけではない。彼が受けるべき罰は、きっと別の形があるはず……)


 こうして、ナタリーは心に芽生えた迷いを抱えながら、新たな時代へ向けた国政の再編に加わっていくことになる。



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3-4 過去との決別


 王太子アレクシスの失脚によって、旧来の王宮体制は大きく変動した。

 現国王は高齢であるうえに病に伏せっており、実質的には統治の意思を失いつつある。そこで、貴族や民衆の代表者が合議制の暫定政権を樹立し、エドモンド・ヴァーレンがその主要メンバーとして名を連ねることになった。


 ナタリーもまた、エドモンドの補佐として新政権の一部に関わっている。王宮ではなく、エドモンドの屋敷を中心に各地の代表者が集まり、これからの国の在り方を議論し始めた。

 農民や商人の声を聞きながら、過度な重税を廃止し、貴族の権限を制限する方向へ。まさに“新時代”が開かれようとしている。


 アレクシスの処遇については、結局“終身軟禁”という形に落ち着いた。国民の怒りは凄まじかったが、エドモンドが「象徴的に王太子を処刑してしまえば、次なる暴君が出たときに同じことが繰り返される。むしろ罪を償わせるべきだ」という趣旨の説得を行い、多くの賛同を得たのである。

 かつての愛人セリーナは行方をくらまし、一説には国外へ逃亡したとも言われる。


 こうして、激しい内乱こそ避けられたものの、国のあり方は大きく変わった。

 王族の絶対的な権力が失われ、貴族の権限も縮小されつつある一方で、民衆が声を上げ、合議制による政治が進められる新たな道へ——。


 そんな移り変わりの最中、ナタリーはふと、これまでの自分の歩みを振り返る。

 “白い結婚”と呼ばれる愛なき婚姻生活。王妃として認められず、愛されず、最後には追放された。あの時はすべてを失ったように感じたが、こうして見れば、それが彼女を新しい道へ導いたのだとも言える。


「ナタリー、少し休んだらどうだ? 最近ずっと働き詰めだろう」

 書斎の机に向かう彼女に、エドモンドが声をかける。ナタリーは微笑んで首を振る。

「ありがとうございます。でも、まだ書類がたくさん残っていて……。この合議制が軌道に乗るまでは、気が抜けません」


 エドモンドは苦笑しながら、彼女の手元の書類に目をやる。そこには、各領地の代表者が新政権に提案してきた意見や要望が細かく書かれていた。ナタリーはそれらを分類し、優先度を評価し、合議の議題に挙げる準備を進めている。


「君がここまで働くとは思わなかったよ。王太子の元にいた頃から、ずいぶん苦労したんだな」


「それなりに、いろいろと学びましたから。でも、まだまだ知らないことばかりです。……ただ、一つだけ分かったのは、自分の意志で生きることが、こんなにも充実感をもたらしてくれるのだということ」


 ナタリーはペンを置き、窓の外を見る。そこにはかつてのような争いや混乱はない。街の人々は不安と期待を抱えながらも、新しい政府を受け入れようとしている。


「愛のない結婚に縛られていた頃の私は、ただ“王妃”という役割を演じるしかなかった。でも、今は自分の判断で仕事を選び、誰かのために動いている。それだけで、昔よりもずっと幸せ……と言えるのかもしれません」


 そう語るナタリーの横顔は、王宮で孤立していた頃とはまるで別人のように活気に満ちている。

 エドモンドは軽く息をついて微笑む。


「……君を拾ったのは正解だったようだ。まあ、おかげで私も目的を果たせたし、王太子を失脚させることにも成功した。あとは、この国を本当に立て直すことができるかどうかだが……」


「それが、あなたの本当の願いなんですよね。国を滅ぼすのではなく、正しい形に立て直すこと」


 ナタリーの言葉に、エドモンドは少し驚いた表情を見せる。

「随分と推察がいいな。その通りだよ。私は王太子への復讐心だけで動いたわけじゃない。貴族の腐敗に嫌気が差していたし、この国を変えたいと思っていた。……ナタリー、君も私を助けてくれるだろう?」


 それは以前とは違い、“契約”ではなく、もっと柔らかな響きを帯びた問いかけだった。

 ナタリーは微笑み、そっと頷く。


「はい。私にできることであれば、喜んで」


 こうして、二人はそれぞれの過去と決別し、新しい時代のために協力し合う関係を築いていく。

 ナタリーが王太子との“白い結婚”を捨て、本当の自分らしさを取り戻したように、この国もまた旧来の腐敗を脱ぎ捨て、新たな政治体制へと歩み始めたのだ。


 やがて、混乱が収まりつつある王都では、ナタリーの名が知られるようになる。かつては“愛されない王妃”として憐れまれた彼女が、今は“新政権のブレーン”として貴族や商人、民衆からも尊敬のまなざしを向けられる存在に変わっていく。


(もし、あのまま王妃であり続けたら、私はただ王太子に愛されないまま、国が崩壊していく様を傍観するしかなかった。追放はたしかに辛かったけれど、それが私を新しい人生へ導いてくれたのだと、いまなら思える)


 ある日の午後、ナタリーは屋敷の庭で花を見つめながらそう考えていた。

 すると、背後からエドモンドが近づいてきて、静かに声をかける。


「ナタリー、一つ提案がある」


「なんでしょう?」


「……私と“結婚”しないか?」


 不意に告げられた言葉に、ナタリーは驚きに目を見開く。

 エドモンドはくすりと笑い、いつになく穏やかな瞳で彼女を見つめる。


「契約ではなく、今度は本物の結婚だ。私は国政の一端を担う立場になるだろう。君は私の右腕として、多くの仕事をしてくれている。だが、それ以上に……私は君を傍に置きたいと思った」


 ナタリーの胸が、ドキリと音を立てる。

 これまで“愛のない結婚”に苦しめられてきた自分にとって、この言葉はあまりにも衝撃的だ。けれど、エドモンドの瞳には明確な“感情”が宿っているのが分かる。


「私たちは、最初は契約から始まった。でも、お互いの過去を知るうちに、そしてこの国の未来を願ううちに、もっと深い繋がりを感じるようになった……そうだろう?」


 ナタリーは胸の奥に温かいものが広がっていくのを感じた。

 かつて王太子には与えられなかった“愛”という光。今、エドモンドがその光を差し出してくれているのではないか——そんな思いに駆られる。


「……私なんかで、いいのですか? 私は一度、白い結婚という形で破綻した……」


「だからこそ、だ。君はもう二度と“形だけ”の結婚をしないだろう。本当に大切に思う相手としか結婚したくないはず。それが、私であれば光栄だよ」


 彼の言葉は嘘偽りなく、まるで長い孤独を経た二人がようやく辿り着いた答えのようだった。

 ナタリーは、はっきりと頷く。


「私も……あなたとなら、もう一度、結婚という形に挑戦してみたい。今度こそ、愛のある結婚を」


 こうして、ナタリーは“白い結婚”という過去と決別し、新たな人生へ踏み出すことを決意した。

 王太子に愛されなかった苦い日々、追放による絶望、そして黒衣の公爵との出会い——それらすべてが、彼女を本当の幸せへと導く道のりだったのかもしれない。


 崩壊した王国は、今、新たな時代を迎えつつある。

 “追放”という辛い経験を乗り越え、真実の絆を手にしたナタリーとエドモンドが、この先どのような未来を築いていくのか。


 過去のしがらみを捨て去り、自由な世界へ向かう彼女の歩みは、まだ終わらない。



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