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第4話 彼女の本性

真野遥香は、ゆっくりと視線を上げた。

目の前に立つ、白石紗月を見つめる。


――似ている。

白川詩織に、驚くほど似ていた。


遥香なんかより、ずっと。


「承知しました、社長」

遥香は落ち着いた声で答えた。


「遥香さん、よろしくお願いしますっ!私、ちゃんと頑張って、早く覚えますねっ!」

白石紗月は、ぶりっこ口調で笑顔を見せる。


「……お気遣いなく」

遥香は、あくまで礼儀正しく返した。


その態度には、嫉妬も未練も見えない。

――“興味ない”


修介の脳裏に、不意にそんな言葉が浮かんだ 。

理由のない苛立ちが、腹の底から湧いてくる。


「……コーヒー」

吐き捨てるように命じて、修介は眉間にしわを寄せたまま、執務室へと入っていった。



しばらくして――給湯室。

「白石さん、社長はコーヒーの味にかなりこだわる方ですので……」


遥香が注意事項を伝えようとした、まさにその時だった。


「遥香さん、霜月さまの前には、もう出てこない方がいいと思いますよ?

彼、あなたを見ると気分が悪くなるみたいだし。今は私の男ですから。彼が辛そうだと、私、胸が痛くなっちゃう♡」


にこやかな顔が、あっという間に一変する。

白石紗月は腕を組み、傲慢な態度で遥香を見下ろした。


遥香は動じず、手元でコーヒー豆を丁寧に挽きながら、落ち着いた口調で返す。


「……もし私に早く消えてほしいのなら、余計な口を叩かず、さっさと覚えたほうがいいですわ」


その余裕ある言葉に、紗月は奥歯を食いしばった。


――予定が狂った。


本当は遥香を挑発して、手でも出させて、修介に見せつけるつもりだったのに……!


結果、遥香は“どうでもいい”とでも言うように動じない。


紗月は苛立ちに震える。

――数ヶ月前から、彼女は霜月修介のそばに送り込まれていた。


なのに、あの女がずっと邪魔をしていた。


自分のほうが白川詩織に似ているのに、なぜ彼は、あの女を手放さなかったのか。

しかも――修介は今に至るまで、彼女の体に一度も触れてこなかった。


時折、じっと見つめてくる視線はあったが、優しさも、温もりも、そこにはなかった。


その原因が――全部、真野遥香だと信じている。


「――ただの、飽きられて捨てられた女のくせに。なにを気取ってんのよ」

その声は、侮蔑に満ちていた。


遥香は、そんな紗月を静かに見つめ返した。

その目は、まるで相手の奥底まで見通すような、鋭い光を宿している。


「……今日が初対面のはずよね、白石さん?

なのに、どうしてそんなに私を憎んでるの?」

「べ、別に、そんなことないわよ!」


紗月は、咄嗟に反論する。

だが、遥香は構わず、淡々と、けれど鋭く言い放った。


「……もしかして、まだ抱かれてないから、かしら?」

「なっ……! なに言ってんのよ、アンタ!!」


的を射抜かれた紗月が、思わず声を荒げた。


「秘書室のデスクの上に、二冊のノートがありますわ」

遥香はさらりと言った。


「一冊は、社長秘書マニュアル。

もう一冊は――霜月修介の“愛人マニュアル”」


「……は?」


「全部、社長の好みが書いてある。仕事の引き継ぎって、そういうことでしょう?」


遥香はにこりと微笑んだ。


「……白石さん。私は、あなたが思っているほど霜月修介に執着していない。これは“ただの仕事”だったわ。


仕事に対して、私はいつだって真面目。引き継ぐべきことは、きちんと渡すつもり。


……あとはあなたの実力次第よ。彼を満足させられるかどうかは」


紗月は、罠にかかったネズミのように、遥香を睨みつけた。

本気か、嘘か――測りかねる。


しばらくの沈黙の後、低く唸るように言った。

「……言ったからには、ちゃんとやりなさいよ。

じゃなきゃ、タダじゃおかないから」


遥香は、淹れたばかりのコーヒーを紗月の目の前にそっと置いた。

そして、優しい笑みを浮かべながら言った。


「白石さん。あなたもさっきいろいろ言ってくれたから、私もひとこと忠告するわ。


今日は見逃してあげる。

これからは、好きなだけ“霜月さま”に媚びを売ればいい。


――ただし、これ以上私にちょっかい出すなら……後悔するわよ」


その瞳の奥には、確かな“本気”があった。

紗月は、なぜか背筋に冷たいものが走った。


(……おかしい。聞いてた話と違う…。この女、こんな怖かったっけ?)



そのとき。

「真野さん、営業部の神崎部長が来られました!お呼びです!」


外から声が聞こえた。


遥香は机を軽く叩いて合図した。

「なにボーッとしてるの? そのコーヒー、社長に持っていきなさい」


そして、何もなかったかのように給湯室を後にした。



「真野さん!」

廊下を歩く彼女に、声をかけてきたのは――営業一課部長、神崎蓮だった。


「君……まさか退職間際に、あんな大ポカやらかすとは思わなかったよ!」


彼は開口一番、怒鳴りつけてきた。


「もし、先方との打ち合わせを前倒ししてなかったら……あの契約書はそのまま提出されて、俺たちの営業チームは地獄行きだったぞ!

……まさか競合他社に金でも貰って、契約潰そうとしたんじゃないだろうな?」


神崎部長は、昔から短気で真っ直ぐな性格だった。

数ヶ月前に、遥香と共同で仕事をしていたこともある。


「神崎さん、少し落ち着いていただけますか?何があったんですか?」

遥香は静かに問い返した。


「アルトロン株式会社との契約書。あの内容、君が提供したんだろ?」

「ええ、私がチェックして、問題がないことを確認してから、営業部に渡しました」

「嘘つけっ!」


神崎蓮が机をバンと叩いた。


「この契約、十数億の案件だったんだぞ!?俺たちのチーム、半年もかけて準備してきたんだ!なのに――これを見てみろ!」


彼は一束の書類を遥香の前に叩きつけた。

赤いペンでぐるぐるとマークされた箇所。


全部で6ヶ所。


しかも――2つは小数点の位置がズレていた。


遥香は静かに書類をめくり、目を通した。

そして、きっぱりと言った。


「……私の手を離れた時点で、こんなんじゃなかったわ」

「つまり、俺たち営業部が“わざと”改ざんしたって言いたいのか!?」


そう言って、神崎蓮は再び机を叩く。



「何の騒ぎだ」

低く響いた声とともに、霜月修介が執務室から現れた。


「社長!」

神崎蓮はすぐに駆け寄り、状況を説明し始めた。


その横では、白石紗月が目を丸くして見守っていた。

「……神崎部長、遥香さん、最近ちょっと大変そうだったんです。家のことで、精神的に……

だから、きっとそのせいでミスが…!

ひとつ失敗しても、次があります!あんまり怒ったら……体に毒ですよ?」


可愛く心配するように見せかけて――

紗月の目は、遥香を刺すように見ていた。


遥香は、無言で彼女を見返した。

さっきの忠告――まるで聞いてなかったらしい。


「……白石さん。根拠も証拠もなく、他人を犯人に仕立てる気?」


その声には、冷たい鋼の刃のような鋭さがあった。


「ま、待って!遥香さん、ちがっ……!私は助けようと思って……!

霜月さま、信じて!私は、ただ……!」


霜月修介の目が、じっと遥香に向けられる。

その視線は、これまでのものとは違っていた。


五年間、“小動物”のように従順だったはずの女。


――今、その仮面を剥ぎ捨てて、“牙”をむいた。


これが――

本当の真野遥香なのか。


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