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第6話 堕落?


「ごめんなさい、私、まだ用事があるの。また今度、そのおとぎ話の続きを聞かせて」


真野遥香は、それ以上相手にせず、くるりと踵を返して立ち去った。


「ちょ、待ってよ!君の名前、まだ聞いてない!」

ハーフの青年が慌てて追いかけようとした、ちょうどそのとき――


背後から数人の屈強な男たちが走ってきた。

その顔を見た瞬間、青年は思わず「げっ」と声を漏らす。


「坊ちゃま!パーティーはもう始まってます!旦那様も奥様も、必死で探しておられます!」


「ちょっとだけ……探したい人が――」


彼が言いかけた瞬間、ボディガードたちは無言で目配せし、彼を無理やり抱えて連れて行った。



遥香は、すらりとした長身で、痩せてはいるが、女性らしいラインはしっかりある。

雪のように白い肌が、クルーズ船のライトに照らされて、発光しているかのようだった。


何もしなくても、ただそこに立っているだけで――

十分に人目を惹いた。



「ねえ、あの子、誰?見たことないけど」


「芸能界の子じゃない?最近出てきた新人とか。ああいうタイプは、財閥の男を狙って潜り込むのよね〜」


「ほら、見て。あの男たちの目……」


「逆に本人もそれ狙いだったりして?」



口元を手で隠して笑い合う、名家のご令嬢たち。

軽蔑と悪意が、笑みの奥に透けて見える。


遥香は近くを通った給仕のトレイから、シャンパンを一杯取り、周囲の視線を完全に無視した。


――今は、羽賀正一を探すことだけに集中する。


彼女のそんな姿勢が、周囲にさらに「金狙いの女」という印象を強めていた。



今夜のパーティーは、世界的な高級ジュエリーブランドの御曹司の20歳の誕生日会。

政財界、芸能界――日本のあらゆる大物が招待されていた。


赤城雅人は、両親が海外でのトラブル対応中で不在だったため、仕方なく彼が代わりに参加していた。


「修介、お前、今までこういう場に真野秘書なんて連れてこなかったよな」


赤城雅人はソファにふんぞり返りながら、視線を会場の白石紗月に向けた。 

「確かに詩織に似てるけど……性格は、真野秘書とは雲泥の差って感じ」


霜月修介は、白石紗月を見ることもなく、グラスを傾けていた。


「最近よく遥香の話するな。……まさか気になってる?」


「……譲ってくれる?」

赤城雅人は目を輝かせながら尋ねる。


霜月修介はゆっくりと視線を向け、冷たい声で答えた。

「試してみろ」


「……降参、降参!」

雅人は両手を上げて白旗を振った。


修介は昔からそうだった。

自分のものは、飽きようが壊れようが、決して他人には渡さない。


――女も、例外ではないらしい。


「霜月さま!」


そのとき、白石紗月が慌てた様子で駆け寄ってきた。


雅人は、修介の眉間にうっすらと浮かぶ“嫌悪”の影を、見逃さなかった。


「真野遥香が……っ、あそこにいます!」

紗月は焦ったように言った。


修介の目が、ようやく彼女に向く。

「……なぜ、ここに?」



甲板の上。

霜月修介、白石紗月、赤城雅人の三人が、遠くの人混みを見下ろしていた。


遥香は、あまりにも目立っていた。

探すまでもなく、ひと目で見つかった。


そのとき――

腹の出た中年男が、彼女の前に名刺を差し出している。


彼女は、笑顔を崩さず、何かを返しているようだった。


「……遥香さん、金持ち狙いで来たって噂もあるんです」

白石紗月は、あくまでも“心配しているフリ”をして、言葉を重ねた。


「霜月さまが彼女を捨てたってのに……今すぐ別の男を探すなんて、あんまりですよね!」


「いやいや、それはちょっと違うでしょ?」

雅人はグラスを揺らしながら笑った。


「修介が紗月ちゃん選んだなら、真野さんだって次を探す権利あるんじゃない?」

その優しげな物言いに、紗月はなぜか、冷や汗が浮いた。


「……私はただ、霜月さまが可哀想と思って…」

そう言って、彼の腕に触れようとするが――

修介は、さりげなく身体をずらして避けた。


「他のことは気にしないで、君は楽しんで行ければいい」


「……はい」

紗月は引きつった笑顔で頷いた。


去り際、彼女はもう一度、遥香を睨みつけた。

会社の写真では冴えない女だったくせに――

今日の彼女は、まるで別人。


セクシーで華やかで、男たちの視線を独り占めにしていた。

紗月ははっきりと理解していた。セクシーさの前では、自分の可愛らしさなんて全く通用しないことを。


(でも、霜月さまは濃いメイクの女が一番嫌い)


そう思って、安心しながら彼女は踵を返した。


が――

突然、何かを思いついた紗月は、目を輝かせて階段を下りていった。


ちょうどその時、霜月修介と赤城雅人は真野遥香が名刺を受け取り、それを小さなハンドバッグにしまうのを目撃した


太った中年男は満足そうに去っていった。

遠くから見ていた霜月修介は気づかなかったが、真野遥香は軽く息をつき、周囲を見渡した。


赤城雅人は、にやりと笑う。

「いやはや、修介――あの美人、今までよく飼い殺しにしてたな」


以前の真野遥香も美しかったが、赤城雅人は彼女を面白味に欠け、冷淡だと思っていた。

まるで感情のないロボットのようだった。


霜月修介がどんなに無理をしても、彼女は怒ることもなかった。


赤城雅人はある冬の真野遥香のエピソードを覚えている。

ある年、白川詩織の誕生日に、霜月修介はなぜかどうしてもある店のケーキを食べたくなった。

しかし、その店はすでに営業を終えていた。


遥香が何を思ったのか、夜中の三時か四時に、彼が食べたいケーキを手に入れた。

帰ると、修介はもうケーキに興味がなく、逆にケーキを邪魔だと言って、あっさりと捨てた。


その時、雅人はちょうど修介の家にいた。

遥香は、雪水で髪がびしょ濡れになり、細い体が震え、手は真っ白になっていた。


赤城雅人から見ていても、修介があまりにもひどいと思った。


それでも…

遥香は怒ることなく、むしろ不満の表情も見せず、ケーキのゴミ袋を片付けて、また修介の家を出て帰っていった。


こういった出来事は少なくなかった。


そして今、まるで人間離れした美しさを持つ遥香を見ると。

雅人は、事態が面白くなってきたと感じた。


「……堕落だ」

霜月修介は、冷たくそう吐き捨てた。


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