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第7話 招待状を拝見できますか?

赤城雅人は、意味ありげにニヤリと笑った。

口では強がってるけど――あれは、相当イラついてるな?


けれど……本当に真野遥香は玉の輿狙いなのか?


彼は彼女の動きをじっと見つめた。

遥香は人混みを迷いなく進んでいく。まるで、向かう先が最初から決まっているかのように。


その視線の先――

甲板の奥で、クラシック楽団が優雅に演奏していた。


「ねえ、あれって……アルトロン株式会社の羽賀会長じゃね?」


雅人が顎で示した方向を、霜月修介が一瞥。


――ああ、そういうことか。


赤城雅人は、ハッと目を見開いた。

「ちょっと待って!前に“このパーティーは行かない”って言ってたよね!?

……もしかして、羽賀会長が来るって、最初から知ってた?

それで、真野秘書の持ってる案件を――」


彼の言葉に、霜月修介の視線が冷たく突き刺さる。

その目は、氷のようだった。


「……使い捨てられた代用品に、そんな価値があると思うか?」


雅人は、思わず口をつぐんだ。


修介は続ける。

「俺が来たのは……紗月が来たいって言ったからだ」


雅人は気まずそうに笑う。


寡黙な男ほど、余計なことを口にすると、誤魔化し方が下手になるらしい。


その表情の端に、苛立ちと焦りが滲んでいた。



まさか――羽賀正一を見つけるのは簡単でも、近づくのがこんなに難しいとは。


遥香は、羽賀に数歩の距離まで接近したが、すぐに保護係に制止された。


「申し訳ありませんが、こちらには立ち入りをご遠慮いただいております」


「羽賀会長にお会いしたくて。少しだけ……」


「ご用があれば、会長の秘書にアポイントをお取りください。本日はプライベートのご予定のみとなっております」


「……そうですか」


そのやり取りの最中、羽賀本人が顔を上げた。


そして――


彼の眉間に、嫌悪の色がくっきりと浮かぶ。


遥香は知っていた。


羽賀正一。技術畑の出身で、公私共に誠実な人物。

二年前に最愛の妻を亡くし、深い悲しみに沈んでいた。


女遊びとは無縁で、むしろそういう関係を嫌っていた。


――彼女のような“派手な見た目”の女性は、あからさまに警戒されるタイプ。


羽賀は何かを側近たちに囁き、踵を返して会場へ向かった。


その途中、遥香の耳に彼のひと言が届いた。


「……あのハープ、美しい造りだな。演奏者もいないなんて、展示だけじゃもったいない」


――ハープ?


遥香の視線が、音楽ステージに据えられた金色のハープに留まった。


……これは、偶然?


遥香の祖母は、かつて名高いハーピストだった。

彼女は幼い頃から祖母に師事し、今でも帰省のたびに祖母の前で弾いていた。


プロには及ばないけれど、感情を乗せることだけは誰にも負けない――


羽賀たちが離れると、保護係は撤退。

遥香は静かにハープの前へ歩み寄った。


深呼吸を一つ。

白くしなやかな指先が、そっと弦に触れる。


――澄んだ音色が、夜の空間を包み込む。


羽賀は歩みを止め、驚いたように振り返った。


長い髪が肩に落ち、伏せられた睫毛の下で、遥香の指が譜面を辿るように音を紡ぐ。

その音には、思いが込められていた。


会場のあちこちで、人々が立ち止まり、音に引き寄せられていく。


羽賀もまた、無言でステージへと戻ってきた。


――さっきまで彼女に嫌悪感すら抱いていたのに、

今目の前にいる彼女は、どこか“あの頃の妻”と重なって見えた。


その光景は、赤城雅人も霜月修介も、しっかりと見届けていた。


「真野秘書って……ハープなんて弾けたのか?」


霜月修介は、何も答えなかった。

自分ですら知らなかった。

――五年も一緒にいたのに。


優しい光に包まれた彼女は、まるで神聖な存在だった。


どこか遠くて、手が届かない。


――この五年間、俺は何を見ていたんだ。


心の底に、黒いものが渦巻く。

騙されていた。五年間も――!



ちょうどその頃、あのハーフの青年・杉原俊也も、親に引っ張られて元の席へ戻されていた。


今日は彼の誕生日だった。

本来なら、アイスランドでバカンスの予定が、家族の都合でこのパーティーに参加させられた。


うんざりしていたそのとき――

背後から音楽が響いた。


反射的に振り返った彼の目が、ぱっと輝く。


……曲が終わる。

遥香は安堵の息をつき、優雅に礼をした。


視線の端に、羽賀が歩み寄ってくるのが見えた。


その瞬間――


「そちらの方、ご招待状を確認させていただけますか」


船のスタッフが、険しい顔で近寄ってきた。


人々の視線が集まる中――白石紗月が人混みの向こうで、にやついていた。


(調子乗ってんじゃないわよ……。今こそ、晒してやる)


――「無招待の金狙い女」って。


遥香は、頭が痛くなった。

こんなにタイミング悪いなんて……


……普通、こういうパーティーで招待状なんてチェックする?


彼女の視線が、前へ割り込んでくる紗月にぶつかる。

その得意げな顔に、ほとんど「私がやったのよ」と書かれていた。


――これで霜月修介にでも見られたら……


周囲の誰かが、わざとらしく声を上げる。



「うっわ、マジで?招待状も持たずに来たの?」


「タダで金持ちと繋がろうって?なめすぎでしょ」


「最初っから怪しいと思ってた。絶対、忍び込みだって!」


「セキュリティ大丈夫かよ……こんなのが紛れ込んでさ」



「……ご招待状をお願いします」

スタッフが一歩前へ。

その声には、すでに怒気すら含まれていた。


紗月は大満足の表情でその様子を見ていたが――

ふと、何かに気づいて振り返る。


霜月修介が、いない。


――どこ行ったの……?


視線を探せば、彼と赤城雅人が、階段を下りてくるのが見えた。


その顔を見た瞬間、直感が叫んだ。


――修介様は……遥香を助けに来たんだ!


「……すみません」

遥香が困ったように口を開きかけた、ちょうどそのとき。


人混みの向こうから、落ち着いた男性の声が響いた。


「彼女に、招待状は必要ありません」


ざわめく会場が、ぱっと静まり返る。


皆の視線が、一斉にその声の主へと注がれた。

遥香もまた、驚いて振り向く。


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