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第14話 裏切り者


十数分後。


神崎は電話を切ると、取り囲んでいた部下たちを見回した。


「ウソでしょ?あいつが本当に……?」

水原が口を開いた。


今回のアルトロン株式会社の件、彼女がやっとの思いで繋げられたのは副社長まで。

それに対して――


真野遥香は、社長の愛人という噂の“飾り”にすぎない存在。

まさかあの羽賀会長に、直接会っていたなんて……ありえない。


神崎は、困惑しながらも首を横に振った。

「いや……アルトロンが提案を受け入れたって、先方から正式に連絡があった」


一瞬、静まり返る営業一課。


……が、次の瞬間には一同、歓声と笑い声が爆発する!


「待って、それっておかしくない?」

水原が喜びの渦を断ち切るように口を挟む。


「真野遥香って、外部と通じてうちのデータに手を出したんじゃなかった?ならどうしてわざわざ案件を取り返すのよ?」


「そりゃおまえ、社長に警察送りにされるのが怖くなったからだろ」

神崎の助手である岸田崇が鼻で笑った。


「今や彼女、社長に捨てられた身だぜ。後ろ盾もないなら、問題なんて起こせないだろうよ」


「……言われてみれば」

水原は納得したように頷いた。


「部長、これからどうします?」

岸田が杉原に尋ねる。「彼女、今も会議室で待ってますけど」


失ったと思っていた大型案件が戻ってきた――


神崎の顔は緩みっぱなしだった。


「たぶん、俺に謝ってほしいんだろうな」

うきうきした様子で言う。


「ちょっと待ってくださいよ!あのデータ漏洩、彼女の仕業じゃないですか!」

岸田が鋭い口調で反論。


「そうよ、部長。謝る必要なんてないですって!」

水原も怒りを露わにする。


営業一課は、社内でも特に結束の強いチーム。

仲間を外部から責められるのを何よりも嫌う。


そうして、全員が神崎を先頭に会議室へと向かった。



「確認とれた?」

遥香はスマホを見ながら、顔を上げずに言った。


神崎は頷いた。

「……真野さん、これで少しは汚名返上ってところでしょうか」


遥香の指が止まり、ゆっくりと彼を見た。


「汚名……? 私、何か悪いことしました?」


「データの件、シラを切るつもりか!」

岸田が声を荒げる。


他のメンバーも続いて、彼女を責め立てた。


だが――

遥香は笑みを浮かべたままだった。


「皆さん、本当に仲がいいのね」


「営業一課は一心同体よ!」

水原は腕を組み、胸を張った。


「じゃあ、座ってちょうだい」

遥香がテーブルを軽く叩いた。「提案書に、いくつか修正を入れてあるの。説明するわ」


「ちょっと待ってよ!あたしたちの案を勝手に修正したってわけ!?」

水原が噛みつくように言う。


あの提案は、彼女を中心に半年かけて仕上げたものだ。

それを――無断で?


「でもね、その“修正案”で、羽賀会長は首を縦に振ったのよ」

遥香はやわらかく微笑みながらも、言葉には重みがあった。


水原は言葉を失う。


「みんなの結束力は素晴らしいわ。でも、ここは会社。

会社にとって何が一番大事か、言うまでもないわよね?


午後三時まで、あと四時間。ずっと対立するつもり?」


「……」

やがて、全員が渋々ながら席に着く。


遥香は無駄なく、資料を開き、修正点の説明を始めた。


最初こそ誰もが反発気味だったが――

気づけば、東大や一橋大卒のエリートたちが、真剣な顔でノートを取り始めていた。


途中、疑問点があれば、手を挙げて質問するほどに。


さらに――


遥香があらかじめ手配していたサンドイッチとコーヒーが届くも、休憩時間はなし。

皆、片手で食べながら、真剣に議論を続けた。


午後1時、ミーティング終了。


「そろそろ時間ね。杉原部長、ご出発の準備を」

遥香はノートパソコンを閉じ、立ち上がる。


「えっ、真野さんも一緒に来るの?」

岸田が驚いたように言った。


「もちろんよ」

遥香が視線を向ける。


その美しさ、特に目の印象が強すぎて、岸田は思わず背筋が凍った。


「でも彼女は……その、立場的に……」

岸田がしどろもどろに言いかけた瞬間。


「データの問題は、営業一課の内部から起きたことよ」

遥香は冷静に、だが断言するように遮った。


「私が同行しない理由なんて、どこにもないわ」


あまりにもストレートな物言いに、誰もが黙る。


「ふざけんなよ、証拠でもあるのかよ!」

岸田が怒鳴った。


……が、その場で異論を挟んだのは、神崎だった。

彼は遥香の説明を通じて、考えを改め始めていた。


かつては、社長の愛人だから――と色眼鏡で見ていたが、

遥香の入れた修正はどれも細やかで、しかし確実に提案書の完成度を高めていた。


「羽賀会長を納得させたのはさんなんだ。契約締結の場に彼女がいるのは、当然だろう」


「部長……まさか、うちの誰かが“内通者”だって、信じるんですか?」

水原が驚いたように問いかける。


遥香はその会話にもう興味を示さなかった。


「15分後、地下駐車場で集合」

彼女は背を向けたまま会議室を出た。


……その後ろ姿は、どこまでもクールだった。



オフィスに自分の席を失った遥香は、その足でコンビニへ。

水を一本買い、バッグから薬ケースを取り出す。


中には、きっちり分けられた葉酸や妊婦用のビタミン、カルシウムのサプリメント。


一気に口に入れ、水で流し込んだ。


最近、胃が受けつけなくなっている。


今日の昼のサンドイッチだって、好物のはずなのに、

鮭の匂いに吐き気がして、まったく食べられなかった。


「真野さん?」


振り返ると、森田司と何人かの同僚たちが立っていた。


薬ケースを仕舞いながら、遥香は微笑んだ。


「体調悪いんですか? 薬なんて……」

森田が心配そうに尋ねる。


「貧血気味で。医者に勧められて、ビタミンと鉄分を飲んでるだけです」


「そうなんですね…。って聞いてくださいよ!白石秘書ってば、もう本当にポンコツで……」

女性スタッフの一人が、疲れ切った顔で愚痴をこぼす。


「慣れてないだけよ。きっとそのうち落ち着くわ」

遥香が優しく宥めた。


「まあ、それはそれとして!聞いたよ、真野さん!

一部の案件、奪還したんですって!?」


「今からアルトロンに向かうところです」

遥香が頷くと、彼らの目がさらに輝く。


「さすが真野さん!」

森田が親指を立てる。


少し話して、遥香は店を後にする。


レジ前で、彼らの買った品の分をざっと見て、

3,000円札を出して、まとめて精算しておいた。


彼らにはずっと優しくしてもらっていた。


社長との関係で退職の話が出たときも、

それを理由に、彼らに多くの迷惑をかけてしまった。


せめてものお礼のつもりだった。


後でレジで支払い済みだと知った森田たちは、また「遥香ロスだ〜!」と泣き崩れていたという。



会社に戻ったときも、彼女たちは遥香の話で持ちきりだった。


「真野さんってさ、苦いもの苦手だったよね。あんなにお薬を飲むなんて、つらいだろうな……」

「飴、買ってきてあげようかな」


――その会話を、ちょうど霜月修介が耳にする。


彼が出てきたタイミングだった。


「……社長」

森田が慌てて直立する。


他のメンバーも、背筋を伸ばして頭を下げた。

「社長――」



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