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紅竜と空を駆ける特攻兵(仮)
紅竜と空を駆ける特攻兵(仮)
MKT
異世界ファンタジー冒険・バトル
2025年06月10日
公開日
5.5万字
連載中
太平洋戦争、知覧から若干17歳の神崎悟(かんざきさとる)は特攻機(疾風)に登場し、南方の海へ。 米艦の弾幕を避け空母へ突撃する。 気付くと見知らぬ森の中、眼前には山のような巨大な老竜。 「生きることの意味を考えろ」とこの世界に呼び寄せられた。 老竜が大樹と同化して消えると、幼い竜が誕生した。 名を「アカネ」と命名し、共にこの世界で生きていくことになる。

第1話 死の空、命の風

 昭和二十年、南方の海は、陽炎のようにゆらめいていた。

空を裂いて突き進むのは、一機の四式戦闘機キ84、通称「疾風(はやて)」。そのコックピットに座るのは、17歳の少年、神崎 悟だった。


 エンジン音が耳を震わせる。風圧で揺れる機体。眼下に広がるのは、米軍の艦隊。白く波を割って進む空母や駆逐艦。

彼らこそが、祖国を蹂躙し、仲間を殺し、そして母の暮らす街を焼いた“鬼畜”たち。

 怒りではない。怖れでもない。悟の胸にあるのは、ただひとつの覚悟だった。


「……これで、いい」


 ポケットには、母に宛てた手紙がある。


《本日、私は憎っくき米艦に特攻します。

 その際は良くやったとあなたの息子を褒めてやってください。

 日本のため、天皇陛下のため、そしてお母さんのために、私は行きます。

 出来るなら一目お会いしとうございました。》


 思いを込めて綴った文は、かすかな未練と祈りだった。

 母に、せめて無事を願っていてほしい。いや、それすら甘えなのかもしれない。

 仲間が次々と散っていく中、自分だけが「恐い」などと思ってはならないのだ。そう教えられてきた。


 悟は操縦桿を握りしめる。

 突入角を調整し、弾幕をすり抜ける。その先に見える空母の甲板。

 全身が熱を帯び、鼓動が速くなる。


「天皇陛下、万歳――!」


 叫んだ。瞬間、機体が爆音と共に閃光に包まれる。

視界が白に染まる。機体が軋み、破裂する。空気が押し寄せる。

 死の瞬間。

 だが……意識は、そこで断ち切られなかった。


***


 ……風の音がする。

 それはエンジンの轟音ではなく、木々を揺らす穏やかな風音だった。


「……ん、ぐ……っ」


 どこか、湿り気のある土の匂いが鼻を突いた。

 悟はゆっくりと目を開ける。視界を覆うのは、木々の葉。薄暗く、深い森。

 南の空のはずが、ここは……?


「……敵地か……? 捕まったのか……?」


 反射的に身を起こす。周囲に米兵の姿はない。機体もない。傷もない。

 夢か? 生きてるのか? 幻覚か?


 その時……


 地響きのような重低音と共に、彼の視界を覆い尽くす影が、前方に現れた。


「……っ!?」


 それは、山のように巨大な生物だった。

 黒々とした鱗、しなやかに波打つ尾、そして、何より、悟を見下ろす双眸。

 金色に輝く瞳は、まるで人のように感情を湛え、静かに彼を見つめていた。


「……敵の……新兵器……か……?」


 言葉が震える。恐怖が、喉をつかむ。

 拳銃を探そうとするが、腰には何もない。


 その時、不意に、声が響いた。


 いや、“声”ではない。頭の中に、直接、流れ込んでくるような感覚。


「お主の最後の気持ち、このまま死なすには惜しい気がした。

元の世界には戻せぬが、ここでもう一度“生きる”という意味を考えてみるが良い」


「……誰、だ……!?」


「我は、世界の空を見守るもの。お主の魂に、かすかなる光を見た」


 その“声”に導かれるように、悟の意識はふわりと浮かび上がっていく。

 肉体が持ち上がったのではない。感覚が、空へ。


 気がつけば、自分はその巨大な生き物の背にいた。

 その巨体が翼を広げ、地を蹴る。次の瞬間、空が開け、風が駆け抜けた。


 地上は遠ざかり、眼下に広がるのは虹色の木々の森、空に浮かぶ島、奇妙な建造物……。


「……なんだ、ここは……? 本当に、生きてるのか……?」


“それ”は答えない。だが、確かにこの風は、本物だった。


 悟の「死」は、終わっていなかった。

 ここから、彼の「生」が始まろうとしていた。


 冷たい風が頬を撫で、眼下の世界が遠ざかっていく。だがこれは、特攻機「疾風」による飛行ではなかった。

 竜の背の上。生温かく、かすかに震える鱗の感触が、悟の掌を通して伝わってくる。


「まさか……生きている……いや、生かされたのか……?」


 何がどうなっているのか、理解は追いつかない。

 だが、今確かに、この巨大な竜が自分を空へと運んでいる。

 それは夢ではない。皮膚に感じる空気、視界を流れる雲の速さ、どれもが現実だ。


 やがて、森の中心、まるで山のようにそびえる一本の巨木が見えてきた。

 その樹は他とは明らかに異質で、幹から発光する脈動が走り、まるで生きて呼吸しているように見える。


《ここが我が終の地》


 竜の声が、再び悟の心に響く。

 降下と共に重力が身体に戻ってくる。竜は音もなく、巨木の根元へと舞い降りた。


 大地に降り立ったその瞬間、異変が始まった。


「おい、どうした……!?」


 竜の体が、静かに、しかし確実に変化していく。

 黒く硬質な鱗が樹皮と溶け合い、翼が光の粒子となって空中に舞い上がる。

 まるで、この世界そのものに還っていくかのように。


「我はもはや朽ちるのみ。この身は、この大樹と共に、世界の礎とならん。

 だが、ここで終わりではない。お主に、我が分体を託す。

 新生の竜。空と生命を繋ぐ命。……その名を、刻め」


「分体……?」


 悟が言葉を漏らした時、竜の巨体は完全に巨木の根へと吸い込まれ、跡形もなく消えていた。

 直後……閃光。


 樹の根元から溢れ出すように、紅蓮の光が立ち上がる。

 その中から、ひとつの命が、そっと地上に降り立った。


 赤い小竜だった。


 全長一メートルほど。艶のある赤い鱗は、燃えるような生命力を湛えていた。

 二本の小さな角、翼はまだ未成熟で、まるで幼い子供のような佇まい。

 だがその瞳は、確かに、先ほどの老竜と同じ輝きを持っていた。


「お前が……」


 小竜は、悟を見つめたまま、かすかに首を傾げた。


(……はじめまして、ぼくの名前、まだないけど……きみ、誰?)


 悟の頭に、ふわりと幼い声が響く。

 それは音声ではなく、思考に直接入り込んでくる感覚……テレパシーだ。


「俺は……神崎悟。日本の……軍人だった」


(にほん? ぐんじん? なんのこと?)


「……だよな。通じるわけないか」


 苦笑が漏れた。

 異世界、異種族。そもそもこの存在が“何なのか”すら、彼の常識では測れない。

 だが、不思議と、この小さな竜の声には敵意も警戒もない。

 ただ純粋に、自分という存在に興味を持っているような、そんな無垢さがあった。


「……そうだな。じゃあ、お前の名前、つけてやるよ。赤い鱗だし、炎みたいだ……アカネ、ってのはどうだ?」


(アカネ……? アカネ……! うん、いい名前! ありがと、サトル!)


「っ――!」


 思わず胸が熱くなる。

 名前を呼ばれたこと。それだけで、忘れていた何かが呼び覚まされたような気がした。


 しかし、感傷に浸る暇はなかった。


 森の奥から、突然、不穏な空気が吹き込んできた。

 音……否、咆哮が響いた。低く唸るような、獣の叫び。


「……なんだ?」


 一歩、また一歩。森の影から、何かが現れた。


 複数の腕。黒い瘴気を纏い、眼は爛々と赤く光る。

 その姿は、まるで地獄から這い出た悪夢。生物とは呼べぬ、グロテスクな魔物だった。


(サトル、あれ……あぶない! すっごく……にがいにおいがする!)


 アカネが怯えたように、悟の足元に身を寄せる。


 悟は、咄嗟に周囲を見渡した。武器はない。逃げ道もない。


「くそ……!」


 だが、彼の目には、守るべきものが映っていた。

 赤き命。老竜の遺志。生まれたばかりの、新たな“空”の象徴。


「来いよ、化け物。俺は……お前なんかに、負けない」


 かつて「死」を選んだ少年が、今、初めて「守るために生きる」覚悟をした瞬間だった。


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