じいさまが何故篠宮初音に見合い話を持ちかけるんだ!
東雲琢磨は滑稽でありながらも怒りに震えていた。まるで自分の縄張りを荒らされたような、そんな苛立ちが彼を支配する。
彼の潜在意識では、篠宮初音は自分の所有物だった。たとえ彼女のことが好きでなくとも、たとえ別れた今でも、篠宮が他の男の下に行くなんて絶対に許せない。
断じて認めない!
「じいさま、私…」
初音が口を開いたその瞬間、書斎の扉が勢いよく開かれた。怒気を帯びた東雲琢磨が入ってくる。「許さない。じいさま、俺は認めない!」
東雲の老爺は孫の姿を見るなり、ますます腹が立った。杖を床に叩きつけ、怒鳴った。「何が認めないだ!初音ちゃんはもうお前とは何の関係もない。お前にとやかく言う権利などない!」
老爺の言葉は金槌のように琢磨の心臓を直撃し、息も詰まるような痛みを走らせた。
彼の視線は、入室以来一度も自分を見ようとしない初音に向けられた。その無視と冷たさが、さらに彼の心を抉った。「篠宮初音、そんなに寂しさに耐えられないのか?俺から離れた途端、すぐさま他の男に抱かれに行くつもりか?」
「この外道めが!」初音が反応するより早く、老爺の杖が琢磨の背中を打った。「よくもまあそんな畜生同然の言葉が吐けるものだ!お前が初音ちゃんを粗末にするくせに、他の者が大切にするのも許せんというのか!」
老爺は激怒のあまり体が揺らめいたが、初音が即座に支えた。「じいさま、大丈夫ですか?」
「じいさま、ご無事か!?」
琢磨もさすがに心配そうな表情を浮かべた。あの発言をした直後、後悔が押し寄せていたのだ。
あまりの怒りに、つい言葉を選び忘れてしまったのだ。
琢磨が差し出した手を、老爺は露骨に払いのけた。「構うな」
琢磨は呆然と固まった。動けず、言葉も出ない。ただ初音をじっと見つめるばかりだった。
かつて彼がいる場所では、初音の視線は常に彼を追っていた。だが今、彼女は一目すらまともに与えようとしない。
もう本当に愛していないのか?
なぜか、琢磨は初音が自分を愛していないという事実を受け入れられずにいた。
初音は死ぬまで傍にいて、自分を愛し続けると思い込んでいた。それなのに今は去った上に、愛情すら失っている。
あれほど愛していたのに、どうして突然愛さなくなったんだ?
彼は初音に裏切られたと思ったのだ。
琢磨の視線が肌を灼く。初音は不快感でいっぱいだった。彼の存在そのものが彼女を苦しめた。
東雲琢磨とは、もう一切関わりたくない。
「じいさま、お見合いの話ですが…今はそういうことを考える気になれません。用事があるので、また今度お伺いします」
本当は「もう二度と恋愛など考えない」と言いたかった。だが老爺を心配させたり、自分を責めさせたりするのが怖くて、そうは言えなかった。
老爺は初音が琢磨と会いたくないことを悟り、この不孝な孫すら自分も見たくないと思った。「ああ、用事なら行っておいで。暇なときにでも、じいちゃんのところに遊びにおいで」
初音がうなずくと、そのまま書斎を後にした。
初音が去ろうとするのを見て、琢磨は老爺の制止も無視して追いかけた。
「篠宮初音、待て!」
しかし初音は止まるどころか、むしろ足を速めた。まるで琢磨が疫病神でも避けるかのように。
「クソが!」琢磨は舌打ちし、慌てて走った拍子にメイドにぶつかった。
メイドは恐縮して頭を下げる。「ご、ごめんなさい、若様!わざとじゃありません!お怪我は…?」
琢磨は無視し、メイドをよけると外へ飛び出した。
そのわずかな遅れが命取りとなった。外に駆け出した時、初音の車はすでにエンジンをかけていた。琢磨はためらわず自分の車に飛び乗り、追跡を開始する。
バックミラーに執拗に追ってくる車を映し、初音は眉をひそめた。この男が狂人だと、初めて認識した瞬間だった。
琢磨の頭の中にはただ一つの考えしかなかった。絶対に初音を逃がすな、問い詰めろ、必ず問い詰めろと。
彼は憑かれたようにアクセルを踏み込み、追いつくと急ハンドル。車は道路の真ん中に横たわった。
初音は急ブレーキを踏んだが、距離が近すぎた。慣性の法則に従い、車は琢磨の車体に激突した。
ハンドルを握りしめた両手が震える。大事故にはならなかったものの、心臓がバクバク鳴っていた。
あの狂人め!
シートベルトを外し、ドアを開けて降りた。同時に琢磨も車から出てきた。
琢磨が初音に歩み寄る。彼女の瞳に漲る嫌悪感をまともに見た時、得体の知れない不安と慌てふためく気持ちが湧き上がり、言葉を失った。
先に口を開いたのは初音だった。「東雲さん、一体何がお望みですか?まさか、私が去った後、私を愛していると気づいたとか言いませんよね?」
もちろん初音は、琢磨が本当に自分を愛しているとは微塵も思っていない。彼の異常な行動の全ては、単なる未練の表れに過ぎない。
そう言ったのは、琢磨を怒らせ、これ以上絡まれないようにするためだった。
琢磨の自尊心が、自分が初音を愛しているなど認めるわけがない。
一瞬、琢磨は動揺したが、すぐに高慢な態度に戻った。「愛しているだと?ふん、俺の心には白石香澄しかいない」
白石香澄――この七年間、初音は嫌というほど聞かされてきた名前だ。最初は嫉妬し、次第に麻痺し、今では完全に無感覚になった。
もうどうでもいい。まったくどうでもよかったのだ。
琢磨は初音を凝視した。以前、香澄の話を出せば、初音は必ず悲しげな表情を見せた。彼女がそうすればするほど、琢磨はことさらにその話題を振るのが常だった。
だが今、彼女の顔からは悲しみの一片すら見て取れない。ただ平坦で、水のように静かな面持ち。自分が何をしようと、何を言おうと、彼女の心にはもう何の痕跡も刻めないのだと悟らせるかのように。
鈍い痛みが心臓を締め付けた。その感情の正体すら理解しないうちに、初音の声が響いた。「それは結構なことです。だからどうか、これ以上私に誤解されるような真似はおやめください。正直…吐き気がします」
吐き気?初音が俺を汚らわしいと?
琢磨の怒りが爆発した。初音が振り返ってドアノブに手をかけた瞬間、彼はその手首を掴み、怒声を上げた。「篠宮初音、誰がお前にそんな口の利き方を許した?」
琢磨は常に上位に立ち、命令することに慣れている。誰も彼に逆らう者はいなかった。
かつては何でも言うことを聞いていた初音が、今では幾度となく彼に背を向け、我慢の限界を挑発してくる。耐えられないほどだった。
初音の瞳が一瞬光る。琢磨が手首を掴んだその瞬間、彼女は反転し、琢磨の腕を掴むと、背負い投げを決めた。琢磨は地面に叩きつけられた。
「最後に言っておくわ、東雲琢磨。これ以上私を追うなら、本当に容赦しないからね」