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第7話

東雲琢磨は覚えていた。以前なら指の先を少し切っただけでも、篠宮初音は心配でたまらず、彼のために忙しく動き回ったものだ。


彼女は細やかに彼の生活を気遣い、食事や身の回りの世話をしてくれた。彼を安心させ、快適にしてくれる。


残業で食事を忘れた時は、胃を痛めないようにと自ら弁当を届けに来た。


たった一本の電話で、何をしていようと彼女はすぐに手を止めて駆けつけた。彼が不機嫌になるのを恐れて。


そんな小さな出来事が、数えきれないほどあった。


かつては取るに足らないと思っていたそんな細かい思い出が、今や一つ一つ、鮮明に彼の脳裏に浮かんでくる。


鼻で笑いながらも、彼は当たり前のように彼女の愛情を浪費していた。


彼女は彼の痛みを恐れ、悲しみを恐れ、無条件に彼を受け入れていた。


しかし今、彼女は彼を容赦なく地面に叩きつけ、彼の痛みも不満も顧みず、毅然として車に乗り、去っていった。


東雲琢磨は胸にぽっかり穴が空いたような気がした。何かをつかもうとしても、何も掴めない。


いつの間にか、あることは完全に彼の手の届かないところへ行ってしまったのだ。


なぜこうなった?


篠宮初音、お前は俺に狂ったように恋していて、俺のために死ねるんじゃなかったのか?


……


篠宮初音は保険会社を呼ばず、直接ディーラーに修理を依頼した。


納車から半日も経たずにこんな状態。悔しくないわけがなかった。


ボンネットはほぼ変形しており、修理には少なくとも三日はかかるという。


「篠宮様、修理が完了しましたらご連絡いたします」

「はい、ありがとう」


篠宮初音は販売店を出て、道端でタクシーを待った。


この時間帯のこの場所では、タクシーを拾うのは難しい。


歩いて帰ろうかと思ったその時、まるで彼女のために用意されたかのように、一台のタクシーが彼女の横に止まった。


篠宮初音はタクシーに乗り込んだ。全く気づかなかったが、一台のブガッティ・ヴェイロンが静かにその後を追っていた。


高級車の男は運転手に追跡を命じ、篠宮初音がタクシーを降り、姿が完全に視界から消えるのを見届けてから、ようやく車を離れさせた。


家に着いたのは午後一時。篠宮初音は少し疲れており、料理をする気になれなかった。カップ麺を用意し、ウインナーを一本入れた。


低いテーブルの前に胡坐をかき、カップ麺を食べていると、携帯がチーンと鳴った。LINEで振り込みがあった。東雲琢磨からで、金額は十万円。


『車の修理代だ』


篠宮初音は眉をひそめた。東雲琢磨が一体何をしたいのか、全く理解できなかった。


彼は彼女を嫌悪していたはずなのに、今になって彼女がようやく解放してやったというのに、逆に絡んでくる。


しかし東雲琢磨が何をしようと、彼女はもう彼とは関わりたくなかった。


篠宮初音は躊躇なく東雲琢磨をブロックした。


一方、東雲琢磨はスマホの画面をじっと見つめていた。十万円の振り込みは、ずっと受領されないままだ。


篠宮初音に何か伝えたいが、何度も拒否され、プライドが邪魔をしていた。これが精一杯の方法だった。


時間が過ぎても振り込みは受け取られず、返事もない。東雲琢磨は次第にイライラしてきた。


『早く受け取れ!借りは残したくないんだ!』

『申し訳ありません。相手が友達登録されていません』


くそっ!篠宮初音がブロックしただと!?


東雲琢磨はソファから飛び起きた。炎を宿した瞳には怒りがむき出しだった。


篠宮初音が彼のすべての連絡手段をブロックした。


よくもそんなことができる。どうしてそんな仕打ちができる!?


東雲琢磨は苛立ち、酒を一杯また一杯とあおった。


篠宮初音と離婚して以来、彼の仕事も生活も全てがめちゃくちゃになった。


祖父はこの件で、従弟の東雲明海に彼の職務を代行させ、彼の生活は完全に混乱した。


アルコールで東雲琢磨の意識は次第にぼんやりし、胃が締め付けられるように痛んだ。


ソファで丸くなり、指で胃を押さえ、脂汗をかいた。


「篠宮初音…痛いよ、すごく痛い…」

しかしもう、彼の痛みを気にかける者などいなかった。


夕日の残光が大きな窓から差し込んでいた。


東雲琢磨はけたたましい呼び出し音で目を覚ました。


二日酔いで胃の痛みに加え、頭もガンガン痛む。


テーブルの上のスマホを取り、耳に当てる。彼が口を開くより先に、長谷川の興奮した声が聞こえた。


「東雲さん、香澄さんが帰国しますよ!あと二時間で到着です。すぐに迎えに行ってください!」

「いや、飲んだし体調も悪い。君が迎えに行ってくれ」


あまりに淡々とした返事に、長谷川は驚きを隠せなかった。


東雲琢磨が白石香澄をどれほど想っていたか、彼以上に知る者はいない。


香澄からの一本の電話で、東雲は何をしていようとすぐに会いに行った。


二日酔いの不調などものともせず、死にそうな時ですら、文句ひとつ言わず駆けつけたものだ。


なのに今、東雲は酒を飲んで体調不良を理由に迎えを断った。


長谷川は一時、幻聴かと思った。


「東雲さん?香澄さんの帰国と迎えの話、聞こえましたか?」

東雲琢磨は急に起き上がり、左手で疼くこめかみを揉んだ。「はっきり聞こえた。用がなければ切る」

長谷川がまだ何か言おうとした時、電話は切れた。


長谷川は呆然とし、しばらく反応できなかった。


香澄は東雲さんの白月光であり、胸のほくろではなかったのか?


なぜ香澄の帰国に、東雲はこんなに冷淡なのか?


もう香澄さんへの想いは冷めたのか?三年も会ってないしな。それともわざと突き放しているのか?

そうに違いない!


東雲琢磨は呆然とソファに座っていた。白石香澄のことを思い出すのは久しぶりだった。


篠宮初音と離婚して以来、彼女のことを一度も考えたことがない。


長谷川が言わなければ、彼女の存在すら忘れかけていたかもしれない。


高校時代から白石香澄に想いを寄せていた。美しく、優雅で、神聖で犯しがたい存在だった。


彼女を追い続けた年月。篠宮初音と強制的に結婚させられ、白石香澄が決然と海外へ去るまで、彼の追いは続いた。


全てを捨てて彼女を追いかけようとしたこともあったが、現実には勝てなかった。


今、白石香澄は帰国し、彼も篠宮初音と離婚した。再び彼女を追う資格ができた。


喜ぶはずだったのに、今は全く嬉しくない。まるで白石香澄は彼にとってどうでもいい人間のようだった。


突然目を閉じ、白石香澄の姿を思い出そうとした。しかし彼女の姿は頭の中でぼんやりしているのに、篠宮初音の姿は鮮明に、そしてますますはっきりと浮かんでくるのだった……

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