東雲琢磨はわからなかった。篠宮初音の口からどんな答えを引き出したいのか。認める言葉か、否定か、それともあの一言をもう一度聞きたかったのか——「東雲琢磨、私が好きなのはあなただけ……」
篠宮初音がまつ毛を上げ、琢磨を見つめた。漆黒の瞳に温もりは微塵もない。「寂しさに負けたかどうか、明海と寝たかどうかなんて、東雲さんには関係ないわ。忘れたの?私たち、もう離婚したんですから」
初音が直接否定しなかったことが、琢磨には婉曲な肯定に映った。
よくもまあ、そんな真似ができるものだ。どうして俺にそんな仕打ちができる!
「篠宮初音……よくも明海と寝るなんてことを!よくも……よくも俺を裏切るなんて!」怒りに理性を失った琢磨は、初音の頬を鷲掴みにし、その唇を奪おうと身を乗り出した。
初音は迷わず膝を上げ、琢磨の急所を蹴り上げる。
「ぐっ……!」苦悶の呻きとともに琢磨は初音を離し、股間を押さえながら脂汗をにじませた。
初音はまたも彼を傷つけた。体だけでなく、心までもが引き裂かれる痛みだった。
心の痛みこそが、最も致命的だと悟った。
白石香澄が去った時でさえ味わわなかったこの痛み。しかしこれは、まだ始まりに過ぎなかった……
振り返らずに去ろうとする初音の背中に、琢磨は本能的に手を伸ばした。しかし掴めたのは虚しい空気だけだった。「初音……行くな……痛い……すごく痛い……」
初音の足は止まらない。その歩みは断固として、決然としていた。
昔、琢磨が少しでも傷つくことを恐れていた篠宮初音はもう死んだ。もはや誰も、東雲琢磨が傷つくかどうかなんて気にかけない。痛がっているかどうかなんて、どうでもいいのだ。
「初音……痛いんだ……聞こえてるか?すごく痛い……行くな……お願いだ……」
角を曲がり、初音の姿は完全に琢磨の視界から消えた。
琢磨はうつむき、拳をぎゅっと握りしめた。震える体は、痛みのせいか、それとも悲しみのせいか。
その時、琢磨は悟った。自分の中に篠宮初音への強烈な所有欲が渦巻いているのだ。他人と一緒になること、誰かに触れられること、ましてや奪われることなど、絶対に許せない。
ただ、彼にはわからなかった。この所有欲は慣れや依存からくるものなのか、それとも——
愛なのか?
長い廊下に重い足音が近づき、やがてピカピカの革靴が琢磨の視界に入った。
東雲明海は片手をスラックスのポケットに突っ込み、琢磨の虚ろな瞳を嘲笑うように見下ろした。「従兄、初音がどれほど優れた女性か理解しているのか?どれだけの男が命さえ捧げたいと思っているか」
一呼吸置き、彼の目は冷たい輝きを増した。「なのに初音の心は全て君に向けられていた。君はその価値を理解しなかった。ならば、これからは俺が初音を守り、大切にする。東雲琢磨、お前はもう退場だ。二度とチャンスはない」
篠宮初音が離婚を切り出した瞬間、琢磨はすでに負けていた。
明海の言葉に琢磨は怒りを覚えたが、それ以上に押し寄せたのは、底知れぬ動揺だった。
拳を振りかざして明海に殴りかかろうとしたが、その手首は軽々と掴まれた。「従兄、初音も東雲ホールディングスも、やがて全て俺のものだ。お前は何もかも失うことになる」
……
街の灯がともり始め、またしても狂おしい夜が訪れた。
『ラビリンス』バーの人気は相変わらずで、特に篠宮初音が歌い始めてからは、その勢いは頂点に達していた。
客の多くは初音目当て。仮面の下に隠された絶世の美貌を一目見ようと集まる。
百万円を積んで仮面を外すよう要求した男もいたが、彼女は一蹴した。
十万円で一杯の酒を飲むことさえ、無情に拒否された。
妖艶で、高慢で、冷たい——それでも人々はますます彼女に夢中になり、狂気じみた熱狂を見せた。
東雲琢磨は薄暗い隅の席に座り、ステージで輝く初音を自虐的なほど見つめながら、杯を重ねていた。
彼は毎晩ここに通った。しかし臆病者のように暗がりに潜み、初音の前に現れる勇気も、自分の存在を気づかせる度胸もなかった。
ここ数日、長谷川が琢磨の酒に付き合っていた。恋煩いに沈む彼の姿は不可解だった。白石香澄が帰国した今、こんな状況はおかしいはずだ。
「東雲の若旦那、一体どうしたんです?篠宮初音とは離婚したし、香澄さんも帰国した。なのに相変わらず塞ぎ込んでいる」
「離婚」という言葉に、琢磨の心は再び鋭く疼いた。苛立ちが込み上げる。もはやこの二文字を聞くのも耐えられない。
初めて、琢磨は後悔の感情を抱いた。あの時、あんなに簡単に離婚を承諾したことを。
初音の離婚請求は、ただの「逃げるふりをして追いかける」駆け引きで、彼女は結局耐えきれず、泣きながら復縁を懇願するだろう——そう信じていた。その時は仕方なく承諾してやるつもりだった。
ふと気づいた。どれほど篠宮初音を嫌っているように振る舞っても、心の奥底では本当に彼女と別れたくなかったのだと。
現実は、初音が去った。本当に彼のもとを離れ、彼を必要としなくなった。もう二度と彼を必要としないのだと……
琢磨の心が締めつけられ、グラスを掲げると、またしても一気に飲み干した。
そんな琢磨の姿に長谷川は驚きを隠せなかった。まるで深い恋に溺れて抜け出せないかのようだった。白石香澄が海外に去った時でさえ、彼はこんなに落ち込まず、普段通りに生活していた。
今の状況は一体何だ?
長谷川は琢磨のグラスを奪い、ガラスのテーブルに叩きつけた。酒が飛び散った。「若旦那、説明してください。香澄さんは、あなたがすごく冷たいって嘆いています。もう彼女を好きじゃないんですか?それとも、わざとそんな態度を取って気を引こうとしているんですか?」
ここ数日、香澄が何度もデートに誘ったが、琢磨は全て断っていた。
白石香澄を好きだった気持ちは完全に忘れ去り、今や彼の頭を占めるのは篠宮初音だけだった。
「後悔」という文字が、初めて東雲琢磨の辞書に刻まれた。
琢磨はステージの初音を見つめながら、顔を強く撫でた。「もう、彼女のことは好きじゃない」
長谷川は目を見開いた。「若旦那……冗談でしょう?」
「俺が冗談を言っているように見えるか?」
長谷川は言葉を失った。琢磨の表情は、明らかに冗談ではなかった。
東雲琢磨は、本当にもう白石香澄を好きではなかったのだ。
「まさか……篠宮初音と離婚したことを後悔しているんじゃ?」長谷川は一呼吸置いて続けた。「でも無理もない。離婚したら、社長は東雲明海をあなたの代役に据えたんですから。俺だって後悔しますよ。でも篠宮初音はあなたを深く愛していました。少し頭を下げれば、きっと復縁に応じてくれます。そうすれば東雲ホールディングスの社長の椅子も、またあなたのものになる」