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第11話

東雲たくまは口に出すことができなかった。


篠宮初音(しのみやはつね)がもう自分を愛していないという事実を、誰にも知られたくなかった。


まるで黙っていれば、いつの日か初音が戻ってくるような気がしていた。「マネージャー、月曜の夜にね」

ナイトフォールを出た初音は、私服に着替えていた。

正体を隠すため、彼女の車はバーの近くではなく、歩いて二十分ほど離れた駐車場に止めてあった。歩みは速くなかったが、後ろに誰かがついてくるのに気づくと、初音はすぐに足を速めた。


同時に、鞄の中の防身用スタンガンを握りしめた。

こっそりと化粧鏡を取り出し、映った人影は、足取りのふらついた東雲たくまだった。(なぜこんなにしつこく…?)

たくまは初音に気づかれるつもりはなかった。


酒のせいか、あるいは今この瞬間、ただひどく切なくて、彼女に抱いてほしいのかもしれない。


思わず、ついて行ってしまったのだ。人気のない曲がり角に差し掛かったその時、突然、電流が走った!彼の目の前が真っ暗になり、意識は一瞬で途切れた。倒れたたくまを前に、初音はどうすればいいか困った。


このまま置き去りにすれば、危険な目に遭うかもしれない。


かといって、彼を連れて行くのは明らかに不可能だ。幸い、西野(にしの)がたくまの姿が見えないことに気づき、探し回って、倒れている彼を見つけた。

「東雲!しっかりしろ!起きろ!」

西野が激しく揺さぶる。

たくまはうっすらと目を覚ました。


最初の言葉はこうだった。


「初音は…?」

西野は事情がわからず、ただの酔っぱらいの戯言かと思った。


しかし、東雲が篠宮初音を気にかける様子は、もはや「彼女を失えば相続権を失う」という範疇を超えているように、漠然と感じていた。…篠宮初音が家に着いたのは、真夜中だった。

身支度を整え、ベッドに横になると、彼女はいつも通りにしばらくスマートフォンをチェックした。

画面には、毎晩十時に欠かさず送られてくる「スイートハートガーディアン」からの「おやすみ」のメッセージが静かに表示されていた。


初音は一度も返信したことがなかった。東雲たくまの最近のしつこい執着を思い出し、初音は頭が痛かった。


それを愛だとは思い上がらない。ただの執着に過ぎない。

もし彼がこれ以上、正気を失った行動を続けるなら、この街を離れることしか考えられないかもしれない。


しかし、そうすればおじいちゃんがさらに自分を責めるだろうと思うと、彼女は板挟みになっていた。だが、考え直してみると、自分が滑稽に思えた。白石香澄(しらいしかすみ)がすでに帰国したのだから、たくまが彼女に夢中になれば、その未練もすぐに消え失せるだろう。


そうなれば、いつものように、彼は自分を避けて通るようになるに違いない。初音は画面を数回スワイプし、電源を切って眠りについた。街の反対側では、車椅子の男がスマートフォンを握りしめていた。


画面に映る篠宮初音の写真が、彼の眠気を完全に奪っていた。

(彼女に会いたい…胸が痛むほどだ。今すぐ彼女の前に現れて、抱きしめ、キスをし、もっともっと…)

しかし、彼の足は麻痺し、自由が利かない。


劣等感がつきまとい、彼女の前に堂々と現れる勇気すらなかった。


毎晩彼女の配信を見守り、一言の「おやすみ」で想いを伝えることしかできなかったのだ。篠宮初音は遅く寝たが、早起きだった。

今日は「暁の光児童養護施設(あけびかりじどうようごしせつ)」に行く日だ。


ここは彼女が育った場所であり、心の中の本当の家だった。


彼女は毎週時間を作ってボランティアに訪れ、施設の子供たちを助けられる限りのことをしていた。

配信による収入の大半を児童養護施設に寄付し、自分に残すのは生活に必要な分だけだった。児童養護施設は郊外にあり、車で二時間以上かかった。

子供たちは初音を見つけると、歓声を上げて駆け寄ってきた。


しかし、一人の古いテディベアを抱えた小さな男の子だけが、大きな木の下にぽつんと立っており、場違いな雰囲気を醸し出していた。初音はたくさんキャンディを持ってきており、活発な翔太(しょうた)にみんなに配らせた。


彼女自身は一握りを手に取り、小さな男の子の方へ歩いて行った。

男の子の名前は本田一晴(ほんだかずはる)。


自閉症を患っており、五歳になってもまだ完全な文を話すことができず、集団になじむのが難しかった。

初音は来るたびに、決して返事が返ってこないにもかかわらず、一晴に話しかけるようにしていた。初音は一晴の前にしゃがみ、手のひらを広げた。


陽の光に照らされ、カラフルなキャンディの包み紙がきらきらと輝いた。

「一晴くん、キャンディ食べる?」

一晴は何も答えなかったが、テディベアをぎゅっと抱きしめ、視線だけはキャンディに釘づけだった。

初音は理解した。


一粒の包みをむき、そっと彼の唇元に差し出した。


「甘くて美味しいよ。みんな大好きなんだ。一晴くんも食べてみない?」

数秒後、一晴はかすかに口を開けた。初音はキャンディを彼の口に入れ、優しく頭を撫でた。「おりこうさんね」「お兄ちゃんが来たよ!」翔太の甲高い声が響いた。

初音がその声に振り向くと、思わず、一対の深い瞳に吸い込まれるような感覚を覚えた。

翔太が言う「お兄ちゃん」は車椅子に座っており、後ろには黒いスーツを着たボディーガードが二人ついていた。

初音はその男を見たことがあるような気がしたが、どこで会ったのかすぐには思い出せなかった。車椅子の九条天闊(くじょうあまひろ)は、初音と目が合った瞬間、思わず肘掛けを握りしめた。

二年間の意識のない状態から目覚めて以来、彼は定期的に孤児院を訪れていたが、篠宮初音が来る時間帯を意図的に避けていた。


そのため、翔太から「すごく優しいお兄ちゃん」がよく来るという話は聞いていた初音も、実際に会ったことは一度もなかったのだ。今、彼の掌には薄い汗がにじみ、手の甲に浮かぶ血管が、内心の極度の緊張を露わにしていた。

(彼女に会いたすぎて、足が治るのを待てなかった。この不完全な姿のままで、彼女の前に現れてしまった…)


彼の視線は、初音を燃え上がらせそうなほどに熱かった。翔太が嬉しそうに初音のそばに走り寄り、彼女の手を引いて前へと引っ張った。


「初音姉さん!早くこっちおいで!お兄ちゃんを紹介するね!すごくいい人なんだよ!よく遊びに来てくれて、いっぱいお菓子も持ってきてくれるんだ!藤原院長(ふじわらいんちょう)も、すっごくたくさんお金を寄付してくれたって言ってたよ!」

初音は翔太に引っ張られるまま、九条天闊の前に連れて行かれた。


すると次の瞬間、翔太は天闊の手も取り、二人の手を…重ね合わせた。

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