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第16話

借りたアパートの翌日、篠宮初音は引っ越した。


とはいえ引っ越しと言っても、荷物はほとんどなく、東雲家の屋敷を出た時と同じく、段ボール一つ分だけだった。


彼女は部屋の隅々まで掃除を済ませ、何鉢かの観葉植物を飾った。


家具は全て揃っていたので追加で買う必要はなかったが、寝具類は新調しなければならなかった。


マンションの近くに大型スーパーがあったので、篠宮初音はマスクを着けて出かけた。


平日だったので店内は空いており、彼女は洗面用具とベッドカバーセットを購入した。


荷物がかさばって抱えていた布団で視界が遮られ、ゆっくりと歩いていた。


突然何かにぶつかった感覚で足を止めた瞬間、抱えていた布団が誰かに受け取られた。


「初音、どこの部屋?運んであげる」


ここで東雲明海に会うとは、篠宮初音にとって予想外だった。


「初音、布団どこに置く?」


「ソファの上で大丈夫です。後で片付けますから」


東雲明海が室内を見渡す。広くはないが、シンプルな内装に丁寧に整えられた温もりが感じられる。


「初音、今ここに住んでるのか?」


「ええ、今日引っ越してきたばかりです」


篠宮初音はコップに水を注ぎ、東雲明海に差し出した。


東雲明海はコップを受け取ると、傍らに腰を下ろした。「ここならいい。堂兄様も簡単には手出しできまい」


篠宮初音が急いで引っ越したのは確かに東雲琢磨が理由だったが、その話題は避けたくて話をそらした。「明海さん、どうしてこの辺に?」


東雲明海は足を組み、くつろいだ様子で答えた。「ちょうど近くで用事があってね。そこで君を見かけたんだ」


実は東雲明海は篠宮初音が世紀新城に引っ越したことを知り、わざわざ訪ねてきたのだった。


彼は密かに篠宮初音を気にかけていたが、それが彼女に悟られてはいけない。


「お仕事の邪魔じゃないですか?先に行かれても」


「大丈夫、用事は終わった」東雲明海は手首の時計を確認した。「そろそろ昼食にしよう。初音、ご飯をおごるよ」


東雲明海は足を下ろして立ち上がった。その背の高い影が篠宮初音を包み込むように覆った。


東雲家の男は皆大柄で、東雲明海も東雲琢磨と同じく190cm近い身長だった。二人は顔も幾分似ているが、東雲琢磨の顔が力強い印象なのに対し、東雲明海はどこか妖しげで、危険な魅力を漂わせたイケメンだった。


篠宮初音は東雲家の人々と関わりを持ちたくなかった。東雲琢磨と離婚した以上。


しかし食事の誘いを断るのは、恩知らずに思われるかもしれない。


相手は単に食事を共にしたいだけだし、さっき手伝ってもらったばかりだったから。


「分かりました。でもおごらせてください。中華と洋食、どちらがよろしいですか?」


東雲明海はただ篠宮初音と食事をしたかっただけ。誰が払うかは問題ではなかった。


断らずに中華を希望し、店の名も伝えた。


篠宮初音は東雲明海の車には乗らず、自分の車を運転した。


二人の車は前後に分かれて客郷居に到着し、一緒に店内へ入っていった。


暗がりから携帯電話が二人に向けられ、何枚も写真が撮られた。


**東雲家屋敷**


東雲琢磨はベッドに横たわり、紙のように青白い病み顔だった。左手には点滴の針が刺さっている。


あの日雨の中で倒れた後、肺炎と診断され、高熱が下がらなかった。


だが東雲琢磨は入院を頑なに拒み、自宅で治療を受けると主張した。


体調不良で篠宮初音のもとへ行けなくとも、彼女を監視する者を常につけさせていた。


篠宮初音が新しい住居を借りたこと、東雲明海が訪ねて行ったこと、二人が食事を共にしたこと――全て把握していた。


東雲琢磨は配下の者から送られてきた写真を見て、青白かった顔が一気に紅潮し、目は血走った。


彼は手にしていた携帯電話を激しく叩きつけた。


物音に駆けつけた医療スタッフが入ってくると、東雲琢磨の怒声が響いた。「全員出て行け!」


騒ぎを聞きつけた中村執事も入室し、割れた画面の携帯電話を一目で見つけた。


「旦那様、どうなさったのです?そんなにお怒りになって」


中村執事が腰をかがめて携帯を拾おうとした時、再び東雲琢磨の声が響いた。「携帯を渡せ」


中村執事が両手で差し出すと、東雲琢磨は受け取らずに言った。「お前の携帯を渡せ」


中村執事は一瞬呆気に取られたが、すぐに平静を取り戻し、自身の携帯を両手で差し出した。


東雲琢磨はそれを受け取ると、脳裏に刻み込んだ番号をダイヤルした。


篠宮初音は彼の番号をブロックしていたため、今は中村執事の携帯から連絡するしかなかった。


**客郷居の個室**


篠宮初音の携帯が突然鳴った。中村執事からの着信だった。


数秒躊躇したが、彼女は電話に出た。しかし受話器から聞こえたのは中村執事の声ではなく、東雲琢磨の怒声だった。「篠宮初音、明海はお前に下心を持っている。これからは彼と会うな。俺が許さない。お前は……」


篠宮初音は即座に電話を切り、電源を落とした。


頭が痛くなった。東雲琢磨が自分をストーキングさせているなんて、本当に狂っている!


個室は静かだったので、東雲琢磨の声は東雲明海にも多少聞こえていた。


彼はわざと探るように尋ねた。「堂兄貴からの電話か?何を言われたんだ?そんなに怒らせて」


篠宮初音が東雲琢磨の言葉を明かすはずもなく、真に受けることもない。狂人の戯言を誰が真に受けるだろうか?


「別に。彼の話はしたくないの」


「分かった、じゃあその話はやめよう」


東雲明海は自制と忍耐の人だった。篠宮初音に不快感を与えず、自分の想いを悟られないようにしていた。少なくとも今は。


「来月、祖父の八十の祝いがある。初音も祝いに来てくれるだろう?」


「もちろん」東雲の老爺はこの世で彼女が最も大切に思う人だ。行かないわけがなかった。


**一方、東雲琢磨は**


まだ言い終えぬうちに、受話器から通話切断音が鳴った。


再度かけ直すと、今度は電源が落とされていた。


手にした携帯を今度は床めがけて叩きつけた。その瞬間、寝室のドアが開き、白石香澄が入ってきた。携帯は彼女の足元に叩きつけられ、悲鳴をあげて顔色が青ざめた。


東雲琢磨は眉を釣り橋のようにひそめた。白石香澄の訪問が明らかに不快だった。


使用人たちは何をしているんだ?なぜ誰でも自由に彼の部屋に入れるのか、止めもせずに。


しかし使用人たちを責めるのも無理はなかった。この東雲家で、東雲琢磨が篠宮初音を嫌い、白石香澄に夢中だということを知らない者などいないのだから。


彼女が次の東雲家の女主人になるかもしれない。誰が逆らったり怒らせたりできようか?

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